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夜会




 会場となるアースキン伯爵邸のダンスホールには、そうそうたる面々が集まっていた。

美しく着飾った女性たちに、仕立ての良さがわかる正装を身につけた男性たち。グラスを片手に談笑しているのは高位貴族、または財力や名声を得ている貴族ばかりのようだった。


(しかし、殿下が入った瞬間に空気ががらりと変わりました)


 音楽隊が奏でる演奏は、ホールに心地よく鳴り響いている。

 そのため囁かれる会話は聞こえないが、その唇の動きから彼らが何を話しているのかおおよそ判断することはできた。


「あれはディラン殿下ではないか」

「社交嫌いの王子が、なぜ夜会に?」


 皆ディランが来たことに驚いているようだった。自然と、その隣にいるジゼルにも注目が集まる。


「共にいる女性は誰だ」

「あれはイグニス伯爵令嬢ではないか。……スミス子爵令息と婚約を解消しディラン殿下と婚約したと聞いたが……あの噂は本当だったのか?」

「あの落ちこぼれ令嬢と?」

「しっ……それにここ一年ほどは彼女も才を見せ始めたと聞いているぞ」

「しかしあれは……」


 そんなひそひそとした会話をする貴族を、ディランが冷たく一瞥する。


「……!」


 先ほどまで会話をしていた彼らが、ぴたりと口をつぐむ。心なしか顔色も悪いように見えて、場の空気が一気に重く、冷え込んだ。


「殿下?」


 困惑したジゼルは、ディランに声をかけた。

 周りを畏怖させるほど、ディランが悪いことを言われたとは思えない。社交嫌いとはいえ程があるのではと、こっそり進言しようとした時。

 驚くべきことが起きた。


「……他の人間の声など聞かなくていい。あなたの耳が汚れる」


 そうディランがまるで壊れものに触れるように優しくジゼルの手を掬い、手の甲に唇を落としたのだ。


「今日のあなたは俺だけを見て、俺の言葉だけを聞いていればいい」


 それはまるで愛しい恋人に向けるような、痺れる程に甘い声音だった。


「――……!」


 場に、衝撃が広がった。

 音楽隊の旋律にも負けないどよめきがあたりに走る。皆一様に目を見開き、信じられないものを見るような顔でディランとジゼルに目を向けていた。

 しかし、その中の誰よりも驚いたのはジゼルのはずだ。

 目を白黒させるジゼルを気にする様子もなく、ディランは端正な顔立ちに甘い微笑みを浮かべ、「ああ、安心するといい」と言った。


「あなたに非礼を働く者は、俺に非礼を働いたも同然だ。報いは必ず受けさせよう」

「っ、殿下⁉︎  お戯れはおやめください……!」

「戯れであるものか。――あなたを傷つけたものを、俺が許すとでも?」


 そう言ってディランは、再び冷ややかな視線を周りに送る。

 会場はもう、お通夜も同然の雰囲気だった。


(どうして殿下までお兄さまと同じような発言をされているのですか⁉️)


 もしや男性は夜会にくると過保護にならなければならない法律でもあるのだろうかと、そんな馬鹿げた考えまでよぎる。

 ディランの裾を引き、慌てて再度口を開いた。


「私は非礼とは思っておりません、どうぞおやめください」

「……あなたがそう言うのなら」 

 ディランが不服そうな、残念そうな雰囲気を装いながら頷いた。その様子に、さらに大きなどよめきが走る。

 驚愕と言った表情で、皆がひそひそと話し始めた。唇を読まずとも、その会話の内容には見当がついてしまう。


「――あの殿下が……⁉︎」

「まるで愛おしい恋人に対するような……!」


 そういった類のことを言われているのだろう。この言動が勘違いを招くことなどディランには読めていただろうに、なぜこのようなことをしたのだろうか。


(こ、これではまた皆さまが引き潮のように引いていってしまいます……!)


 兄と参加するいつもの夜会が脳裏に浮かぶ。

 これでは婚約者になった意味がないと苦情を訴えようとしたところ、ディランが耳元で「問題ない」と囁いた。


「どのような事情を抱えていようと、王族を無視することはできないからな。――ほらな」


 冷めた響きの言葉を受けて目を向けると、ディランの言う通り貴族たちがやってくる。この国の重鎮である、そうそうたる面々ばかりだ。


「ディラン殿下……お久しぶりでございます。まさか夜会でお会いできるとは」

「久しいな、バトラー侯爵」


 恭しく礼をする貴族たちに、ディランも無愛想ながら挨拶を返していく。


「ディラン殿下、お会いできて光栄です。お隣にいらっしゃるのはイグニス伯爵令嬢のようですが、まさか……」

「婚約者だ」

「おお……!」


 ディランの言葉に、尋ねた男性――名家であるエイブル伯爵家の当主だ――だけでなく、会場にいた全員が驚きジゼルとディランを注視する。


「で、殿下に婚約者のご令嬢が……陛下がお決めに?」

「いいや。妻となる女性を決める采配ぐらいは与えられている」


 そう言うと、ディランがジゼルの腰にするりと手を回す。愛情深いその表情は、嘘とわかっていても心臓に悪い。

というより、意味がわからなくて怖かった。


(……どうしてか殿下は、私を愛する婚約者のふりをしたいようです)


 そうであれば、動揺は見せずに振る舞うべきだろう。

 困惑を飲み込み、ディランの振る舞いが当然のものであるように振る舞う。挨拶に訪れる貴族たちと笑顔で談笑を交わしながら、ジゼルはそれとなく貴族の力関係や交友関係を観察した。


(バトラー侯爵とアースキン伯爵は親しいのですね。……しかし、家格が高いバトラー侯爵に対し、広大で肥沃な領地を持つアースキン伯爵の方が力関係は上のご様子)


 談笑の輪に加わりながら観察すると、貴族名鑑や噂話だけでは見えてこなかったものが見えてくる。


(前世、没落した我が家の領地を授かったマレ伯爵は非常に交流関係が広いようです。……色々な方々――特に侯爵以上の高位貴族や、財力がある貴族家中心に交流されているようですね)


 特に前世、イグニス伯爵家の没落に少なからず関わりのあった貴族たちの動向をさりげなく観察する。

 王子の婚約者として相応しい振る舞いを心がけつつ、観察した情報を頭に叩き込んでいるその時、低い声が聞こえてきた。



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