金色の飴
(……一体殿下は、いつ休まれているのでしょうか)
帰りの馬車の中。いつものように書類に目を通しているディランを見つめる。
目を伏せると、長いまつ毛が頬に影を作っている。淡いその影はディランの美貌にほんのりと憂いを足し、思わず『良いものを見た』と拝んでしまいたくなるくらい美しかった。
(とはいえ、お疲れでいらっしゃいますよね)
馬車に乗り込んでからのディランは、いつもよりもさらに隙がない。神経を澄ませているように見える姿に、ジゼルは少し心配になった。
昨日の夜会も早々に解散したとはいえ、ジゼルが知る限りディランはいつでも公務をしている。
今日も日が昇り始めてすぐの時間に迎えに来た頃から、起きたのは夜明け前だと思われた。
(視察した領地もくまなく、それはもう一分の隙もなくご覧になっていましたし……いくらなんでも疲れが溜まっていますよね……あ)
ジゼルは持っていたバッグを開け、先ほど買ったものを取り出す。ディランに見えるよう、袋を顔と同じ高さまで持ち上げた。
「殿下。もしよろしければ、お召し上がりになりませんか? 先ほど市場で購入したものです」
袋に入っているのは、色とりどりの小さな飴だ。どれも透き通った薄い色をしていて、その美しさに惹かれてついつい購入したものになる。
「甘いものを食べると、少しはお疲れが取れますでしょう?」
「……」
(まあ……。殿下が何を考えているのか、全然わかりません)
ディランは感情の読めない顔で、ジゼルが持つ飴の袋を眺めている。
しかしディランの場合、要らないなら要らないと言うだろう。そう勝手に当たりをつけ、ジゼルは袋の封を開けて一粒飴を取り出した。
「どうぞ。こちらが私のおすすめです」
そう言ってディランに手渡したのは、透き通った琥珀色の飴だ。
琥珀というには少しばかり薄いその色は、窓から差し込む西日を受けて透き通った金色に輝いている。
「おすすめと言っても、まだ食べてないだろう」
「まあ、殿下。お菓子の楽しみは味だけではないのですよ。ほら、ご覧ください」
得意げな顔をしながら、ジゼルはディランに対し手渡した飴を見るように促した。ディランの金色の瞳が、素直に飴に落とされる。
「ほら、とても綺麗な色だと思いませんか? まるで殿下の瞳のような、美しい金色です」
「――……」
ジゼルの言葉に、ディランが驚いたように目を見張った。
(……?)
なぜかとても驚いている様子の反応に、ジゼルは首を傾げる。
(どうしてこんなに驚いてらっしゃるのでしょう?……もしかして庶民でも食べられる飴と、尊い王族である殿下の瞳を重ねたことが不敬だった……?)
そうは思うものの、ディランがそんな瑣末なことを気にするような人物には思えない。目をぱちぱちさせながら考えを巡らせ、すぐにはっと気づいた。
(あっ、市場で買った食べ物を毒見もなしにお渡ししたことに驚いているのかもしれません)
「ど、毒見もすませず申し訳ありません。あの、先に私がいただきますので……」
いつの間にか今日一日でディランに少しだけ慣れてしまい、気安い態度を取ってしまっていたかもしれない。
申し訳なさに小さくなりながらディランに手を差し出すと、彼はごく僅かに沈黙したあと、その飴を自身の口に放り入れた。
「……甘いな」
そんな当然なことを、ディランはまるで幼児のような口調で呟く。
「お砂糖の塊ですから……。それより殿下、毒見は」
「不要だ。……あなたが毒を盛るとも思えないからな」
(それではなぜあんなに鳩が豆鉄砲を食らったようなお顔を……?)
そんな疑問が浮かんだが、深く考えるのをやめてジゼルも飴を一粒口に放り込む。甘さが広がり、張り詰めていた気もほどけていくようだった。
思わずゆるんだ頬もそのままに、「おいしいですね」と語り掛ける。ジゼルは甘いものが好きなのだ。一日三食食べたって喜べる。
「見てよし食べてよし元気を出すのもよし。最高のお仕事をしていただく方がいるおかげで素敵なものが食べられて、幸せなことですね」
「……」
「……? 何か、私の顔についていますか?」
これまで一緒に過ごした短い期間。その中でもディランが二分以上書類から目を離すことなどなかったというのに、さきほどから随分とジゼルの顔を見つめている。
ジゼルが首を傾げると、ディランは数秒沈黙したあと「いや」と首を振った。
「……よくわからない女だなと思ってな」
(まさかこれも褒め言葉と思っていたりはしませんよね……?)
「まさか」
先日のこともありついつい疑ってしまうジゼルに、ディランはすかさずそう答えた。
「俺に対して怯えもせず、しかし周りを慮る気遣いはでき、飴一粒に喜べるとは。感受性が鋭いんだか鈍いんだかわからないなと思ってな。さすがに褒めてはいない」
「……心を読むのはやめていただけないでしょうか」
「そうは言っても読めてしまうからな。俺と出会って災難だったな」
ディランが鼻で笑いながら、頬杖をつく。
呆れたような眩しいものを目にしたような表情でこちらを眺める姿に、ジゼルは唇を尖らせた。
(これは、絶対に小馬鹿にしていますよね)
「小馬鹿にしているわけでもないが」
「…………せめて、私の心と勝手に会話をするのはやめてください」
ジゼルを揶揄っているのか、どこか愉快そうな表情をしているディランにじとりとした目を向ける。
なんだか悔しい気持ちを抱えつつ――しかしジゼルはふっと息をついて、小さく微笑んだ。
「……色々と申し上げたい気持ちはあるのですが、忘れることにします。今日はとてもいい一日でしたので」
「いい一日?」
ジゼルの言葉に、ディランは少し驚いたようだった。まるで奇妙なものを見るような目でジゼルを見るディランに、ジゼルは「はい」と頷く。
「大変勉強になる有意義な一日で、とても楽しかったです」
本当に申し分のない一日だった。一番は、ディランのおかげでずっと気になっていた水害の予防ができたことだろうか。
それだけでも胸のつかえがとれるような気分だったのに、ディランがリットン子爵に尋ねていた色々を通し、ジゼルは街のどの部分に目をつければどんなことがわかるのか、肌身で感じることができたように思う。
書物で読んだだけでは不十分だったところが、補われた気分だった。
「それに殿下が提案された政策や改善点は、どれも非常に合理的でした。損切りが非常に早く、被害や損害を最低限に食い止める最善の一手を打てる方なのだと、その手腕に改めて感服しました」
損切りは、ジゼルが最も不得手とするところだ。
日本で自分を育ててくれた組長とよく指していた将棋でも、見捨てるべきものを見捨てられず、呆れられてしまったことを覚えている。
(そういった違う価値観、物の見方。どれ一つとっても、学んで損はない大事なものです)
ディランには、周りが思うよりも優しさがあるのではないかとジゼルは思う。
もちろん、暴漢に襲われたときの躊躇いのない動きは記憶に新しい。目的のためなら手段を問わない非情さもあるのだろう。
しかし、少なくとも王族の権力を笠に着ず、半ば無理やりとはいえ婚約という契約を結んだジゼルに対し、対価を払ってくれる良識もあった。
「殿下は私とはまったく違う価値観をお持ちで、私にはまだ理解が及ばないことも多いのですが、一つだけわかりました。殿下はご自分のためではなく人々のために、真摯に向き合われる王子さまなのですね」
「……」
「尊敬いたしました」
ディランが目を見張る。さきほど飴とディランの目が似ていると言ってしまった時と同じような反応に戸惑うと、ディランがふっと暗く笑った。
「……生憎、尊敬されるような人間ではない。だからこういうことになる」
「え? ――!」
「窓から顔を出すな。身を伏せていろ」
まるでディランの言葉が引き金になったかのように、馬の異常な嘶きが響き、馬車が急停車する。
馬車が大きく揺れると同時に馬車の方を見ると、数十人はいるであろう盗賊たちが馬車を取り囲んでいた。




