189 パルキニア共和国 勇者召喚編 part7
◇ 霧に包まれるパルキニア
夜の森。パルキニア共和国の廃都近く。
倒壊した神殿跡から、灰色の霧が溢れ出していた。
その中を進む聖騎士たちは、息を荒くして剣を構える。
聖騎士「……声が、聞こえる……」
霧の中で囁くのは、人間とも魔族ともつかぬ声。
霧「私を返せ……」
霧「痛い……終わらない……」
霧「勇者……どこだ……」
恐怖に駆られた聖騎士が駆け出した瞬間、霧が凝縮し、人影となって飛びかかった。
その目は赤く、形を持たぬはずの口からは、悲鳴のような咆哮が響いた。
――それは、かつて勇者召喚の生贄にされた魂の残滓だった。
◇ ライラの解析
翌日、大聖堂の会議室。
ライラは結界石に映し出された調査映像を食い入るように見ていた。
ライラ「やっぱり……。あれは“異界に取り込まれかけた魂”。
勇者召喚で命を落とした神官や兵士たちの残滓が、
異界の力に引きずられて、形を与えられたんだわ。」
アリスは腕を組み、深いため息をつく。
アリス「つまり、勇者を呼ぶために犠牲にされた連中が、
今度は“異界の手先”として蘇ったってことか。」
聖女は瞳を閉じ、重い声で告げた。
聖女「彼らは敵であり……同時に救うべき者たちでもある。
鎮めずに斬り捨てれば、魂は完全に異界へ堕ちるわ。」
アリスはぼやきながらも頷いた。
アリス「はいはい、また難しい役回りってわけね。」
◇ リト王国の港町
夜の海に、不自然な“星座”が浮かんでいた。
漁師たちは恐怖に震え、子どもは泣き叫ぶ。
その星座は赤黒く輝き、やがて海面に映り込むと――
海の中から、無数の腕のような影が伸び上がった。
アリス「うわああああっ!」
逃げ惑う民衆の前に、アリス、ライラ、聖女が転移してくる。
聖女は即座に杖を掲げ、聖光の結界を張る。
聖女「闇の手よ、退け!」
だが影は結界に触れると、まるで“触手”のように形を変えて絡みつき、
光を食らうようにじわじわと結界を侵食していく。
ライラが冷や汗を流しながら叫ぶ。
ライラ「だめ! あれ、ただの魔力じゃない。
魂そのものを糧にしてる……!」
アリスは短剣を抜き、結界の外へ飛び出した。
アリス「なら切り離すまでだ! ――《時裂断》!」
時を断ち切る閃光が走り、影の一部が霧散する。
しかしその断面から、無数の“人の顔”が浮かび上がり、
呻き声を上げながら再び影が伸びてきた。
アリスの心に冷たい戦慄が走る。
(これ……全部、人間の魂……!?)
◇ 聖女の葛藤
結界の内で、聖女は強く唇を噛んでいた。
聖女「斬れば、救えない……。でも、斬らなければ……この国が呑まれる。」
聖女は杖を強く握りしめ、光を圧縮し始める。
その瞳には涙が滲んでいた。
聖女「ごめんなさい……。どうか、一部だけでも……光の中で解放されて。」
光が弾け、港町全体を包み込む。
数多の顔が一瞬だけ安らぎの笑みを浮かべ――やがて消えた。
アリスは振り返り、沈痛な面持ちで呟いた。
アリス「……あんたも辛い役だな。」
聖女は微笑もうとしたが、声は震えていた。
聖女「これが、救済の代償よ……。」
◇ 不気味な残響
戦いの後、静まり返った港。
だが空にはまだ、赤黒い星座が残っていた。
ライラが顔を青ざめさせて告げる。
ライラ「これは……序章に過ぎない。
“余波”じゃなく、明確な干渉……向こうの世界が、確実に門をこじ開けようとしてる。」
アリスは夜空を睨み、吐き捨てる。
アリス「だったら――こちらも全力で叩き返すだけだ。」
聖女はそっと祈りを捧げる。
聖女「どうか……次は魂を斬らずに済む道が、見つかりますように。」
◇ 星の落ちる夜
リト王国北部、荒れ果てた荒野。
月も隠れる暗黒の空に、赤黒い光の筋が流れ落ちた。
その落下点を中心に、地面が亀裂し、異様な霧が吹き出す。
風は逆巻き、鳥は逃げ去り、虫すら鳴き止む。
そして――裂け目の中から、一人の少女の姿が現れた。
銀色の髪を風に揺らし、瞳は燃えるような紅。
その顔は、アリスが一瞬だけ息を呑むほど、記憶に刻まれた者のものだった。
アリス「……マリー?」
アリスの声に、少女はかすかに笑みを浮かべる。
だが次の瞬間、瞳が濁り、声が幾重にも重なる。
アリス「マリー、ではない……。我らは集う魂。異界を渡り、門を開く者――“先遣者”だ。」
◇ 記憶の影
アリスの脳裏に、数年前の光景がよみがえる。
勇者召喚の儀に巻き込まれ、共に異界から呼ばれた少女――マリー。
だが、彼女は召喚の直後に行方不明となり、誰も見つけることができなかった。
アリス「……お前、あの時……」
アリスの胸に、重い後悔が突き刺さる。
(私が、守れなかった……。)
その葛藤を見透かすように、“マリーの形”をした存在が嘲笑する。
マリー「救えなかった魂は、すべてこちら側に堕ちた。
我らは勇者召喚の代償。失敗の残滓。
アリス……お前の選択が、我らをこの姿に変えたのだ。」
◇ 聖女の祈り
聖女は一歩前に出て、杖を掲げる。
聖女「迷える魂よ、光の下に還れ!」
眩い光が迸る。
だが少女の体は光を受けても崩れず、逆に影を濃くして笑った。
マリー「無駄だ。救済などという安っぽい言葉に縋るほど、我らの苦痛は軽くない。
お前の光は、ただ眩しいだけだ。」
聖女の胸に強烈な痛みが走る。
自分の祈りが届かないことへの絶望――それでも彼女は杖を下ろさなかった。
聖女「……それでも、私は諦めぬ。たとえ一片でも、光で満たせるのなら。」
◇ ライラの冷徹な分析
ライラは瞳を光らせ、手元の魔導盤に次元の波動を記録していた。
ライラ「これは……ただの集合体じゃない。
一つひとつの魂が“互いの記憶”を繋ぎ合い、擬似的な“人格”を形成してる。
つまり――“マリー”はその中の一部に過ぎない。」
アリスは歯を食いしばる。
アリス「……一部でも、本物なら……私は斬れない。」
ライラは彼女を見据え、冷静に言い切った。
ライラ「甘さは命取りよ、アリス。彼女を救いたいなら、まずは敵を討ち倒すしかない。」
◇ 激突
赤黒い霧が荒野を覆い尽くす。
少女――先遣者はその中心で腕を広げ、魂の悲鳴を叫ぶ。
マリー「来い……堕ちた者たちよ!」
無数の影が、兵士の姿、神官の姿となって地面から這い出す。
その一体一体に、かつての人間の顔が浮かんでいた。
アリスは短剣を構え、唇を噛み切るほど強く結んだ。
アリス「……来い。私が――全部受け止めてやる!」
聖女が背に結界を張り、ライラが魔法陣を展開する。
三人の戦いが始まろうとしていた。