第2章❤️ :楽しく・・・そして、充実した『カムバック・ロード』
・・・ぼくは、1982年3月上旬のある日、
ここで何度も告白してきたように、
このぼく本人自らが引き起こして、美絵子ちゃんを絶望の淵に追い込んだ、あの『魔物事件』のために、
ずっと、「心の中の戦争」を強いられてきた。
『41年戦争』
・・・なんて表現したときもあったけれども、
もちろん、美絵子ちゃんと、直接「ドンパチやり合っていた」わけじゃない。
ぼく自身が招き・・・
そして、自業自得の罪業のために、彼女へ謝罪も出来ぬまま、
許されることもないまま、苦しみにのたうちまわりつつ・・・
ずっと惰性で生きていかざるをえなかった・・・
ただ、それだけのことである。
ぼくひとりが勝手に抱え込み、
ひとり孤独に続けてきた・・・
『自分自身との、心の中の一対一の戦闘・決闘』だったのだ。
美絵子ちゃんは、何ひとつ悪くない。
むしろ、このぼくのせいで、埼玉県の転校先の小学校でも、しばらくの間は、きっとつらい、救われない思いで苦しんでいたにちがいない・・・。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・ぼくたちは、1989年8月13日の午後1時過ぎごろに、美絵子ちゃんが矢板市に暮らしていた家・・・
彼女のおばあちゃんの家の庭先で、実に7年ぶりに再会した。
去年の6月に電話で話したものの・・・
ぼくは、この日以来、「動く美絵子ちゃん」というものを、一度も目にしたことがない。
・・・おそらくは、この後もずっと、死ぬまで。
再会したときのぼくは、過去に何度も触れたように、100Kg近い肥満体に変貌しており、
美絵子ちゃんと仲むつまじかった頃の、スリムでハンサムな少年の面影は、どこにもなくなっていた。
ぼくは、美絵子ちゃんが去ったときの様子から、もう、昔のような、理想の恋人どおしには戻れないことを、
このとき、すでに悟っていた。
「もう、彼女とは『脈』はないな。」
と。
それでも減量して、彼女との「リターンマッチ」に専心していたのは・・・
「出来る限り昔の姿で、また美絵子ちゃんと会うため」
「本当の意味での再会を果たすため」
に他ならなかった。
もちろん、苦しい減量だった。
たった3ヶ月弱の短期間で、30kg以上も体を絞ったのだから。
でも、愛する美絵子ちゃんを目指して、
減量に打ち込む日々の中・・・
いろいろと、「存外の収穫」もあった。
爽やかで忘れがたく・・・
そして楽しい思い出もたくさん出来た。
「なつかしむ値打ちのある素晴らしい思い出たち」がね。
日々、少しずつ体が絞れていくにつれ・・・
「昔の感覚」も、だんだんとよみがえるようになっていった。
美絵子ちゃんとふざけあい、ともに走り回っていたときの、母校『川崎小学校』の、靴裏に感じる、校庭の砂の感触・・・
美絵子ちゃんを図書室で見つけたときの、木造校舎特有の、木の床や木の壁の「匂い」。
美絵子ちゃんのちいさな体に、ふざけっこのさなか、偶然触れたときの、あのあたたかく、やわらかい感触。
・・・そして、まるでサクランボのようだった、美絵子ちゃんの「芳香」。
生まれてはじめて挑む「大減量」に臨んだぼくは・・・
「目の前に広がる世界」「周りの風景」さえ、
ちがったものに見えてくるようになった。
今回のエッセイで触れていくのは、
・・・実は、そうしたエピソードが中心となっていくだろう。
m(_ _)m




