求婚(脅迫)
「俺の婚約者になることだ」
「えっ……⁉︎」
衝撃で、何を言われたのかはしばらく理解ができなかった。
何を言っているのだろうか、この方は。
「あなたにとっても、願ってもない条件だと思うが」
しかしジゼルの動揺に構わず、ディランはそんなことを言う。
「……それが私にとって、願ってもない条件、ですか……?」
「ああ」
困惑するジゼルに、『当然だろう』と言いたげな表情でディランが頷く。
「話を聞く限り、イグニス伯爵家を陥れた相手は綿密な証拠を偽造し、証人を買収・脅迫できるような人物なのだろう? 俺の婚約者という名目なら、様々な高位貴族の重鎮と自然と交流が深められる」
「……! しかし、殿下は社交がお好きではないと」
「それくらいの手助けならしてもいい。……社交嫌いの第二王子が社交の場に出たら、派閥を問わず全ての貴族が挨拶にはやってくる」
どうでも良さそうに言いながら、ディランが温度のない瞳をジゼルに向けた。
獲物を狙う、捕食者のような瞳だった。
「……察するところ、実の父や過保護の兄に、能力を開花させるため命を絶ったことは知られたくないのだろう。心置きなく社交できる機会を、断る理由はないと思うが」
(……まだお父さまやお兄さまに内緒にしていただくよう、頼んですらいませんのに)
短い会話の中で、そこまで察してしまったのかと改めて舌を巻く。
(でも確かに、殿下のお申し出はとてもありがたいことです)
イグニス伯爵家を陥れた人物やその動機を探るためには、社交に出ることが重要だと常々思っていた。
しかし社交に出る際、必ずエスコート役を務めるエルヴィスと一緒だとろくな情報収集もできないのだ。
かつてジゼルを影で『落ちこぼれ』と噂していたらしい人間たちは老若男女問わず全員エルヴィスと『温厚な話し合い』を交わしたらしく、以来その者たちは皆、エルヴィスの姿を見ると脱兎のごとく逃げていってしまう。
そんな兄は社交のたびに、まるで要塞のようにジゼルのそばに立つ。
(正直に言って……すごく邪魔です)
そんな状況で情報収集などできるわけがない。しかし、父にエスコートを頼むのも憚られた。
レジナルドはイグニス伯爵家に生まれる才なき者が、女神からの祝福を授かった者だという伝承を知っているからだ。
(お父さまはそのような奇跡の類を信じる方ではありませんが……)
なんせレジナルドは『女神様がいたら腹痛なんてこの世にないよ』などと不敬なことを言う現実主義者だ。
それでもここ一年のジゼルの様子に、確実に違和感を覚えているだろう。これ以上藪をつつくのは避けたいため、社交の名手であるレジナルドに何かを探っている姿を見られるのは避けたかった。
(殿下は、そこまでお見通しの上で私にこの取引を持ちかけているのでしょう。でなければ、重鎮との交流をメリットとは言わないでしょうから)
ディランの読み通り、この話は願ってもない話だった。
(ですが……)
「申し訳ありませんが、お断りいたします」
「……ほう」
ジゼルが断ると、ディランは驚いたように片眉をあげた。
断られるとはついぞ思っていなかった、というような顔だ。
「理由を聞いても?」
「私と殿下では、生涯を共にするには価値観が違いすぎるためです。王子妃は殿下をお支えする者。殿下と真逆の価値観を持つ私が王子妃になった場合、少なからず国政に影響を及ぼすことになるでしょう」
こちらを射抜くような金色の目をまっすぐに見返し、ジゼルはきっぱりとした口調で答えた。
「――まだ他の手が残されているのに、人を殺めるようなお方を好きにはなれません」
「……」
ジゼルの言葉に、ディランが微かに目を見開く。
そのまま何かを考えるように長いまつ毛を伏せ、数秒の沈黙の後「わかった」と言った。
「! ご納得いただけたようでよかったです。では……」
「極力殺さないと約束しよう」
「え?」
予想外の言葉に、思わず目を見開く。そんなジゼルにディランは冷めた表情のまま「俺は、約束は破らない」と言った。
「そもそもあなたが俺を好きになる必要も一切ないがな。元よりあなたとの婚約関係は、あなたが『予知』できる、あと一年の期間のみでいい」
「⁉︎」
ずいぶんと尊大で勝手な言い草に、ジゼルは目を瞬かせた。
「一年間、ですか?」
「ああ」
「それでは私は、短期間に二度も婚約を解消された女になってしまうのですが……」
さすがに今後の結婚相手を探すのに支障が出る。ましてや二度目の婚約解消の相手が王子とあってはなおさらだ。
困り果てるジゼルに、ディランは「お望みならば本当に俺の妻にしてもいいが」と笑った。
「どちらかといえば、俺はその方が都合が良い。――未来を見たその力以外にも、あなたは存外使えそうだ」
「それは……」
「嫌ならば、観念することだ」
薄く笑ったディランの金色の瞳が、どこから仄暗さを帯びたように見えた。
「どちらにせよ俺に弱みを握られてしまったあなたに、拒否権はない」
困惑するジゼルの手に、長くしなやかな冷たい指がするりと触れる。
あっと思った瞬間にはディランはジゼルの指の間に指を通し、絡めるように手を繋いでいた。
繋いだジゼルの手の甲に、ディランが見せつけるように柔らかく唇を落とす。
「なっ……!」
「よろしくな、婚約者殿?」
目を見開くジゼルに、ディランはちっとも楽しくなさそうな顔で笑ったのだった。




