賭博と裏社会
食事をすませ、店を後にする。
食べすぎてしまったため、すぐに馬車に乗っては酔ってしまうと判断したジゼルは、エルヴィスとレジナルドと一緒に少し街中を歩くことにした。
「ふう、お腹がいっぱいです」
「ははは、結局全部食べていたな。いやはや、子豚のようにころころ丸いお前もかわいいだろうな。どうだ、あそこの串焼きでも食べないか?」
「……いりません」
兄の言葉に、ジゼルは今日の夕飯は少しだけ控えめにしようと決意する。一歩でも多く歩いて基礎代謝量と体力を増強するのだと固く決意しててくてくと歩き始めた、その時。
「……イグニス伯爵?」
「これは、マレ伯爵」
供を一人だけ連れ、街を歩いていたマレ伯爵とばったり会った。レジナルドは柔和な人好きのする笑みを浮かべ「こんにちは」と挨拶した。
「こんなところでお会いするとは、奇遇ですね」
「……そうですね」
どこか周りを窺うような視線を見せたマレ伯爵が、笑顔を作って口を開く。
「たまには気ままに出歩いてみようかと思いまして……イグニス伯爵は、ご家族とお出かけですか?」
「ええ。たまたま皆都合が合いましてね。久しぶりに外出を」
レジナルドがそう答え、話を切り上げようとにこやかに微笑む。
「先日の夜会ではあまりお話できずに残念でした。また次回お話しを……」
しかし話を切り上げようとしたレジナルドの言葉を遮り、マレ伯爵はジゼルに目を向けた。
「これはこれは、社交界で話題のご息女と……」
(なんでしょう、この視線は)
どことなく含みのある視線だ。
微かな嘲りを含むその眼差しに、エルヴィスが気づく前にとジゼルはドレスの両裾を持って一礼する。
「こんにちは、マレ伯爵閣下。お会いできて光栄です」
「いやはや、こんにちは。美しい礼ですな」
マレ伯爵がにこりと笑う。
「前回の夜会でも申し上げましたが、あらためて。この度は殿下とのご婚約おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「聡明な殿下と、イグニス伯爵令嬢が一緒になれば百人力ですね。さすがはイグニス伯爵家のご令嬢だ。突如として才能を目覚めさせ、領地経営や鍛治の新技術の他、治水の深い知識までおありになるとは……国の宝です」
「勿体無いお言葉です。殿下に見合う女性となるよう、今後も精進してまいります」
大仰に褒めるマレ伯爵に頭を下げながら、ジゼルは違和感を覚えた。
(……どうして昨日のことを、マレ伯爵がご存じなのでしょう)
ジゼルが治水について何かアドバイスを行ったのは、昨日が初めてだ。
日帰りで行ける距離ではあるものの、王都からは少々遠く、そう目立つ領地でもないあの場について情報を得るのは、少々早すぎる。
(殿下の動向を把握していなければわからないような……いえ、王族の暗殺未遂は大ごとですものね)
高位貴族であり人脈を持つマレ伯爵なら、暗殺未遂にあったディランの前後の行動を耳にすることもあるだろう。
とはいえ先ほどの含みのある視線と合わせ、この違和感は覚えていた方が良さそうだ。
「娘をお褒めいただきありがとうございます。それではマレ伯爵、また」
「ああ……そうですな。それではまた、是非」
父が会話を切り上げると、マレ伯爵も礼をして去って行く。その後ろ姿をじっと見送るジゼルの横で、エルヴィスが呆れたような声を出した。
「最低限の供を連れてこそこそとこんな場所へ……マレ伯爵も懲りない男だ」
「懲りない?」
「おっと。いやなに、なんでもないぞ」
一瞬しまった、という風に顔を歪めたが、兄はすぐに平静を装う。その流れはあまりにも怪しすぎて、ジゼルは兄にじとりとした視線を向けた。
「なんでもないなら教えてください、お兄さま」
「いや、純粋かわいいお前が知ることでは本当になく……」
「お兄さま」
「わかった」
絶対に譲らない顔でジゼルが兄を見ると、観念したような表情でエルヴィスが頭を掻く。
「くれぐれも興味を持つなよ」と念押ししながら、エルヴィスはしぶしぶ口を開いた。
「マレ伯爵はああ見えてカジノが好きでな。……ギャンプルの腕前が激よわのくせに、何度もカジノに訪れているそうだ」
「カジノ?……伯爵閣下が?」
マレ伯爵については調べたが、そんな情報は聞いたことがない。そもそもカジノというものは平民や、少なくとも下級貴族がするものだ。少なくともこの国では、高貴な貴族がするものではないと考えられている。
(大金を失い、破産する方もいるとか……。問題になり始めているのですよね)
法改正が必要だと訴える方もいると、つい先日の夜会でディランが言った言葉を思い出す。
「俺の同僚にギャンブル狂いの男がいるのだがな、よくカジノで会うそうだ。弱いくせにどんどんレートの高い賭博場に参加するようになり、裏社会の人間が集まるような場所にまで行っているとか……」
そこまで言って、ハッとしたエルヴィスがジゼルの肩をがしっと掴む。
「いいか。お前は好奇心旺盛なところも最高なんだが、絶っっ対にそういう場には行ってはだめだぞ。お前のような天使は裏社会など知ってはいけない」
非常に真剣な表情に、つい一年ほど前まで裏社会の中で生活をしていたジゼルはにこりと微笑みつつ、内心気まずい気持ちになった。
(実は私、お兄さまよりもその世界にちょっぴり詳しい気がします……)
とはいえ、この国の裏社会のことをジゼルは知らない。生粋の箱入り娘であるジゼルがどんなに調べても、マレ伯爵の賭博通いを知らなかったほどだ。
(裏社会……蛇の道は蛇ですから、そういった筋の方しか知らない情報などもたくさんありますよね……あっ、そういえば)
ジゼルは昨日、ディランを襲った刺客を思い出す。
ディランや護衛の騎士たちに制圧はされたが、動きには隙がなく、持っていた武器も上等なものだった。
(しかしあれは騎士や貴族や、それに準ずる方の動きではありません)
魅せるための動きではなく、もっと荒々しい――何でもありの実践に長けた動きだった。昨日抱いた殺し屋という所感に、まず間違いはないだろう。
おそらく以前広場でディランを襲った暴漢たちも、多少腕は落ちるが同じような殺し屋だったのではないだろうか。
(裏社会の方々なら……刺客の方々のこともわかるでしょうか)
貴族が抱えている暗殺者という線も、ないわけではない。しかし可能性があるならば、一つずつ地道にあたって確かめてみるべきだ。
(どちらにせよ、今のところは他に思いつく手がかりもありません。――マレ伯爵の動向でも、気になるところがあります)
そう思い、きゅっと拳を握る。そんなジゼルの様子を見て、何かを察したのかエルヴィスは気迫がこもった表情で念押しした。
「ジゼル、いいか? 行くなよ。絶対に行くなよ」
「はい、もちろんです!」
元気よく返事をしながら、頭の中で算段を立てる。
(裏社会の方々に接する前に、まずしなければいけないことは――……)




