186 パルキニア共和国 勇者召喚編 part4
<南の島>
アリスたちは南の島のビーチでのんびりしていた。
ディネ「ところで勇者はどうなったの?」
アリス「確か封じされたと思うけど。」
ノーム「元に戻ったのですか?」
アリス「いや。次元の狭間に封じられていると思う。」
サラ「かわいそう。普通の少年だったのに。」
アリス「聖女に言ってくれ。私の性ではない。」
サラ「人の性にしている。ひどーい。」
アリス「あのときはそれが精一杯だったんだよ。仕方ないじゃん。」
ノーム「勇者の少年も不運ですね。」
サラ「勇者を元の世界に戻してあげなよ。」
アリス「それは聖女に言って。私はそのやり方を知らないからさぁ。」
南の島は日差しが傾き、海は黄金に染まりつつあった。
波打ち際でくつろぐノームとサラの笑い声が響く中、アリスは少し離れた岩場に立ち、沈む夕日を見つめていた。
その背中を追って、ディネがそっと近寄る。
ディネ「アリス、さっきは少し冷たかったね。サラもああ見えて心配してるんだよ。」
アリス「……わかってるよ。
でもね。本当はあの少年――勇者は、本来は戦いに巻き込まれる必要なんてなかったんだ。
あの子はただ、あの世界で家族や友達と過ごすべきだったんだよね。」
海風に銀髪が揺れる。アリスはそっと目を閉じ、小さく息を吐いた。
アリス「仕方ないね。私がどうにかしないとね。よし!」
アリスはゆっくり手を掲げ、淡い声で詠唱を始める。
聞き取れないほど古の言葉が潮風に乗って響き渡ると、周囲の空間が歪みはじめた。
やがてアリスの周囲に時空の紋章が幾重にも重なって現れる。
それはまるで光と影の網が絡み合うようで、見る者の時間感覚を狂わせるほどだった。
アリス「来い、クロノス――
時を統べ、次元を越えし神よ。」
静かに告げられたその呼び声に応え、
空が裂けるような音とともに、漆黒と白金が混ざり合った巨大な時空の門が顕現した。
その門の奥から現れたのは、悠久の時を背負う老いた神――時空神クロノス。
白く長い髭と、無数の時計機構をまとった威容が、あたりの時を重く支配する。
クロノスは瞳を細め、アリスを見下ろしてゆっくり口を開く。
クロノス「久しいな、我が主よ。
何ゆえ我をこの地へ顕現させた?」
アリス「頼みがある。
異界から来た勇者の少年を――
元の世界へ返してやりたいんだ。」
アリスの声は強くも優しかった。
クロノスはしばらく何かを見透かすようにアリスを見つめ、
やがて小さく肩をすくめた。
クロノス「お前がそのような顔をするのは珍しい。
よかろう。時の糸を編み直し、その少年を元の座へ還そう。」
クロノスは片手を天に掲げる。
その掌に浮かぶのは無数の光糸――世界の時間軸だ。
そこに細く絡んでしまった勇者の糸を、慎重に摘み上げていく。
アリスは思わず息を呑む。
ほんの一糸を摘まむだけで、この世界の空間は震え、音が波のように乱れた。
クロノス「脆いものだな。異界の者の糸は。……だが、必ず戻そう。」
クロノスの指先から柔らかな光が広がり、その光は勇者のいる次元の狭間へと届く。
次元の狭間は暗く淀んだ虚無だった。
そこに、ぼんやりと佇む少年――勇者。
白い息を吐き、寂しそうに目を伏せていたが、突然胸元が暖かくなり、顔を上げた。
彼の目の前に淡い光の道ができる。
それはクロノスが編み上げた、彼を元の世界へ還すための唯一の道だった。
勇者はその光にそっと触れ、恐る恐る歩き出す。
その歩みの先に、微かに見える――元の世界の風景。
自分の家。友達。家族の笑顔。
勇者「……ありがとう。」
少年は誰にともなくそう呟き、光の中へ消えていった。
光の道が消えると同時に、クロノスもまた霧のようにその姿を薄めていく。
アリス「いつもありがとう。クロノス。」
クロノス「いつかお前がまた時を揺るがす時まで……我は眠ろう。」
そして時空神クロノスの姿は消え去った。
波音だけが残る浜辺。
そこにアリスはひとり立ち尽くし、ゆっくり目を閉じた。
アリス「これで良かったよね。勇者。」
サラ「アリスは、何のかんの言いながら結局は優しいんだよね。」
アリス「うるさい。……さ、バカンスの続きだ。」
照れくさそうに笑ったアリスは、ディネと手を取り、夕日の差す海へ駆け出していった。
波打ち際には、もう新たな傷も歪みもない。
世界はようやく、静かな平穏を取り戻しつつあった。
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勇者が元の世界へ戻され、
各地に開いていた次元の裂け目も聖女、ライラ、アリスの尽力で完全に閉じられた。
空は高く澄み渡り、南の海には虹のように光る小魚の群れが踊る。
レイン王国の空に広がっていた異質の雲もすっかり消え、
大地は緩やかに呼吸を整え直すかのように、青い芽を息吹かせていた。
シエステーゼ王国から届く交易品の馬車はいつもより賑やかで、
ミケロス共和国からの商人たちも笑顔を取り戻しつつある。
世界は確かに平和へ向かっていた。
だが――。
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<パルキニア共和国 灰色の大聖堂>
場所は変わり、パルキニア共和国の首都モンテーヌ。
再建途中の街には未だ崩れた塔や焦げた城壁が目立つ。
その中で、黒ずんだ大理石で造られた古の大聖堂――
灰色のアーチ天井の下で、細い蝋燭の火が揺れている。
老神官トゥメル=ハーンは、深い法衣の袖から青白い指を覗かせ、
古びた大理石の祭壇に置かれた一冊の魔導書へ震える手を伸ばした。
《次元招喚典》
それは数百年前、次元干渉によって幾多の国を滅ぼしかけた禁忌の書。
老神官トゥメル=ハーン「……もう、後がないのだ。」
皺に覆われた口元がゆっくりと動く。
老神官トゥメル=ハーン「パルキニアの栄光を取り戻すには……もはやこれしか……」
老神官は自らの震えを必死に抑えながら、そっと書を開いた。
開かれたその瞬間、空気が変わった。
冷たい風が地下の棺から吹き上がるように床を撫で、
燭台の炎が青く明滅する。
そして天井の壁画――聖女と神の祝福を描いた光の輪が、
ぐにゃりと溶けるように歪んだ。
老神官トゥメル=ハーン「……ふふ……これで、再び神は我らの国に力をお与えくださる……!」
しかし老神官の瞳には、常軌を逸した光が宿っていた。
脳裏をよぎるのは、灰となった同胞、廃墟と化した国土、
泣き崩れる民の姿。
あの惨状を二度と繰り返さぬため――いや、自分が失った威光を取り戻すために。
老神官トゥメル=ハーン「赦せ……。赦せ、若き者たちよ……!」
トゥメル=ハーンが呪文を唱えるたびに、
大聖堂の壁面がひび割れ、その隙間から血管のような赤黒い光が脈打つ。
外にいた修道士たちが驚愕して祈りを捧げるが、
地面が低く唸り声を上げ、周囲の鐘楼が鈍く震え出した。
やがて聖堂の中央に、闇の渦が生じた。
それは勇者召喚で見られたものよりも不完全で、不安定な裂け目。
老神官トゥメル=ハーン「……来たまえ……我が呼び声に応え、力を示せ……!」
老神官の手は血が滲むほど魔導書を掴んでいた。
次元の向こうから、何か得体の知れぬ存在が覗いている――
じっと、ひどく冷たい眼差しで。
しかしそれを恐怖ではなく、
待ち望んだ希望として見上げるトゥメル=ハーン。
老神官トゥメル=ハーン「我がパルキニアを……再び、世界に冠たらしめんがために……!」
その瞬間、遥か離れたシエステーゼ王国の宮殿では、
アリスが書棚から古文書を選んでいた手を止め、小さく舌打ちをした。
アリス「また、嫌な気配が走ったな……。」
隣のサラが不安げに首を傾げる。
サラ「あれ?なんだこの波動は?」
アリス「……またパルキニアか。あの老いぼれ神官……まだ往生際が悪い。」
アリスの紅い瞳には、ほんのりと怒気が灯っていた。
大地は小さく揺れ、遠い山脈の雲が不自然に渦巻きはじめていた。
次元の軋む音が、世界のどこかでまた密かに響きはじめる。
それは勇者を還し、裂け目を塞ぎ、ようやく訪れかけた平穏を
再び破ろうとする、新たな不穏の兆し。
しかし――
その中心には、老神官トゥメル=ハーンの悲願と狂気があった。
パルキニア共和国。
そこから再び、世界の運命は大きく揺らぎ出すのだった。
アリス「そうだ!先に休暇を取っておこう!どうせこれから忙しくなるのだから、先にのんびりしようっと。」
ディネ「大丈夫なの?のんきに構えて。」
サラ「こいつは根性が腐っているからね。仕方ないね。」
アリス「あのね。働き過ぎはよくないよ。人間だから程よい休暇を取らないと。」
サラ「人でなくて、魔王じゃん!」
アリス「サラ!なんか言った?」
サラ「ひゅー。ひゅー。」