苦手なもの
迎えた夜会当日、ディランは時間ぴったりにやってきた。
(すごい美貌……)
重厚な黒い馬車を背に立つ正装したディランの姿は、まるで芸術品のようだった。
銀色の髪を後ろに撫でつけていて、形の良い額がよく見える。
白を基調とした品の良い仕立ての上着には華やかな刺繍が施され、彼の美しさを引き立てていた。
対するジゼルは、そんなディランの側でよく映える淡い金色を基調としたドレスを身に纏っている。
光沢のある生地に幾重にもシフォンを重ねて作られたそのドレスには、アクセントに金糸銀糸で繊細な刺繍が施されていて、動くたびにきらきらときらめく。
髪はゆるく巻き、まとめてサイドに流した。耳の上あたりを彩る髪飾りには、ジゼルの瞳と同じ輝く緑色の宝石があしらわれている。
華美というよりは洗練された印象を与えるそのドレスは、王子の婚約者として相応しい品格も備えていた。
ディランにエスコートされるには、これ以上ないほど最適なドレスだといえるだろう。
(さすがお父さま。女性が身につけるものを選ぶことにかけては、天才的です)
装いは自身を守る鎧のひとつになる。この鎧なら、どんな夜会【戦場】だって充分に戦えるだろう。
あらためて安堵したあと、ジゼルはディランに目を向け――その美貌に、目を細めた。
(とはいえこうも美しい殿方のそばにいては、霞んでしまいますが)
元々美しい男性だが、正装姿は別格だ。
感心しているジゼルに、ディランが「イグニス伯爵はいないのか」と言った。
「父は兄と共にすでに出ております。もうアースキン伯爵邸へ着いているかと」
父が先に出たのは、おそらくエルヴィスとディランを鉢合わせさせないためだろう。夜会で会うのはどうしようもないが、さすがの兄でも高位貴族や重鎮が集まる場所で王族であるディランに喧嘩を売ったりはしないはずだ。しないでほしい。
そう心の中で切に切に女神に願いながら、ジゼルはディランに目を向けた。
「父に何か用事がありましたか?」
「挨拶はすべきだろう。大切にしているご息女を預かるのだから」
ジゼルの問いにディランが端的に答える。
予想外の答えに、ジゼルは驚いて目を瞬かせた。
(意外と常識がおありでいらっしゃる……)
交渉、懐柔、脅迫。普通とは程遠い求婚をした人物とは思えない。
表情に出さずそんなことを考えているジゼルに、ディランがじろりとした視線を向けた。
「全部顔に出ているぞ」
「何のお話でしょう?」
「生憎俺は人の表情を窺うのが得意でな。あなたが気を抜いて考えていることは、おおよそ見当がつく」
「……」
気まずくなり、目を逸らす。
そんなジゼルに、ディランの視線が容赦無く突き刺さる。
「どうせ思ったよりも常識がある――などと思っているのだろう」
「…………申し訳ありません」
観念した。そこまで読まれてしまっては、全面降伏するほかない。
(得意なものが多すぎます……)
前世で学んだ表情管理にはそれなりの自信があったのだが、ディランには通用しないらしい。
この方には不得意なことがないのだろうかと考えるジゼルに、ディランが手を差し出した。
「いくぞ」
エスコートしてくれるということだろう。真っ白な手袋を嵌めたその手に手を乗せ、促されるままに馬車の中に乗り込む。
対面に座ると、ディランは長い足を組んで分厚い書類を取り出した。
「アースキン伯爵邸までそう時間はかからない。好きに過ごせ」
書類に目を落としたまま、ディランが言う。
確かにディランの言う通り、アースキン伯爵邸までかかる時間はそう長くはない。
(僅かな時間にも執務を行うなんて、勤勉ということもあるのでしょうが……それほどご多忙なのでしょう)
ディランは残虐な王子、冷酷な第二王子と悪評ばかり聞く。しかし同時にディランの聡明さやその手腕も有名だ。
第二王子であり母の身分が高くなく、社交を行なっていないにも関わらず王位継承に一番近いとさえ言われている。
それは悪評をものともしない程に精力的に公務をこなし、そして実績をあげていることの証左だった。
「ありがとうございます」
「何がだ」
「お忙しい中、わざわざ約束を守っていただきました」
ジゼルがそう礼を言うと、ディランが笑った。
「仮にも俺の婚約者となるのなら知っておいて損はないと思うが、俺は利のないことはしない。つまり今日あなたとの約束を守ることは、俺にとっても利があるということだ」
「……利、ですか?」
「ああ。だが今それについて説明する気はない」
書類を目で追いながらそう言うディランは、どう聞いたところでそれ以上答える気はなさそうだった。
(殿下にとっての利、というものは気になりますが……)
小さく息を吐く。
「少し安心いたしました」
「安心?」
「ええ」
顔をあげて怪訝そうな表情をするディランに頷く。
「私と殿下は契約を交わした婚約者ですから。お忙しい中、対価を払う前に一方的に利益をいただくのは心苦しいと思いまして」
「おかしなことを言う」
ディランが眉を寄せ、ますます怪訝そうな表情をした。
「あなたにとってこの婚約は、脅迫同然な交渉によって締結された不本意なものだと思っていたが」
「それはそうなのですが、最終的にこの婚約をお受けすると決めたのは私ですから」
自分自身で決めたことを、不本意なものだと嘆くつもりはない。
それにディランが出した交換条件は、ジゼルにとっても大きなメリットがある。一方的に搾取されているわけではないのだった。
(対価として何を求めるのかが気になるところですが――聞いても『そのうち言う』の一点張りで答えてもらえませんでした。予知の力が使える一年の間ということは、今後起こるだろう何かを聞きたいということに間違いはないのでしょうが)
政敵の情報か、貴族の動向か――思いつくものは婚約者に据えずとも聞ける内容だが、もしかしたら他に何か思惑があるのかもしれない。
しかし、一度は命まで賭けた身だ。
何を望まれようとも、ジゼル自身の信念に背くもの以外であれば協力しようと決めている。
(もちろんその分、得られるものはすべて得ようと思っていますが)
あらためて心に誓い、ジゼルは口を開いた。
「折角婚約者という身分をいただきましたので、私は殿下のお側で得られるものはすべて得ようと思っています。ですので殿下も、どうぞ私をご利用ください。……協力できるのは、私が許容できる倫理観の範囲内とはなりますが」
「……」
ジゼルの言葉に、ディランがとても珍しいものを見たかのように目を見張った。
「……何か?」
何かおかしなことがあったのかと小首を傾げると、ディランは数秒沈黙したあと、「いや」と小さく唇を持ち上げる。
「おかしな女を婚約者に据えてしまったなと」
「……どうしてこの流れで悪口を……?」
おかしな女呼ばわりされるようなことは言っていないはずだ。
愕然としながらやはりディランの思考回路は謎に満ちているとジゼルが眉を寄せると、ディランが微かに笑う。
「悪口ではなく、褒めたつもりだ」
「まあ……」
(社交嫌いだからでしょうか……どうやら殿下は、対人だけは不得意のようです)
おかしな女が褒め言葉になると思っているのなら、さぞかし社交には苦労することだろう。
そう心の中で思うジゼルに、ディランは面白がるような目を向けたのだった。




