第4話 嘘は言ってない。誤魔化さないとは言ってない
「暗くなってきたし、今日は野宿だな」
ヒノゴケが徐々に光を弱め、第九層が夕方を介さず夜闇に沈む。
日中か、真夜中か。多少の推移こそあれど地底世界にはこの二つしか存在しない。
「……ごめんなさい、お兄さん」
俺の独り言を耳聡く拾ったキセが、俺の背中で申し訳なさそうに呟いた。
「私が、吐いたから、ゆっくりになった」
「気にすんな。というか、謝るのは俺の方だから」
アンガス率いる騎士団を退けるためとはいえ、キセを抱えた状態で音速で跳ね回るのはあまりにも思慮に欠けていた。
魔力で三半規管諸共に肉体を強化していた俺と違って、キセはなんの魔術的防御もなく、秒速300M越えのアトラクションに突然、身をさらされたのだ。
前に一度これをやった時は、相手が負担を気にしなくてもいいほどの猛者だった。そこを失念した俺に全面的に非がある。
「気分はどうだ?まだ、気持ち悪いか?」
「……大丈夫。もう、平気」
「ならよかった」
ひとまず顔色が良くなったことに安堵する。
もう少しだけ歩き、森や界壁から離れた、見晴らしの良い平野で足を止めた。
「よし、この辺ならいいか」
足下に魔力を集中させ、魔力方陣を形成。
———対象指定・展開、操作魔術。
足下の地面が、粘土を捏ねるように、俺の思い描く姿へ形を変える。
十数秒もすれば、シェルターを思わせる簡易的な空洞が形成された。
「真上から押しつぶされない限り1日は保つから、安心していいぞ」
「……すごい。おじいちゃんみたい
「唐突な罵倒にビックリだよ」
「……ちがう。私の、おじいちゃんみたい」
「……やはり罵倒では?」
「ちがう」
違うらしい。
どうやらキセの「祖父に似ている」という単語は彼女の中では褒め言葉の部類らしい。
「ま、いいか。今から近くの動物狩ろうと思ってるんだけど——」
「一緒に行く」
「言うと思った。離れるなよ」
「うん」
◆◆◆
トコトコと、そんな擬音が付きそうな歩みで、キセは俺の三歩後ろに、カルガモの赤子のように付き従う。
「……なんで、俺を怖がらないんだ?」
付近に動物の気配はなく、響くのは虫の鳴き声のみ。暇だったから、ふと、気になったことを聞いてみた。
「俺は、航界者とはいえ、お前を怖がって、憎んでる奴らと同じ場所で暮らしてたんだぞ?」
不思議だった。
足を止めて、振り返る。まるでそうすることがわかっていたように、キセは止まって俺のことを見上げていた。
「お前、最初から俺のこと怖がってなかったよな? なんでだ?」
「……お兄さん、怖がってほしいの?」
「いや、そんなことはないけど」
「うん、知ってる」
妙な言い回しに首を傾げる。
キセは、ピクピクと尖った耳を震わせた。
「……私ね、色々聞こえるの。いろんなものの“音”を聞ける」
スッと、脈絡なくキセが俺の背後を指差す。
「あっちにモグラがいることとか、鎧の人たちが私を怖がってたこととか」
「俺の思考や感情も、“音”で聞こえたのか」
「……うん。だから、怖くない。お兄さんが優しい人だって、“音”でわかるから」
——異能、なのだろう。
魔術のような汎用的技術とは違い、先天的に持ち合わせる、身体的特徴に由来する特異な能力。それが異能である。
割合として語るのも烏滸がましい、片手の指で足りるほどしかいないであろう超希少な才能だ。
「その耳のおかげで、一人でもやってこれたのか」
「うん。逃げるの、得意」
キセは、ふんすと鼻息を鳴らす。
「でも、捕まってたな」
「う……。多すぎて、逃げきれなかった。気がついたら、囲まれて」
……アンガスのあの態度。
今すぐにでも斬り殺したい、そんな感情を抑え職務を全うしようとしていた。キセを“捕まえる”ことが主目的、そんな印象がある。
「まあ、万能じゃないってことか」
考えてもその意味はわからないので思考を打ち切り、俺は本来の目的である狩りを再開する。
「ちなみに、さっき感じたモグラの見た目ってわかるか?」
俺の問いかけに、キセは首を横に振った。
「そこまではわからない。でも、硬い?感じがする……あ、出てきた」
「どっちだ?」
「あっち」
指差した方を見ると、全身を針で覆った一M大のハリネズミのようなモグラが目に入った。
今朝、飽きるほど戯れたハリガネモグラである。
——『ハリガネモグラのお肉は美味しいからねー』
俺は、ウィズの言葉を反芻し、返却を忘れてしまった香辛料をポケットから取り出した。
強烈な飢餓感。同時に、口内に唾液が滲んだ。
「喜べキセ」
「?」
「今日はご馳走だ」
俺は欲望のまま、一直線にハリガネモグラに突撃した。
「お前の肉を寄越せぇーー!」
◆◆◆
めっちゃ美味しかった。
この世界に来てから食べたものの中でご飯の指に入る美味さだった。
満足したのか、キセの表情も心なしか明るい。
「……生き返る」
「そーだなー」
満腹になった途端に疲労が押し寄せたのか、食後まもなく、キセはスヤスヤと規則正しい寝息を立て始めた。
「俺も寝とくか」
寝ずの番のつもりだったが、幸い周囲に気配はない。近づかれても、魔力を垂れ流しておけば気づけるだろうと割り切って、俺も目を閉じる。
逃走は思っていた以上に神経をすり減らしていたらしく、俺もすぐに睡魔に襲われ、あっさりと眠りにつく。
土の香りは、もう気にならなかった。
◆◆◆
頭上を覆う天蓋、蔓延る謎の植物。降り注ぐ光を右手で透かし、網膜に突き刺さる眩しさがこれを現実だと言う。
——『夢を見てる気分だ』
ぼそりとつぶやく。
思い通りに動く体も、今、置かれている状況も。
まるで現実感がない。
——『なーにが夢なんだい?』
——『うおっ!?』
急な耳元の囁き声に驚き、情けない声を上げた。声のしたほうを振り向くと、そこには一人の少女が。
——『にひひ、びっくりした?』
艶のある藤色の髪をツーサイドアップにまとめた少女は可憐に、悪戯っぽく笑う。
——『リクウから聞いたよ。キミ、航界者なんだって?』
——『そうだけど……』
——『むっ、そんなに警戒しなくてもいいじゃん!』
少女は大股で一歩、とんと自然に俺と距離を詰めた。互いの吐息が感じられるほどの至近距離。赤錆色の瞳が下から俺を覗き込んだ。その吸い込まれそうな美しさに、息を呑む。
——『……ち、近くない?』
——『確かに近いね』
俺がなんとか絞り出した言葉にあっさり同意した少女は、今度は小股で一歩距離を置いた。
——『アタシはプリム! キミの名前は?』
——『え、あー。篝。戦場 篝』
——『かがり、かがり……』
脈絡のない自己紹介につられて俺も名前を言った。俺の名を呟き、少女……プリムは何事か考え込み、「うん!」と一人納得したように頷いた。
——『じゃあよろしくね、“かがりん”!』
——『か、かがりん!?』
——『そう! いいあだ名でしょ?』
そう言って、屈託なく、眩しいくらいに少女は笑った。
網膜の裏に焼き付いて離れないほど、輝く笑顔だった。
◆◆◆
「ん……」
横穴から差し込む光が瞼を撫で、近くに聞こえる息づかいで俺は目を覚ました。
「……あ、お兄さん、おはよう」
既に起きていたらしいキセと目が合った。
「おはよう。悪い、待たせちゃったみたいだな」
キセはふるふると首を横に振り、ピクリと耳を揺らした。
「平気。……お兄さん、夢、見てた?」
「え、……ああ、見てたな、久しぶりに。夢も聞こえるのか?」
「ううん、聞こえない。……でも、お兄さん、笑ってたから。いい夢、見たのかなって」
俺は、笑っていたのか。……そうか。
「ここで嘘言ったらバレるんだろ?」
「うん、だいたいわかる」
「厄介な……。ああ、良い夢だったよ」
キセと出会ったせいだろうか。
懐かしい、忘れられない、出会いの記憶だった。
「今回は、夢だったよ」
「……?」
「なんでもない、独り言だよ」
キセを連れて外に出る。もう一度魔術で、今度は元の地形に戻すように地面をこねくり回す。
「キセ、背中に。今日は少し飛ばすぞ」
「……………………………………………大丈夫?」
たっぷり間を取って警戒したキセに苦笑し、俺は右手に魔術方陣を描く。
「大丈夫だよ。今日はキセに負担がないように対応するから」
「……わかった。嘘、言ってないから、信じる」
「……おう」
出発前に何か食べておきたかったが、一日、何もせずに寝かせた肉はちょっと信用ならないので、シェルターのついでに埋めて供養した。
「さて、昼過ぎにはエドルカに着くと良いんだけど……」
「……お兄さん、それ、どれくらい速いの?」
「うーん、大体……昨日と同じくらいだな。音よりちょっと速く走る」
誰よりも音に対して造詣が深いであろうキセが「ヒュッ」と呼吸を止めた。
緩衝魔術と操作魔術の併用。対象にかかる諸々の負担を低減させる複合術式を展開する。
これであれば、昨日のように吐くことはないだろう。
ああ、嘘は言ってないとも。当然、負担がないように対応する。ただ少し……少しだけ、昨日の記憶がよぎるかもしれないけど。
「それじゃ行くか!」
「まっ——————」
俺の足が踏み切り、大地を蹴る音が耳に届くより速く駆け出した。
背中で抗議するように、キセが俺の肩に噛み付いた。