巨大ロボ、そしてジョギング、暗い色の人造湖
「あーあ……」
門戸と別れた後、自宅からから離れた場所にあるジョギングコースにいた。
ウレタンの走路とその周囲にはよく手入れされた芝生があり、さらに山林の中を走る砂利道が中央の巨大な人造湖をぐるりと円を描くように走っている。
日が沈みかけた夕暮れ時だが、まだ気温は下がる様子もない、ただ空気は湿っており雲行きは怪しかった。
それを知ってか知らずか、ランニングをしている人や犬の散歩をするような者は誰もいない。
俺は適当なベンチを見つけると腰を下ろし、ぼんやりと足元を見つめていた。
「もうこんなにボロボロになっちゃって……」
スニーカーの裏を見ると、かなりすり減っているのがわかる。
まだ履けることは履けるだろうが、こんなことを繰り返していたら靴なんてすぐにダメになってしまう。
俺は脱いだスニーカーを傍らに置くと、裸足で地面に触れる。
陽光を吸い込んだウレタンの、弾力のある生暖かい感触がなんとも不気味だった。
機械的に水をたたえた湖は不気味なまでに静かで何の情景もない。
聞こえてくるのは輸送や監視のためにたまに飛び回るドローンの微かなプロペラの音くらいだ。
あれだけ走ったのに息一つ切らさず、汗もまるでかいていない。
筋肉痛もなければ、疲労もない。
自分の身に起きていることも、この夕暮れ時の街の光景も何もかもがどこか現実離れしていて、夢の中の光景のようだった。
「…………」
ちなみにこの湖は俺が作ったものだ。もちろん夢の中の話じゃない。
金を出してやっただとか、業者として重機で穴を掘っていたとかそういう話でもない。
数年前のことだ。
俺を殺しに来たアホみたいにデカいロボットを思い切り蹴っ飛ばした時に衝撃で周辺の山が崩壊してしまい、数kmの巨大な穴が空いてしまったのだ。
それをどうにかしようとして水でも流し込んだのだろうか、この辺りの地形は知らぬ間に大改修がされており、気がつけば近所にジョギングコース付きの造成地が出来あがっていたというわけだ。
(まあ近所つっても結構離れてるけどな)
だがこんな話はニュースになってない。
治安当局が巨大な人型戦闘兵器を持ち出して俺を殺そうとしたら、その戦いの余波で地形が変わってしまいましたなんて報道はテレビでもネットでもやりはしない。
というより俺の存在はどこにも公表されていない。
この間の治安部隊をボコボコにした一件だって、ニュースとしては「職務質問中に男が警官に暴力をふるい、怪我を負わせて立ち去った」という扱いだ。
だから、俺のことで騒いでいるのは基本的にはネットの中にいる連中だけだ。
もちろん規制や誤魔化しにも限界はあるようで、公表されていないにもかかわらず、ちょっと漁れば俺に関する記事や映像はいくらでも出てくる。
それでも企業や政府は公然と俺を無視し、存在していないものとして扱いを続けている。
それは構わない。
別に俺は誰かに認められたいわけじゃないんだからな。
「じゃあ何やってんだろうな……」
思わず口をついて出た言葉は目の前の湖に吸い込まれるように消えていく。
本当に何をしているんだろうか。
俺は取材なんかされたって困る。
だって自分のこれまでしていたことの意味がよくわからないからだ。
(どうして今まで何も疑問に思わなかったんだ?)
記憶が無いわけじゃない。
数年前、何処にいたとか何を見ていたとかそういうことはちゃんと思い出せる。
子供の頃に遊んだおもちゃのことや学生の頃の記憶だってある。
ただ、その時に何を考えていたのかとかどういう理由でそうしたとか、それがまったく思い出せないのだ。
だから過去を思い出そうとすると、まるで赤の他人の思い出を見せられているような気分になってしまう。
「何をやっていたんだ……」
俺は気がつくと走っていた。習慣のように何年も何十年も。
あたかも電子が決められた回路をなぞるように。
訳がわからなかった。
俺には目的があったはずだ。
いや、あったというよりそうしなければならなかった理由があるはずなのだ。
だけど、その理由は一体なんなのか……。
そのことを考えると自分が何か大きな渦のようなものに飲み込まれていくような不安を感じてしまう。
それに比べれば、自分がずっと勃起していただとか、異常な力を持っているだとかということはどうでもよかった。
無敵の力を持つ不死身の体。
戦車砲が直撃しても傷ひとつつかない肉体。
山を崩し、地面に大穴を開けて、鋼鉄を紙切れのように容易く引き裂き、脳天に落雷が直撃しようが、数千度のプラズマに包まれようが、痛くもなければ熱くもない。
普通ならばとても素晴らしいことだと感じるだろう。
この力が欲しいと心の底から願う人々がいることだって俺は理解している。
しかし、そんなことは今の俺にとってはどうでもいいことだ。
問題なのは自分自身のことだ。自分の心境の変化の方がずっと重要だ。
「はあ……」
何故なら、この力で何かしたいとかそういった気持ちが一切湧いてこないから。
肉体が強いという程度では、決して抗えないものに流されるように日々を過ごすしかないと感じているから。
「……情けないな」
帰ろう。
何を見ようが何処にいようが俺が考えるのは自分のこと、湧き上がってくるのは鬱屈とした感情のみ。
それなら家で静かに寝ている方がよっぽどマシだろう。
俺は再びスニーカーを履きパーカーについた汚れをはたき落としながら立ち上がると、家に戻るためにゆっくりと歩き出す。
道中で「芝生を掘り返すな、湖で泳ぐな。天は見ている」という何だか場違いに感じる警告が目に入ってきたが、それを見て足を止めるまでには至らなかった。