191 パルキニア共和国 アーテル編 part1
南の島の夜。
波はやさしく寄せては返し、星々が空に瞬いていた。
アリスたちは砂浜で焚き火を囲み、久しぶりに心安らぐ時間を過ごしていた。
ディネが髪をなびかせながら言った。
ディネ「これで、ようやく終わったのね。異界の門も閉じて、平和が戻った。」
サラが串焼きを頬張りながら、笑う。
サラ「やっとよ! 戦いのない日々、最高じゃない!」
ノームも頷く。
ノーム「ええ。みんな、それぞれの場所に戻っているようですし。」
アリスは焚き火の炎をじっと見つめていた。
火の揺らめきの奥に、あの“門”の光が一瞬よぎった気がした。
だがすぐに頭を振って微笑む。
アリス「そうだね。きっともう大丈夫。」
……そのときだった。
遠くの水平線の向こうで、ほんの一瞬、夜空が歪んだ。
ノームが眉をひそめる。
ノーム「今……何かが、揺れましたね。」
アリスの瞳が鋭く光る。
アリス「……感じた。次元の層が、一瞬だけ震えた。」
ディネが立ち上がる。
ディネ「まさかね。“門”の残響なんて……?」
火が弾ける音が、妙に耳に残る。
南の夜は、確かに何かを告げていた。
翌朝。
アリスたちは、レイン王国の魔法学都〈アクレシア〉へと飛んだ。
そこでは、ライラが魔導塔の最上階で観測儀を操作していた。
ライラ「来たのね、アリス。」
ライラの声はいつもより低く、緊張を帯びていた。
アリス「……また次元震か?」
ライラ「ええ。観測によると、閉じたはずの“門”が、別の層で脈動している。
まるで、何者かが――“外”から触れているようなの。」
ライラが魔導盤を浮かべ、アリスに投影を見せる。
空間の模型が揺らぎ、中心に薄紅色の光点が瞬いている。
ライラ「封印の波動が、“再振動”しているの。
あの時クロノスの力で閉じた門……その残滓が、今になって誰かに共鳴している。」
アリスは息を呑む。
アリス「誰か……“神の影”?」
ライラは頷いた。
ライラ「クロノスが消える直前に言っていたわ――
“この時代の神々はまだ眠ってはいない”って。」
その夜。
アリスは静まり返った魔導塔の屋上で、一人星空を見上げていた。
彼女の周囲に、薄い銀色の霧が立ち上る。
やがて、時間の粒子のような光が形を取り、クロノスの幻影が現れた。
クロノスの幻影「……アリス。まだ眠れぬか。」
アリス「あなたの力で封じたはずの門が、また動いている。
どうして? 何が起きてるの?」
クロノスの目が深く、悲しげに光る。
クロノス「“門”とは、単なる通路ではない。
あれは神々の意識そのものが世界と接触した“痕跡”だ。
我が力で閉じても、神意が残る限り、再び揺り返す。」
アリスは拳を握る。
アリス「じゃあ、また誰かが……“門の向こう”に?」
クロノス「否。今回は、誰かが“中から出ようとしている”。」
空が裂けた。
遠く、雲の切れ間に――巨大な目のような光が、ゆっくりとこちらを見ていた。
クロノスの幻が消える直前、風の中に声が響いた。
クロノス「次に動くのは“神の代行者”。
――気をつけろ、アリス。」
翌日。
アリスは聖都パブロフに赴き、聖女シシーリアと再会した。
聖女「……やはり、動き始めたのですね。」
聖女の青い瞳が、アリスをまっすぐ見据える。
アリス「異界の門を通じて流れ込んだ“神の残滓”。
それが封印の再振動を引き起こしているのです。」
アリスは頷き、剣の柄を握りしめた。
アリス「もう、見過ごせない。――ライラと一緒に、再調査に入る。」
聖女は微笑んだ。
聖女「ええ。そして、私も同行します。
今度は、“祈り”だけでは足りませんから。」
光の中に三人が並び立つ。
アリス、ライラ、聖女。
三人の運命が再び重なった瞬間――地の底から微かな“鐘の音”が響いた。
それは、封印の奥で蠢く新たな存在の目覚めを告げる音だった。
夜。
レイン王国の廃神殿の奥。
かつて勇者召喚の儀が行われたその場所に、金の衣をまとった一人の影が立っていた。
その者の額には、古代神々の紋章――“六翼の環”が輝いている。
アーテル「この世界は、まだ神の秩序に満ちていない……
ならば、我が“神意”を以て、新たな調律を施そう。」
足元に刻まれた魔法陣が光り、天井がひび割れる。
そこから、天使とも悪魔ともつかぬ白銀の翼が、ゆっくりと降りてきた。
アーテル「――名を、アーテル。
我は、“神の代行者”なり。」
その声は、世界の理そのものを震わせるような響きを帯びていた。
アリスたちが到着したとき、神殿の空はすでに光で満ちていた。
天から降る無数の羽、地を焼く聖なる炎。
聖女が目を見開く。
聖女「あれは……“代行者”!? まだ存在していたなんて……!」
ライラが呪文を展開しながら言う。
ライラ「神の力……人の器じゃ受け止めきれない!」
アリスは剣を抜いた。
その刃に、火・水・土――三精霊の魔力が宿り、虹色の光が走る。
アリス「じゃあ、もう一度だけ――世界を守るとしよう。」
アーテルが静かに言葉を返す。
アーテル「ならば、神の審判を受けよ、人の勇士。」
天と地が交錯した。
光と影が混ざり、時の流れさえ凍りつく。
クロノスの残響が遠くで囁く。
クロノス「アリス……これが“最後の鐘”だ。」
風が止まった。
空は鈍色に濁り、海の音さえ沈黙した。
“灰の聖堂”での戦いから幾日も経たぬうちに、世界は再び「何か」を孕み始めていた。
レンブラン王国の上空。
夜空の星々が一つ、また一つと光を落とし――代わりに、光を吸い込むような黒い脈が天へ伸びる。
ライラが望遠鏡を覗き、震える声で言った。
ライラ「……まさか、封印が、逆流してる……!」
アリスは静かに目を細めた。
彼女の指先に淡く蒼の魔力が灯る。その輝きは、あのとき“時空神クロノス”を呼び出したときのものと同質――だが、もっと深く、もっと冷たい。
アリス「時間の位相が、反転してる。封印の“外側”が、内側を侵食してるんだ。」
聖女は祈りのポーズを取ったが、その額に冷や汗が伝う。
聖女「アリス、感じる? この気配……“彼”が――帰ってくる。」
アリス:「……“彼”?」
そのとき、世界の空が裂けた。
黄金と深黒が交差する閃光――
それは、かつて封印の門に触れ、すべてを見届けた者の影。
降臨したのは、神の代行者・アーテル。
彼の姿は人のようで、人でなく、光と影が交互に脈動していた。
その声は、風も時も震わせるほどに静かで、絶対だった。
アーテル「――アリス。汝の行いは、神の定めを越えた。」
アリスは短く息を吐く。
アリス「定めなんて、最初から“誰か”が決めた線でしかない。私は、それを塗り替えるためにここにいる。」
アーテル「定めを越えることは、存在を否定することだ。
汝は救済を選んだようで、秩序を壊した。」
アリス「秩序が人を救うとは限らない!」
「“神の正義”が全員を救えたことなんて、一度でもあった!?
私は、世界が“選ばれなかった者”の涙で作られるのをもう見たくない!」
アーテルの瞳が、僅かに揺れた。
ほんの一瞬だけ、彼の中に“迷い”の影が見えた。
だが次の瞬間、彼の背後に六枚の光翼が広がる。
それぞれが異なる属性の理――時、記憶、命、空、因果、そして“無”。
アーテル「ならば証明せよ。
神を越える意志とは、何かを。」
天地が反転した。
重力が消え、空間が裂け、音が光に変換される。
“神の戦場”が開かれたのだ。




