好きなもの
(意外とお似合いです)
女性向けの可愛らしいカフェ。ジゼルお気に入りのそのカフェの中で、ディランがジゼルの前に座っている。
本人はこの華やかな場でどことなく居心地が悪そうにメニューに目を落としているが、真っ白なレースやかわいらしい花の意匠が凝らされた内装は、ディランの美しい容貌にとてもよく似合っていた。
(王子さまのようですね。……いえ、王子さまなのですけれど)
そう思っているのはジゼルだけではないようで、その圧倒的な美貌は店中の女性の視線を奪っている。
近寄りがたさはあるものの、それでも目を奪われてしまう美しさがディランにはあった。
「殿下、何を召し上がりますか? なんでもお好きなものを頼んでください」
先ほどから黙ったままメニューを眺めているディランに声をかける。
(いつもより少し多めにお金を持ってきてよかったです。端から端まで全部ほしいと言われても、どうぞどうぞと言えますからね)
お財布の入ったバッグをぎゅっと握りつつ、ジゼルはそんなことを思った。
先ほどオウル邸を後にした後、ジゼルは自宅へと戻る前に、今日のお礼をさせてほしいとディランをお茶に誘った。
(結局、暗殺者のみならずマレ伯爵の調査の分まで殿下に払っていただくことになってしまいましたから……)
エリニュスの『どちらでもいいから早くお金を払ってさっさと帰って』という笑顔の圧とディランの頑固さに負け払ってもらうことになったので、せめてそのお返しをしたかったのだ。
(もちろんこの程度ではお礼にならないのですが……)
そうは思うものの、感謝の気持ちは伝えたい。特にふだん公務に精を出しているディランには、甘いものを食べてほっとする時間が必要だと思う。
あまりにも好物が多すぎるのかメニューを決めかねているディランに、ジゼルはアドバイスをすることにした。
(おいしそうなものがたくさんですから、決めかねる気持ちはとてもわかります)
好きなだけ頼んでいいと言われても、残念ながら人には胃袋という限界がある。悩みに悩み、食べたいものを厳選することは人として当然のことだ。
「そちらの新商品のタルトは、こんなに大きな果物が乗っていてとても美味しくいただきました。それからそちらのにんじんのパウンドケーキは……」
身振り手振りを交えて説明を始める。
するとディランはじっと眩しいものを見るようにジゼルを眺め、「あなたは、本当に甘いものが好きなんだな」と言った。
「はい!」
笑顔でそう返事をしたあと、ハッとする。
(今、ディラン殿下は、あなた『は』と仰いましたが……)
ジゼルは甘いものが好きだ。甘いものはなんでも正義だと思っている。
しかし先日馬車の中で飴をあげた際、ディランの感想は『甘いな』の一言だけだったのだ。
(世の中には甘いものが苦手な方もいらっしゃると聞きます。……もしかしたら殿下も?)
「別に嫌いではない」
「ここまで読まれてしまいますと、なんだかもう読まれた方が楽な気がしてきましたね」
心を読まれることに随分と慣れてきたジゼルがそう言うと、ディランが驚いたように目を見張ったあと、呆れたように眉を上げた。
「ずいぶんと豪胆な女だな」
「だってディラン殿下ならばどんな状況でも、ある程度のことはアイコンタクトで読み取ってくださるでしょう? 私もそうなれたらどんな状況でも意思疎通ができて楽なのですけれど」
会話ができない状況でお互いの考えていることを理解できるようになれば、いざという時役立ちそうだ。
どんな爆音の中でも、どんなに無音の中でも、顔さえ見ればおおよその会話ができる。
「まずは私が殿下の心を読めるようにならねばなりませんね。早速今日から練習を始めてみようかと思うのですが」
ジゼルがそう言うと、それまで黙っていたディランがふっと吹き出す。
「……あなたは、本当に」
「……? 私、何か変なことを申し上げましたか?」
「自覚がないなら何よりだ」
喉をくつくつ鳴らしてディランが笑う。
かと思えば急に瞳をふっと翳らせて、小さな声で呟いた。
「……あなたといると、自分が良いものになったような気がしてしまう」
「え?」
うまく聞き取れずにジゼルが首を傾げると、ディランは何の感情も読めない笑みを浮かべて「なんでもない」と言った。
それから店員を呼び、ジゼルに食べたいものを尋ねたあとに注文した。
店員が礼をして去ると、ディランが何かを思い出したようにしのび笑いをする。
「あなたが俺の心を読む、などと大きく出たのが面白いと思ってな。お手なみ拝見といこう」
何かと思えば、先ほどのジゼルの言葉が面白かったようだ。その顔にむっとする。
(む。これは、あなたには絶対にできるわけがない、と言っているお顔です)
心が読めなくとも、これはわかる。誰だってわかる。百人中百人が、ジゼルの推測に『そうだね』と納得してしまうだろう表情だ。
かすかな悔しさを感じつつ、確かにディランの心を読むのは至難の業だ、と自分でも思った。
(……私は、殿下のことを何も知らないのですよね)
ついそんなことを考えてしまったとき、先ほど頼んだケーキが運ばれてくる。ディランが頼んだのはジゼルが勧めた果物のタルトだ。
ジゼルは自分のケーキにフォークを伸ばして舌鼓を打ちつつ、ディランが優雅な仕草でケーキを口に運ぶ姿を見守った。
「……どうですか?」
「……甘いな」
(それはそうでしょうけれども……)
まるで見知らぬ場所にきた子どものような表情で呟いたディランが、もう一度タルトにフォークを刺し、口に運ぶ。
「美味しいですか……?」
その様子を固唾を呑んで観察しつつ言葉を変えてそう尋ねると、ディランは少し沈黙したあと頷いた。
「……美味しい」
「よかった!」
ほっと胸を撫で下ろす。言わせてしまった感がないでもないが、ディランが嘘をついているようには見えなかった。そもそも何のメリットもない嘘を、ディランが吐くはずがない。
「お礼の気持ちはもちろんなのですが、殿下はいつも頑張っておられますから。甘いものを食べて、少しリラックスしてほしかったんです」
「リラックス」
「はい。私は甘いものを食べると一番ほっとするので……」
そこまで言って、ふと気づく。ディランは甘いものを食べ慣れていなさそうだが、ふだん好んで食べる食べ物は何なのだろうか。
(先にそちらをお聞きしておくべきでした。……よし)
次に何かお礼したいことができたら、ディランの好きなものを食べに行こう。そう思いながら口を開く。
「ちなみに、殿下がお好きなものはなんですか?」
ジゼルがそう尋ねると、ディランがフォークを動かしながらしばし考える。そのまましばし考えたあと、首を振って答えた。




