対価
「――ということで、殿下に送られてくる刺客は、裏社会に属する暗殺者ではないかと推測しています。捕らえた刺客は何も知らないのか、はたまた口を割らないよう訓練されているのか、依頼人の名前も顔も知らぬ存ぜぬ、料金は前払いの一点張りです。しかし裏社会に精通している方なら、何か手がかりをご存知なのではないかと思い、エリニュスさまの元へ参りました」
ジゼルはそこで言葉を区切り、再度続けた。
「それからもう一点。マレ伯爵閣下の近辺で、何か変わった動きはないか。こちらの二点を教えていただきたいのです」
(裏社会では、嘘と話しすぎは御法度です)
虚偽を掴まされないこと。相手の情報を知りすぎず、また知られすぎないこと。
特に口が軽い人間はけして信頼されないと、ジゼルは日本で過ごした十六年間、よく学んでいた。
話し終えてエリニュスの顔を見ると、彼女はじっとジゼルの顔を見る。合格だと言うように微笑みながら、まるで少女のような口調で話し始めた。
「――貴族の情報は、それなりの対価をいただくわ。暗殺の依頼者はもっとね。お相手が大物であればあるほど高くなるけれど、いいかしら?」
「……はい!」
(どれくらいのお値段になるのでしょう……)
昨日ディランが『莫大な対価を求められる』と言っていたことを思い出し、少しそわそわとしてしまう。
しかし月々貰っているお小遣いをほとんど使わずに貯金していること、また婚約を解消のために提案した鋼の大量生産を始め、この一年で色々と困っている人々に提言しては生み出してきたもののロイヤリティは、レジナルドからジゼルに払われていた。
特に鋼のロイヤリティはジゼルが引いてしまうほどの金額なので、おそらく払うことはできるだろう。
「もちろん、正当な金額をお支払いいたします。対価はおいくらほどになるでしょう?」
少しでも躊躇ったら足元を見られてしまいそうで、ジゼルはにこりと微笑む。
そんなジゼルにどこか愉しそうな目を向けて、エリニュスが口を開いた。
「そうねえ……お金は大好きだけれど、今回はもっと特別なものがほしいの」
「特別なもの?」
「そう」
首を傾げたジゼルに、エリニュスは少女のように柔らかく、しかし妖艶な笑みを浮かべた。
「私はね、この世で一番悪党が嫌いなの。私とここにいるノア以外の悪党どもは、全員血反吐を吐いて苦しみ抜いて死ねばいい」
まるで好物の話でもするような軽やかさで、エリニュスがそう言った。頬に手を当てながら「だけど」と、ため息を吐く。
「本当に罰さなければならない悪党は、大抵とても偉いでしょう? お金で爵位を買っただけの小娘にはとても太刀打ちできないくらい。だからね、私は無造作に悪党を捻り潰せるくらいの権力がほしいの」
「権力、ですか?」
まったく意図しない対価に、ジゼルは目を瞬かせた。
(いくら何でも私は、権力を差し上げられるような身分ではありません)
そもそも身分で言えば、伯爵令嬢であるジゼルよりも伯爵位を得ているエリニュスの方がよっぽど高い。
(これは依頼を断るために、わざと難題を突きつけているということでしょうか)
しかし、目の前の女性がそんなに遠回しなことをするとは思えない。ジゼルが困惑していると、エリニュスは「簡単なことよ」と言った。
「――ディラン・ルベライト殿下。第二王子にも関わらず、次期国王に一番近いと言われる殿下の愛妾になれば、ある程度のわがままは許されるはず」
「……!」
「私が望むのは、ディラン殿下の『愛妾』という地位。ジゼル様にはその許可を」
ゆっくりと目を細めながら、エリニュスが微笑む。
先ほどまでは無垢な少女のようだったその微笑は、今は艶然とした笑みに変わっていた。
「ああ、もちろん正妃の座はジゼル様で構わないわ。寵愛も欲しくはないわね。私はただ、好き勝手悪党を捕まえてなぶっても許される地位がほしいだけ。――命に関わる情報への対価としては、お安いものだと思うけれど、殿下は――……」
「お断りします」
「え?」
何の躊躇いもなく即座に断るジゼルに、エリニュスは黒い瞳を見開いた。
ジゼルはまっすぐにエリニュスを見据えながら、「その対価は払えません」と毅然と告げる。
「いただく情報の見返りが愛妾の地位だなんて、殿下は対価交換をするための道具ではありません。それは人を人とも思わない、大変失礼なお言葉です」
ジゼルの言葉に、それまで表情を変えずに静観していたディランがこちらを見る気配がした、
その表情を見る余裕もなく、ジゼルは目を丸くしているエリニュスから目を逸らさずに淡々と告げる。
「それに仮にも殿下の愛妾が、裁判もなく悪党と断じた人間を嬲るだなんて……真摯に公務に打ち込んでいる殿下の評判を下げるようなことを、黙認するわけにはいきません」
自分でも驚くほど、きっぱりした声が出た。
「私は、自分にとって大切な人への侮辱をけして受け入れられません」
(……自分でも珍しいと思いますが、私は今とても怒っているみたいです)
これまでジゼルが見てきた公務を最優先に動いているディランの姿が浮かび、その怒りはますます質量を増した。
もやもやむかむかとする気持ちが抑えきれずに、つい眉根を寄せてしまう。
それでも収まらず、もう一度口を開こうとした瞬間、横にいるディランが「そこまででいい」と言った。
「しかし――……」
ジゼルはまだ納得が言っていない。そう思って眉根を寄せたままディランを見たジゼルは、ディランの表情を見て呆気に取られた。
(え)
いつも無表情のディランが、自身の鼻や口を片手で押さえながら気まずそうな顔をしている。
光の加減かその耳はほんの少し赤いように見えて、ジゼルは目をぱちぱちと瞬きさせた。
なんだか、照れているように見えるのだ。
「殿下……?」
「……本当に、あなたは意味がわからない」
(それはこちらのセリフなのですが……⁉)
そんな驚きに、湧きあがっていた怒りはしゅるしゅると小さくなった。
ディランは小さく息を吐くと、まるで照れていたことが嘘だったかのような無表情に戻りエリニュスに視線を向ける。
「オウル伯爵。この娘のこういうところが、俺は存外気に入っている。これ以外の女を、側に置くつもりはないな」
その声の響きは、ジゼルがびっくりするほど優しく、そして真実のように聞こえた。
(い、一年間の、期間限定の婚約なのですが……)
心臓が、妙な音を立てた気がした。隣に座るディランの存在をいつもより強く感じ、なんだか落ち着かない気持ちになる。
(いけません、今はエリニュスさまと対峙をする時間。落ち着かなくては)
意味がわからない感情はぽいっと放り投げておくことにして、目の前のエリニュスに目を向ける。
「…………」
「エリニュス・オウル。ジゼルの言う通り、王族に無礼を働いたわけだが――ようやく手に入れた爵位を失いたくなければ、他の対価と引き換えに情報を提供する気はないか」
「…………」
エリニュスは先ほどから、むっつりと唇を尖らせている。
さきほどまでは百戦錬磨の悪女といった風情だったのに、その姿はまるで怒られてむくれている、子どものように見えた。




