記憶のない女と名探偵の助手
ニュースを見ていた名探偵は唐突に
「事件に関係していそうな女が入院しているから会いに行ってくれ」と言い出した。
「女には記憶が無いらしい」
どうしてこの事件に関係していると思うんだいと聞くと
「記憶喪失の者は、犯人というのがお決まりのパターンなのだ」と得意げに言う。
記憶を失くした者がいつも犯罪に関係しているとは限らないだろう。
言葉を飲み込み、私は病院に向かった。
今思えば、この時すでに女たちの企みは終わっていた。だから私の問いに女は多くを語ることができた。
「彼女がわたしの部屋を訪れたのは夏の終わり、9月の初めの頃でした」女のしっかりとした口調に怯弱さは無い。
「本来なら相手にするはずもない女の話を聞く気になったのは、彼女の眼差しに真摯な光を見たからです。
彼女の夫は悪質な詐欺に遭い自殺したのだと、そのせいで二人の子供も失ったのだと、淡々と話す彼女を見ながらどうしてこの人はこんな話をしてくるのだろうと思いました。
しかしよく聞くうちに、わたしも無関係ではないことがわかったのです。
実は、わたしの夫も二年前に自殺しています。事業の失敗で抱えた多額の借金を、愚かにも生命保険で支払おうとしたのです。
そう信じていました。それまでは。
それが同じ詐欺師によるものだったと知り。耳を疑いました。怒りと悲しみが沸き上がりました。
彼女はそれをわたしに教えにきたのです。
そのあと、私に協力してくださいと言いました。
その男を殺すからと。
初対面の相手に殺しの手伝いを依頼するとは、なんと怖いもの知らずな女でしょう。
わたしが断ったらどうするつもりだったのでしょうね」
そこで私は女の話を遮る。
少し疑問なのですが、
「あなたは記憶を失っていると聞いて来たのです。なのに、とてもよく覚えてらっしゃる」私の問いに女は
「記憶が無いのはここ数日だけなのです。それ以前のことはよく覚えています。
その・・・男が殺された前後の記憶だけが無いのです・信じてもらえるかわかりませんが」と答えた。
信じますよと私は言う。
「あなたの身体はあなたのものです。脳があなたを守るために記憶を封印したとすれば不思議ではありません」
「わたしを守るためとは・・・やはり男は殺され、わたしは殺人の共犯者になってしまったということですね」
記憶は無くても女は事の顛末を理解しようとしている。
「それで、協力することにしたあなたは、いったい何をしたのですか」
「彼女は自分の手で男を殺すと言いました。わたしにはその準備をしてほしいと」
「計画は二人で練りました。失敗は許されません。慎重に念入りに男を調べました。
瞬く間に季節は進み、最初の日から4ヶ月が経ちました。その頃になるとわたしの心は暗く沈んでいました。もちろんあの男が死ぬことには何の抵抗もありません。でも彼女を殺人犯にしたくなかったのです。家族を奪われ、自らは犯罪者として裁かれる。それではあまりにも彼女が不憫です」
「しかし彼女の意志は固かった」
「はいその通りです」
止めることはできませんでしたと目を伏せ、苦しそうに息を吐いた。
「思いとどまる機会は何度もあったはずです。なのにあなたたちは実行に移してしまった」
女は消え入るような声で「その通りです。やめるべきでした」と言うと
「彼女は今どうしていますか」と聞いた。
結局、探偵の大言に間違いはなかったようだ。
女はこの事件を語っている。事件の当事者として。
「犯人は逮捕されました。勾留中です」
「やはりそうですか」女は項垂れる。
男を殺した後の計画は無かったのです。そこで終わりでした。
「彼女に逃げる意志が無いのはわかっていました。それでもできるなら逃げてほしいと願っていたのです」
事件は世間で話題になっている。すぐに女は本当のことを知るにちがいない。その前に私から教えた方が良い。誰かにこの話を知られる前に。
「当事者のあなたが誰よりも事件のことを知らないみたいですね」
タブレットを手渡した。画面に事件が表示されている。
「そこに詳しく書かれています」
『巨額の詐欺を繰り返していた男を殺人で逮捕』
『被害者は三十代女性。恋愛トラブルか』
『過去にも放火殺人。被害者は4人』
「何なのこれは」
記事によれば、男は過去に女の夫を自殺に見せかけて殺したあと、家に火を放ち子供二人を殺害したと書かれている。
「そんな話は一度も聞いたことがないわ」
最近になり、執拗に女に言い寄っていたが思いどおりにならないとわかると、深夜、女の家に押し入り殺害した。
・・・女を殺害したですって?
「彼女が殺されたのですか。殺したのではないのですか」
「あなたのお話とは随分違うようですが」
「そんなはずは・・・いったいどういうことなのでしょう」
「さて、私にはわかりません」
「全部嘘です。恋愛トラブルだなんて」女が訴える。
「男の犯行を裏付ける証拠が山ほど出てきているようですよ。真実なら極刑は免れないでしょうね」
思いも寄らない事実に胸を衝かれた女は、私の存在も忘れてしまったように、長い間窓の外を見ていた。
何が現実でどこが虚構なのかもうわからない。
暫くしてゆっくり振り返り何かを言おうとした。
私はそれを止めた。
「例えばこんなのはどうでしょう。
もともとこれが彼女の計画だったというのは」
女の目が見開かれる。
「彼女は自らが死ぬことで男を殺人犯に仕立てた。
あなたはそのお膳立てとなる証拠を4ヶ月で集めたのです。
彼女はそれらを巧みに計算し、組み直し、偽りの証拠を作り上げました。
詐欺で家族を殺された彼女は、詐欺で男を葬ろうとしたのです。
命を懸けた一世一代の詐欺で。計画通り男は、社会に裁かれ、法で殺されます」
そんな恐ろしいことがあるのだろうか。
都合の悪い記憶から逃げ出したわたしとは対照的に、彼女は最後まで戦い続けた。
あなたはよくがんばったわ。
「でも、この事が明るみになれば彼女のやったことは無駄に終わってしまいます」女の口元はわずかに震えている。
「ご心配なく。これは私の想像です。そんな事が本当に出来るとは思えません。
こんな妄想をしているのは私だけです」
それに私は探偵の助手に過ぎない。
「どちらにしても証拠はありません。
しかも、肝心のあなたには記憶が無い。
出来る事は何もありまでんよ」
答えの出せない女は、私に答えを求めた。
「わたしはどうすれば・・・」
「ただ彼女の冥福を祈りましょう」
「それで、やはり女は犯人だっただろう」名探偵は自信満々に声を張る
「わからないよ。なにしろ女は何も覚えていないんだから」
「なんだ、つまらん。共犯者じゃなかったのか」
地味で控え目、そして生真面目。いつの時代も、名探偵と正反対なのが助手の決まり。