第10章❤️ : 若き日の、ぼくの『パフォーマンス』について
これは、フェイスブック『ドリームランド』でも、一度触れたことなので、
もしかしたら、お読み下さった方も、なろうサイトの皆様の中におられるやもしれぬ❤️
処女小説『たからもの』の序盤でも書いたように、ぼくは、幼い頃からどうも・・・どこか「芝居がかった側面」があり、
それが例の『魔物事件』を引き起こした、直接の要因だったと自己分析している。
「魔がさした」とか「混乱していた」、とか、いろいろと複雑な行動理由が考えられるが、前述のような、生来の「役者肌」「演技派」といった気質・体質が、
結果的に美絵子ちゃんを苦しめ、ぼく自身の人生をも狂わせてしまったことだけは間違いあるまい。
ぼくは、基本的には「情熱的」かつ「誠実」で、世界一・・・いやさ、宇宙一、女の子に優しいナイスガイだと自負している一方、
どこか頭に「醒めたところ」があり、常に、ちょっと離れた、妙な立ち位置から、自分を眺めているような気がするのだ。
「自己を客観視できている。」
・・・そう解釈してくだされば、このうえもない賛辞になるのであるが、
自分でも気味が悪くなるくらい、「冷静な自分」というのも、またここに混在しているのだ・・・。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・ぼくは、こういった自分の変わった「精神上の特質」を、皮肉なことに、ほかでもない『魔物事件』後に、はっきりと認識するようになった。
「オレ・・・やっぱり、周りとは違うわ。なんか変。まるで、体内に、本当の『魔物』でも飼ってるみたい。」
ってね。
少々、自分でも薄気味悪かったけれども、自分で自分が嫌いになっては、もう生きてはゆかれまい(苦笑)。
だから、
「オレは、残念ながら、生まれつき、こういう人間なんだ。一度コレで美絵子ちゃんを苦しめちゃったんだから、今後はこの特質というか、ある意味『才能』を、正しい方向に生かしてやろうじゃないか!」
と、いまは非常に前向きに生きている。
ずっと脱線したままであるが・・・
「小説」とは、人を「だます」ことである。
その物語の内容が、まるで本当にあったかのように、人に「騙る」ことが、小説だ。
だから、ぼくが小説を書く上で、この芝居がかった特質は、大いにプラスに働いてくれたと、ぼく個人は分析している。
少なくともぼく本人は、この妙な「パフォーマンス的気質」のおかげで、あの長い物語の執筆を乗り切れたとさえ、自己評価しているのだから・・・。
ぼくは、生まれて初めての大減量中、これまでぼくの少年時代のスリムな姿を知らなかった、農業大学校のダサイ連中が、
まるで「悪い夢」でも見せられているかのような目で、ぼくを見てくるのを、大いに楽しんでいた。
「うふふ。さぁーて、次はどんなパフォーマンスで、ヤツらをケムに巻いてやろうかなぁ・・・?」
それが次章で述べる、「十字架のネックレス」である❤️
m(_ _)m




