第8章❤️ :ぼくの中学時代の、ざっくりした「成績」について
まったく美絵子ちゃんの話とは関係ない。
それに・・・
ぼくの「自慢話」的な予感がプンプンするエピソードだろうなぁ・・・。
まぁ、
ぼくという人間を正確に、愛しい皆様により知っていただきたい一心で書くのであって、けっして、
「自分を必要以上に良く見せよう」などという、いやらしい魂胆は、実は、みじんもないのである❤️
もしも自分を良く見せたいのであれば、いままで『たからものⅡ』でカミング・アウトしてきたような、ぼくの、
「遊郭通いの過去の習慣」
や、
「ハレンチ罪での逮捕・拘留・略式起訴・罰金刑・氏名の新聞掲載・職場解雇」なんかの、恥ずかしい経歴を、わざわざここで晒すはずがない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・本題に戻そう。
ぼくの母校の中学は、「矢板市立矢板中学校」。
一学年あたり、9クラスある、マンモス校だった。
定期試験として、「中間テスト」「期末試験」などがあった。
これは、皆さんの母校でも同様だろう。
いまの教育方針がどうなのかはわからないが、
矢板中学校では、試験ごとに「校内順位」というものが出て、その結果を、担任から生徒本人に直接口頭と記述の紙面で教える・・・となっていた。
最初の中間テストでのぼくの成績は・・・
400番中、84番だった。
自分では、「こんなもんかな。」と思って、鼻歌交じりで父に報告したら、
父は烈火のごとく怒り出した。
「なんだしげお、この成績は!?」
とね。
「おまえ、本気で試験勉強に取り組んで、この程度の成績なのか??」
とも。
次の定期試験が、64番。
次が、27番。
中2になって、最初の中間テストの結果が・・・
14番。
グンと成績が上がったので、通っていた学習塾から、夏休みの「ご褒美旅行」が、
ぼくを含めた、塾生の数人にプレゼントされた。
みないずれも、短期間で成績をあげた、中1から中3の塾の同朋であった。
もちろん、厳格な塾教師が、旅行の主催者兼引率者だったけど(苦笑)。
その後は、11番から14番のあいだを、いったりきたりしていた。
中3になり、5月の中間試験で、10番で、はじめて「トップ10」入りを果たす。
次が9番。
・・・はじめて、「ひとケタ台の世界」に突入♪
中3になると、今度は、細かい「校外模擬試験」なども増えてくる。
ぼくは、
9番から、さらに、8番、7番、6番と順位を上げてゆき・・・
だいたいにおいて、
4番か5番あたりが、レギュラーの居場所に。
「4番」が一番多かったね、実際には。
そして、ついにトップ3である「3番」となり・・・
1月に実施された校外模試で、
とうとう、念願の「校内トップ」に輝いたのであった。
(ちなみに、なぜか「2番」には、とうとう一度もなりませんでしたね。)
・・・忘れがたい、青春時代の大切な思い出です❤️
m(_ _)m