第23章❤️ : 『土壌肥料専攻』の思い出
内容がわかりにくいお題ではある。
ぼくが在籍していたのは、「農業科」といって、稲や麦、小豆や大豆などの穀物の栽培・研究が主な学業の学部。
稲や雑草などの生態・生理、肥料や農薬の概論的なものと、一般常識的な、心理学・経済学・文学・音楽なども、この本科で学ぶ。
寮生活から解放され、車通学が許されるようになると、
今度は、概論を飛び越えた、「各論」へと進み・・・それぞれの学生が、自分が一番相性がよさそうで、なおかつ、メンバーと仲良くやっていけそうな分野を専攻してゆく。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
そんな中・・・
ぼくは、迷わず『土壌肥料』を専攻した。
理由は、もちろん、所属メンバーである。
ぼくのほかに、斎藤くん、時庭くん、そして館野くんが正式な仲間となった。
その学科の担当教授が、鶴野先生。
おだやかでまじめな、50をゆうに越えたベテランで、この年に、県の農業試験場から異動してきた。
試験場に在籍されていただけあって、肥料や農薬の専門家であり、その知識・見識は、折り紙つき。
人格者であったから、ぼくらが怒鳴られたりした記憶はまったくない。
ただ、生真面目な性格ゆえに、館野くんなどは、この先生が大嫌いだった。
時間きっちり、授業時間の終わりまでやるので、ほかの専攻の学生が、お昼ちょっとでヒマが出ることもあったというのに、じっくりしっかりと、4時過ぎまでやるからだ。
当時、この農業科のみならず、学生全体で、「宇都宮東武デパート」でのバイトがはやっていた。
ぼくは、とくだん小遣いに困っていなかった箱入り息子だったし、父からも、バイトは固く禁止されていたので、ぼく自身、自分の大切なプライベートな時間を拘束されるアルバイトには、まるで関心がなかったのだ。
稲作専攻の学生たちが、
「よぉ、館野。まーだ授業やってんのかよ。はよ、パチンコとバイト行こうぜ。」
と館野くんにけしかけようものなら、
彼はまずます落ち着かなくなり、ジリジリイライラして、うらめしそうに鶴野先生の顔をにらみつけていた。
(鶴野・・・はよ、終わりにせえや。オレ、バイトのあと、ピンサロ行くんだからよ!)
館野くんは、
18歳からピンクサロン、『キャンパス7』に通っておりました。
ぼくは、21歳からだったけどね。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
斎藤くんも、時庭くんも、無口だったね。
斎藤くんは、生まれつき心臓に疾患があり、幼い頃に大手術をしたそうな。
寮の風呂に入ったときに、胸に縦の大きな縫合の痕があった。
ぼくと気が合い、それでぼくは、彼のいる土壌肥料を専攻したのだった。
時庭くんは、すごくイケメンだった。
物静かな性格で、あまり普段はしゃべらないが・・・
寮生活のときに、彼の部屋をのぞいたとき、先日ぼくがUPした「大西結花さん」のCDが部屋に流れていて、
気になったぼくが、誰が歌っているのか尋ねると、素直に教えてくれたナイスガイだ。
館野くんは、ぼくが減量に成功すると、ことあるごとにぼくを、
「番長、番長」と呼んでいた。
別にぼくは、スリムな体型になったからといって、クラスを仕切っていたわけじゃない。
・・・ぼくの努力を認めてくれた、彼なりの、ぼくに対する「敬意」「畏敬の念」に他ならなかった。
もちろん、悪い気はしなかった。
ちょっと「時代錯誤感」はあったけれども(笑)。
田んぼでの実習も、土壌肥料の仲間とは、楽しくやれた。
なんのトラブルもケンカもなく、平和ですがすがしい、実に爽やかでおだやかな授業時間だった。
ここでぼくは、季節ごとに移りゆく、農地や、それを取り巻く森や林、あぜ道の妙、美しさに触れ・・・
そうした自然を相手にする、「農業」の素晴らしさ、奥深さ、取り巻く環境の魅力、
さらには、農業大学校のよさも、この頃から少しずつではあったが、だんだんと理解していくこととなるのである。
・・・そうした経験・見聞が、処女小説『たからもの』の、遠山里香ちゃんとの、あの別れのシーンで生きてくることとなる❤️
m(_ _)m




