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進言



 扉が閉まった途端に顔から表情を無くしたエルヴィスは、強い意志のこもる目をディランに向けた。

 その視線を動じずに受け止めながら、ディランが「随分過保護なことだ」と言った。


「貴殿の妹は、手厚く守らなければならないほど無才ではないだろうに」

「だからこそ過保護になるのでしょう。……ことに、妹を利用するような輩がいては」


 エルヴィスの目に獰猛な光が宿る。

かと思った瞬間常人の目には止まらぬような速度で剣が抜かれ、ディランに向かい銀色の光が走った。


 ――キィン……!


 金属がぶつかりあう鋭い音が響く。ディランの首筋ぎりぎりで二つの刃がぶつかりあい、お互いの視線が交差した。

 剣を交わしたまま、エルヴィスがぞっとするほど低い声を出した。


「妹は誰かのため自分のことを省みず動き、傷つくことさえ厭わない娘です。その上で、殿下に一つだけ臣下からの進言を」


 視線がますます鋭さを増す。

 並の人間なら震え上がるだろうその視線を無表情に受け止めるディランに、エルヴィスが淡々と言葉を続ける。


「もしあなたのせいで妹が傷つくことがあったなら――王子だろうが王だろうが、俺はどんな手を使ってもあなたを殺す」

「……」


 心にも体にも、髪一筋の傷さえも許さないという意思が込められていた。

 ディランの目がすっと冷える。剣を引いたエルヴィスは鞘に剣を納め、「話はそれだけです」と言った。


「王族に剣を向けた罪は自覚しております。罰は甘んじて受け止めましょう」

「随分と明け透けな殺気ではあったが、殺意は欠片もなかった。今回はくだらない戯れということにしよう」

「残念です」


 肩をすくめるエルヴィスの声音は、本心からのようだった。

 常に損得を考え、合理的な判断を下すディランがこれしきのことでエルヴィスを処分するとは、エルヴィスとて思っていない。

 しかし処罰されれば、王族に剣を向けた身内がいるジゼルの婚約は取り消しになっただろうにと、肩を竦める。


「明日も妹と会うようですが――くれぐれも、お忘れなきよう。妹を守るためならば、俺はどんなことでもできます」


 エルヴィスが丁寧な騎士の礼を執り、去っていく。

 誰もいなくなった休憩室で、ディランはソファに背を預け、上を向いた。

 忌々しげに表情を歪め、右の甲を額に当てる。


「…………最悪な気分だな」


 吐き捨てるように呟かれた声音は、重苦しい部屋の空気に溶けていった。



◇◇◇



(なんて、美しい景色でしょう!)


 目の前に広がるのは、どこまでも続いていく川だった。

 大河とまではいかないが、それでもジゼルが今まで目にしてきた川よりはずっと大きい。

 半年後水害が起こるとは思えないほど穏やかに流れる水面は、陽を反射しキラキラと輝いている。

 しかしそんな心踊る景色に似合わない緊張感が、あたりには漂っていた。


「こ、こんな僻地までようこそおいでくださいました……第二王子殿下にお会いでき、恐悦至極に存じます……」


(お声が震えていらっしゃいます……)


 突然王族を迎えたリットン子爵――この領地を治める貴族だ――は、気の毒なことに額に汗を浮かべて引きつった笑みを浮かべている。冷酷な王子と名高いディランの唐突な来訪の意味がわからず、震えているようだった。

 震えるリットン子爵に、ディランは愛想なく口を開く。


「そのように怯えずともいい。今回は視察以外の目的も兼ねている」

「し、視察以外の目的……?」


 困惑したリットン子爵が首を傾げる。するとディランは極上に甘い微笑をたたえてジゼルの髪に手を伸ばし、掬った一房の髪に唇を落とした。


「王都では人の目があるのでな。古狸どもに、奥ゆかしい婚約者との逢瀬を邪魔されたくはない」

「ありがとうございます、殿下」


(うう、慣れません……)


 それでもディランの言葉に応えるようふわりと柔らかく微笑めば、ディランも金色の瞳をゆっくりと細ませる。

 それはどこからどう見ても、愛し合う恋人同士のやりとりにしか見えないはずだ。


(もちろん大嘘ではあるのですが)

 しかし演技はそれなりにうまくいっているようで、このやりとりにリットン子爵は目を白黒とさせ、あからさまに驚愕していた。

 嘘だろう、との声が全面に出ている引き攣った笑みを浮かべ、揉み手をしながら口を開く。


「い、いやあ……婚約者様との逢瀬に、この領を選んでいただけて光栄です」


 動揺しながらも、その目に滲ませているのは安堵と微かな嘲りだ。

 聡明で、目的のためなら手段を問わない。時として過剰なほど冷酷に振る舞う王子――そんなディランも所詮は人間の男だったのだという、それはそんな色だった。


「……とはいえ。これでも、仕事は真面目に行う方でな」


 そんな侮りを見せたリットン子爵に、ディランが底冷えするような声を出す。


「視察は綿密に行う。まずはここの河川から見させてもらおう」

「ひっ……かしこまりました」


 ディランに冷ややかに言い放たれ、リットン子爵は青ざめて頭を下げた。


(どうなることかと思いましたが、問題はないようです)


 さすがはディランだ。

 女性にめろめろ状態の男性は侮られそうなものだが、身に纏う猛獣のような威圧感が、即座にそれを打ち消している。


(猛獣のような、美しい王子さまに溺愛される婚約者役。……なにぶん恋には疎い身です。重荷でしかありませんが、頑張るしかありません)


 それに、頑張ることは他にもある。

 他所行きの微笑みを浮かべたまま、ジゼルはあたりを見渡してゆっくりと目を細めた。


(――……改善点が、ざっと二十はありますね)


 ぱっと見ただけでも堤防は老朽化が目立ち、それに対しての補修の甘さも窺える。

 また川の水を農業や生活用水に使う際の利便性は大切だが、それらを優先するあまり治水工事が疎かになっている箇所も見受けられた。


(一年後に降る記録的な大雨により、この川は氾濫を起こします。死者及び行方不明者多数、家屋もその殆どが被害に遭い、農作物も壊滅――惨憺たる光景だったと、そう伝え聞きました)


 そういった出来事に心を痛め、ジゼルは前世の日本でさまざまな知識を求めた。そして組長や組員をはじめとする人たちの力も借りてたくさんのことを学んできた。

 今この国にある技術や発想よりも、もっと効果のある治水についても知っている。この場において最適だと思われる方法も、ジゼルの頭の中には入っていた。


 しかし、とジゼルはそっと、横にいるディランの顔を見上げた。

 すると、ちょうどこちらを見ていたらしいディランの金色の瞳と目がぱちりと合う。

 明るい日差しの下で見るディランの瞳は、まるで透き通った蜂蜜のように輝いていた。


(なんて綺麗な瞳……)


 そこまで考えて、ハッとする。


(――ではありません。治水について私の知っている方法を今、この場で殿下にお伝えするわけにはいきません。どうしましょう)


 ディランは、次期王位を巡って第一王子と争っている身だ。正妃の息子であり、多くの高位貴族の支持を集める第一王子に対する一番の武器は、ディランの聡明さ――つまり、打ち立てた幾つもの功績である。


(殿下が提案した治水で災害が防ぐことができたら、王位継承に大きく近づく大チャンスです。しかしその災害が起きる頃、ちょうど婚約を解消する私が提案したものとあっては、殿下の功績にはなりません)


 王族の来訪ということもあり、今この場には人が多くいる。一言二言ならともかく、長々とひそひそ話をするわけにもいかないだろう。


(よし、一度馬車に戻って紙に書いてお渡しいたしましょう)


 拳をぽん、ともう片方の掌に打ちつける。我ながら名案だと思いつつ、ジゼルはにこにこと口を開いた。


「恐れ入ります、殿下。わたくし――」


 このまま場を離れる旨を告げようとしたところ、ジゼルの様子を見守っていたディランが、その言葉を遮るように口を開いた。


「何か考えついたことがあるのなら、今ここで自由に話せ」

「え」


 驚いて見上げると、ディランが「何をそんなに驚くことがある」と事もなげに言った。





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