自然の猛威!急な雨にチュー意しよう!
家への帰り道をショートカットしようとした路地裏で、俺は嫌なものを見つけた。
ネズミだ。
しかし、決してかわらしいものではない。
大きな体をした、いわゆるドブネズミと呼ばれる類のもの。
そいつは地べた必死に這いずり、目の前のゴミの山に隠れようとしている。
見るとネズミの腹は裂けていて、血まみれの内臓が飛び出ており細い腸のようなものが地面に垂れていた。
腸を辿ると、粘着テープを使ったゴキブリの捕獲器に続いている。
どうやら罠にかかったようだ。
ネズミは粘着テープの上で必死にもがくうちに腹の皮が破れてしまったのだろう。粘着テープにはネズミの千切れた指も数本貼り付いている。
まるでおもちゃのような、カラフルな捕獲器から遠ざかろうとする度にネズミの内臓は腹から引きずり出されて、ドス黒い血と何とも言えない色の体液が辺りにじわりと広がっていく。
それでもこいつは生きていた。
死にかけながらも逃げようと足掻いている。
俺はそれを見ているうちに無性に悲しくなってきた。
こいつが生きている意味はあるのか?
「おい」
俺は無意識のうちに声を出してしまっていたが、何を言おうと答えが返ってくるわけがない。
ネズミは目の前のゴミを見つめながらピクピクと痙攣していた。
かわいそうだが何をしても助からないだろう。
俺はそっと人差し指をネズミの頭の上に乗せる。
「ごめんな」
俺は指に少し力を込めた。
グシャリ。
ネズミの小さな頭蓋は一瞬で潰れて脳漿が飛び散った。
そして気がつくと俺は、ネズミの死体をビニール袋に入れて、再びジョギングコースへと戻っていた。
(だから何やってんだよ俺は……)
死体を放置してしまえば、カラスや野良猫に荒らされるかもしれないし……いや、そうじゃない。どうして殺したりした?
もっともらしい理由を考えようとするが、うまくいかない。
あの時の気持ちは今もよくわからない。
ただ、なんとも言えない後味の悪さだけが心に残っていることだけは覚えている。
あのネズミは何のために生まれたんだろう。
そんなことを思いながら、俺は出来るだけ見晴らしのよい場所に埋めてやろうとジョギングコースの林に目をやったり、黒々とした水面を眺めたりしながら歩いていた。
ベンチを見つけ、そこにゆっくりと腰を下ろす。
さっきまで夕暮れだった空はどんよりとした雲に覆われ、ポツリポツリと雨粒が落ちてきた。
やがてそれは本降りとなり、地面を叩きつけるような大雨に変わる。
雷鳴が轟き、風が吹き荒れ、視界が悪くなる。
(門戸だっけ……)
俺は土砂降りの中、あのおかしな男の言葉を思い返していた。
『あなたはそんなに強いのに、もっと大きなことができるのに、どうしてそんな、まるで自分の価値を否定するようなことを言うんですか?』
バカな奴だな……。
俺はネズミの死体を埋める場所を見つけることすらできないんだぞ。
俺は立ち上がると、雨の中をネズミを埋めるために土を掘り返すための準備を始めていた。
‥‥・*・‥‥………‥‥・*・‥‥………‥‥・*・‥‥
少し掘っては手を止める。
ここじゃない、雨に流されそうだ。
ああ、もっと陽の当たる方に。
例えばネズミの上にいつか花が咲くような……。
「……」
通りすがりの頭のおかしい変態が死にかけたネズミを殺して穴を掘っている。
何の意味もない、自己満足にすぎない行為。
ふと雨以外の音が聞こえ、その方に目を向ける。
さっきまではいなかったはずのドローンが俺の行動を不思議そうに見ていた。
「あなたの街の安全を守るドローンです。困っていることがあればなんでも言ってください」
少し手作り感の漂う、見たことのない型のドローンだ。
ドローンは俺を見据えると、カメラを軸に時計回りにくるりと回転する。
まあどうでもいい。
「……ネズミの死体を埋めたいだけだ。弔ってやりたい」
俺の言葉を聞くとドローンはまるで慌てたかのように俺の周りをグルグル回り始めた。
「いけません!それは議会が定める都市公園衛生管理法第二十三条の二に違反しています!」
ドローンは甲高い音声とブザーを発しながら俺に警告する。
「第二十三条の二!第十条の二の規定により、当局の許可を得ない……」
「……るせえんだよ!!」
俺は思わず怒鳴り、ドローンを掴んで湖面に向かって叩きつけていた。
ドローンそのものの爆発よりも湖面に叩きつけられた衝撃の方が遥かに大きかったのか、ドローンの機体から一瞬だけ火花が見えたがすぐに巨大な水柱が上がり、黒い湖面に飲み込まれるようにして見えなくなる。
音に驚いたのか林の中から数十羽の黒い影が慌てたように土砂降りの雨の中を飛び立っていった。
(雨が降っててよかったな……)
淀んだ泥水が降り注いで、濡れたパーカーは黒く染まる。
周囲に人通りはなく、周辺の林にも人影はない。
だがどうせ監視されているんだろうから、当局が来るのは時間の問題でしかないだろうが一般人にいちいち騒がれるのは鬱陶しかった。
しばらくすると粉々になったドローンのパーツが浮かび上がり、水面を漂いながらどこかに流れて行く。
「はあ……」
また面倒なことになりそうだな。
こんな気持ちになるのは久しぶり……いや初めてかもしれない。
ベンチにもたれかかりながら、分厚い岩に墨を塗りこめたような雨雲を見上げる。
(一体、どこの誰なんだ?)
どこの誰が……俺の許可なくこの空にドローンを飛ばしていて、それで……ネズミを埋めることを禁じていて、がらくたが人様に指図することを許しているんだ?
「来るならこいよ。相手してやるよ……」
お前らは俺のやることに不満があって力尽くでも言う事を聞かせてたいんだろうが、それに対する俺の意見が知りたいというのなら教えてやる。
そんなことを考えながら、傘などまるで役に立ちそうにもない滝のような豪雨を浴びていると、待ち望んでいたそれはやってきた。
……ただ、俺の予想とはまったく異なる形ではあったが。




