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一度目の人生-1



 ジゼルの生家であるイグニス家は、代々天才を多く輩出する名門の伯爵家だ。

 元は神巫女と呼ばれる特別な力を持つ巫女の家系であり、そのせいかイグニス伯爵家の者は皆、例外なく異能に近い優秀な才を持っている。


 軍略で、剣で、外交。それから芸術や農業や医療、そのほかにもさまざまな分野で、イグニス伯爵家はこの国ルベライトに、様々な功績を齎してきた。


 現在のイグニス伯爵家の当主であるジゼルの父や兄も例外ではない。

 父は天性の社交力とあらゆる言語を自在に操る言語能力で外交を担当し、兄は人間離れした怪力と剣術で、王家所属の騎士団長を務めている。


 しかしジゼルはその名門のイグニス伯爵家の中でたった一人、何の才能もない娘だった。

 そんなジゼルの一度目の人生に転機が訪れたのは、ジゼルが十七歳の春の終わりのことだった。



◇◇◇



「なんだ、この時間まで本を読んでいるのか」


 イグニス伯爵家の図書室。

 夜遅くなったことにも気づかず集中して本を読んでいたジゼルに、兄のエルヴィスが声をかけた。


「これほど愛らしいというのに勉強熱心とは、いやはやさすがは俺の妹。道理で存在が奇跡なわけだ。生まれてきてくれてありがとうがすぎるな。ありがとう」


 うんうんと頷きながらそんなことを言うエルヴィスは、自他共に認める兄馬鹿だ。ジゼルの読んでいる本の表紙に目を向け「神学の専門書か」と頭を掻く。


「俺にはさっぱりわからん。世の中神に頼んでも何ともならんことの方が多いが、腕力があればこの世の六割は解決する」

「お兄さまらしいですね」

「そうだろうそうだろう。お前は俺をよくわかっているな。はっはっは、さてはお兄さまが大好きだな?」


 謎の自信を黙殺するジゼルに、兄のエルヴィスは「いやはや照れているのか」などと気にもとめない。エルヴィスは基本的に筋肉で物事を考えるタイプの武闘派で、直情的な人物だ。

 次期公爵として教育を受けてきたため書類仕事はそれなりに裁けるものの、神学や物語といった現実味がない分野は敬遠している。そういった類の本を読むと、二秒で寝てしまうほどだ。


「それより、今日はそろそろ勉強はやめにしてはどうだ? お前は昔から些か根を詰めすぎる癖がある」

「無理をしているわけではありません。新しいことを学ぶのはとても楽しいことです。それに……」


 ジゼルは手元にある本に視線を向けたあと、兄に向かって笑顔を見せた。


「私にはお兄さまのように林檎を二つまとめて握りつぶせる握力も剣術の腕前も、お父さまのように社交力があるわけでもありませんが、こうしてこつこつと学ぶことはできます。根気良く勉強を続けることで身につけた知識が、いずれ何かの役に立つかもしれませんから」


 傑出した才能を持つ者しか生まれないとさえ言われているイグニス家において、何の功績も残したことはないジゼルは外で、『凡人』あるいは『落ちこぼれ』と噂されている。


(噂というよりも、現時点においてそれはただの事実なのですが……)


 とはいえジゼルも愚かではない。記憶力にはそれなりに自信があるし、家庭教師からは聡明と言われている。

しかし、聡明なだけの令嬢なら他家にだっている。


 代々国に貢献し続けてきたイグニス伯爵家の中でただ一人、何の功績も成せない、才能のない落ちこぼれ。

 それがこの国においての、ジゼルへの評価だった。


(ですが、諦めてはそれでおしまいです。今取り柄のない私だからこそ、こつこつと。人の三倍は努力していかなければ)


 ジゼルがそう心の中であらためて決意していると、エルヴィスはよろめきながら両の手で口元を押さえた。


「……世界で一番かわいい上に努力家で謙虚とは、俺の妹が尊すぎてただ怖い」


 しみじみとそう言いながら、エルヴィスは「だがしかし」と首を振る。


「あの馬鹿父上は褒めずに貶した方がいい。俺のことはもっと褒めてくれていい」

「お父さまといえば、今日は随分とお帰りが遅いですね」

「確かに」


 エルヴィスの言葉を受け流してそう言うと、エルヴィスはまったく気にした様子もなく頷き――次はげんなりと、嫌そうに眉をひそめた。


「ここ最近は大した仕事もないはずだが……またどこかで女性をたぶらかしては絶賛泥沼大修羅場を繰り広げているんじゃないだろうな。さすがに俺もこれ以上、実の父の痴情のもつれをなんとかしたくないんだが」

「お父さまの外面の良さと女性限定の博愛主義は救いようがありませんから……」


 エルヴィスに同情の目を向ける。

 ジゼルの父であるレジナルドは、生粋の女性好きだ。整った顔立ちと社交性であらゆる社交界の女性を虜にし、性別が女性でありさえすれば来るものは一切拒まないという信念を貫いている。


 そのため『絶賛泥沼大修羅場』は定期的に繰り広げられ、大体一週間に一度は兄が父の痴情のもつれの後始末に追われることになっているのだった。


「お兄さま、きっと一生苦労なさるでしょうね」

「よし、ジゼル。あいつを地獄に落とす方法を一緒に考えよう」

「エルヴィス様、ジゼル様!」


 冗談とも本気ともつかない表情でエルヴィスがそう宣言した途端、いつも冷静沈着な家令が血相を変えて飛び込んできた。

 何か一大事が起きたのだと一目でわかるその様子に、エルヴィスの顔が鋭くなる。


「何があった」

「旦那様が……旦那様が、」


 唇を震わせた家令が、一度大きく息を吸い、意を決したように口を開く。


「旦那様が、捕縛されました」




次は明日の11時・19時に投稿します。

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