ケンドーマスク、正義のために、いざ見参!
「ボッキマンよ!ついに見つけたぞ、覚悟しろ!」
変な中年女と治安部隊の騒動から数週間後のことだ。
俺は犬を連れた妙な男に絡まれていた。
もちろん犬を連れ歩いていることが妙なわけじゃない。
なんのコスプレかは知らないが、街中で剣道の面を被っていて、その下にアメフトで使うようなゴツい防具を装着していたからだ。
(こいつも頭がおかしいのか……)
面のせいで表情は分からないが男の吐息は足元にいる犬よりも荒く、ずいぶんと興奮しているのがわかった。まあ妙なフォームでどたどた走ってきたんで、こいつはただ疲れ果ててるだけかもしれないが。
断っておくが俺は別に目立つようなことは何もしていない。
あの一件からランニングをする気が起きなくなり、この日はただ軽いジョギングと散歩をしていただけだ。
それでもこういうわけのわからない輩に絡まれるようになってしまったのは、やはりおかしな界隈で下手に有名になってしまった結果なのだろう。
「ボッキマン?えっ?何のこったよ、クスリのやりすぎじゃねーの?」
「ふざけるなよ!お前が着ているそのパーカー、動画で見たのと同じものだぞ!」
「こんなもん着てるヤツなんてどこにでも居るだろ」
両手を上げながら首をすくめるポーズをして見せると、男は足元にいる犬に目で合図を送るような仕草をする。
「彼を見ろ、ボッキマン。この犬はな、ただの可愛い犬じゃない。神通力を持った神の使いなんだぞ!」
そう言って男が示したのは茶色い毛並みを持つ大型犬だった。
……いやまあ、可愛いけどさ。
俺には何の変哲もないゴールデン・レトリバーにしか見えなかった。
「へえ、すごいな……名前はなんなんだ。茶色だし、チャイロとかか?」
「ふんっ、ボッキマンだとか恥ずかし気もなく名乗るだけあって、やはりお前はセンスがまったくないようだな……」
「お、おい、ちょっと待て。俺は別に自分でそういう名前を名乗ったわけじゃないからな?」
「ほほう……!やはりお前がボッキマンだったようだな!!」
「あ?え、あー……いや、これは言葉のあやのようなもので……」
何人かの通行人が男の大声にこちらを振り向いたが、犬を連れた変な男が騒いでいるだけにしか見えないらしく……ていうか実際そうなんだが、すぐに興味を失って歩き去って行く。
「いいか、よく聞けよボッキマン!私の名はケンドーマスク!お前のような法で裁けぬ悪党と戦うために生まれた正義の使者だ!」
「はあ……そうなんだ」
面倒事の予感にパーカーのフードを引っ張りながら適当に言葉を返す。
しかし、そんな俺の態度に怯むことなく、正義の使者は自信満々に言葉を続けた。
「そして……私の相棒の名はラブラドル・レッドリーパーだ!彼の神通力により、地味なパーカーを着ているだけの一般人にしか見えないお前がボッキマンであると判明したのだ!」
ゴールデン・レトリバーにしか見えないラブラドル・レッドリーパーとやらの方はそれなりに言葉遊びを頑張っているかもしれないが、ケンドーマスクはそのまんまだ。
何しろアメフトのショルダーパッドのような防具を装着した男が剣道の面を被っているだけなんだから。
「へえ……」
俺はあらためて男の傍らで静かに佇む犬を見る。
それなりに歳を経た犬で、毛並みの状態からもしっかりと手入れされているのがわかる。興奮気味の飼い主とは対照的に落ち着いており、特にその瞳には知的な光が宿っているように感じた。
男の言う通り、何かしらの力を持っているのかもしれない。
しかし、いくら何でも犬に神通力とは……。
「ふーん、わかったぞ……お前な、あれだろ。動画配信者だな。通行人にいちゃもんつけて視聴数を稼ごうってタイプのやつ」
「な、なに!?このケンドーマスクをあんな低俗な連中と一緒にするんじゃない!!」
顔面を守る面金の間からちらちらと見える男の目は使命感に燃えており、ふざけていたり冗談を言っているようには思えない。
どうやらこいつは本気で正義の味方をやっているらしいが、それならなおさら意味不明だ。金にもなんにもならなければ暴行傷害で投獄、果ては返り討ちにあって殺される可能性まであるのにどうしてこんなマネをしているのか?
しかし、次の瞬間ケンドーマスクとやらは叫び声を上げてうずくまってしまった。
もちろん俺はケンドーマスクに指一本触れていない。
「ぐああっ、なっ!?ちょっ、ちょっと!ラブラドール・レッドリバー!ラブラドール・レッドレバー!やめろ!痛い!」
相棒だったはずの犬が突然ケンドーマスクに襲いかかり、足首に噛みついて引きずり倒したのだ。
「痛い!痛いって、マジでちょっと!?ああ!離せ!離せ!離せって!」
「ええ……」
「なんで?!ラブドール・レトリーバー!ラブラドーラ・リトリバー!ランドリー!バーバー!ぐうわっ!!」
ケンドーマスクはラブラドル・レッドリーパーの顎を掴んで必死にこじ開けようとしているが、ビクともしない。
傍目には犬がいきなり凶暴化したようにしか見えないだろうが、相棒の足首に噛みつきながら俺の動きを警戒するラブラドル・レッドリーパーの目はいたって冷静なものだった。
俺には目の前の相手の危険性に気が付いたラブラドル・レッドリーパーがケンドーマスクを守ろうと必死に引き留めているように感じた。
「エサが足りなかったんじゃね?じゃあな、これからはちゃんと可愛がってやれよ」
「ぐうああっ、待て!待て!く、くそっ!覚えていろ、ボッキマン!必ず私が成敗してやるからな!」
捨て台詞を背に受け、その場から早々に立ち去る。
ケンドーマスクとかはどうでもよかったが、またドローンだの治安部隊だのに絡まれるのは面倒だったからだ。
それにしても、ネットで話題の怪人物がいるからと言っていきなり襲いかかってくるなんて随分と物騒なことをするもんだな。
……もっとも今どきこんな頭のおかしい奴は珍しくもないか。
「まあ、いっか。とりあえず走るか」
気分転換に俺はもう少しだけ走ることにした。
そしてしばらく走った後で、とんでもないことに気がついてしまい、足を止めた。