第3話 悪質ジェットコースター
時刻は昼過ぎだろうか。
改めてキセの依頼を受けた俺は、今後の行動計画を立てるために地図を開いていた。
「なあ、本当に東で良いのか?俺の記憶では、上層への“連絡路”は北端なんだが……」
キセは“九層に自分以外のエルフはいない”と答えた。それはつまり、彼女たちの里が第九層にないことを意味し、突き詰めれば、彼女が階層間を移動してきたことを指し示す。
「……大丈夫。私、こっちから来た」
第九層は、横に広い楕円形の地形だ。キセが指差すのは、東の大国——豊穣の国“エドルカ”。
ちなみに俺たちが脱出した“ニューオリンド”が南端付近にあり、今いる森はそこからちょっと北に外れた場所にある。
「こっちって……マジでエドルカから来たのか?」
訝しむ俺に対して、少しだけムスッとしてキセが頷いた。
「……地図、見たから」
「それなら間違い無いか……いや、一大事だぞこれ」
上層……第八層への連絡路は唯一北端に存在している。界壁を抉るように空く横穴が目印で、入り口は軍事国家アーシアが厳しく管理している。
「でもまあ、考えてみればあの警備をすり抜けるなんて無理だろうし、もう一つ通路があるって考えるのが自然か…?」
あと、俺個人としてもそっちの方が助かる。
アーシアに常駐している騎士団長・バルトフェルトは正真正銘の猛者だ。キセを守りながら戦えるような相手ではない。
「お兄さん、行ったことあるの?」
「2、3回くらい、仕事でな。穴を遠目で見る機会はあったけど、入ったことはない」
基本的に入り口は封鎖されていて、通れるのは正規の騎士団所属兵だけ。
そもそも、大規模な軍事行動がない限り、あの辺は上層から降りてくる魔獣に対処するための防御壁のような役割が主である。
俺みたいな一介の、素性の怪しいなんでも屋なんかが関われるわけもない。
それはともかく。
「二つ目の連絡路か。それじゃ、そっちを目指すか」
「…………お兄さん」
「そうだな、おんぶと抱っこどっちが良い……って、どうした?」
立ち上がった俺の服の裾を、キセの両手が破けんばかりに強く握った。その表情は苦痛に歪み、どこか痛みに耐えているような気配があった。
「……外、たくさんいる。もう、囲まれてる」
「わかるのか?」
コクコクとキセが頷いた。
「……人と、他にもいる。鉄の“音”もする」
「わかった。最速で突破する」
俺はキセのフードを被せ直し、両手で抱えるように持ち上げる。
「キセ、俺の首に両手を回せ……そう。あと、おでこを肩にくっつけて」
キセの額が肩を擦ったのを確認し、全身に魔力を浸透させる。
戦いを前に、再び頭痛と吐き気が込み上げる。消えろ、と念じても、臓腑を這うような気持ち悪さが消えない——
「……大丈夫。俺に任せろ」
ギュッと俺の服を握りしめる少女の握力に、熱に意識を向ける。
——大丈夫。もう、弱くない。俺は、戦えるのだから。
世界に遍在し、命あるもの全てが持つ力……“魔力”。
生命の“魂”を泉に湧き出すその力は、意志を乗せることで世界の法則を“一時的かつ限定的に上書き”する。
「“魔術”は……今はオーバーキルだな」
上書きと言っても限度はあるし、法則や事象とあまりに乖離した上書きはほぼ不可能だ。
だが、自分の肉体性能を一時的に引き上げることくらいは容易くできる。
俺の全身を、蒼い魔力が満たしてゆく。細胞の隅々まで蒼に浸かって、右足を一歩踏み出し、
「絶対に手、離すなよ」
——解放する!
大地を抉り、舞い上がる枯れ葉のカーテンを引き裂き駆け出した。
瞬間、俺を中心に風が吹き、木の葉が舞った。
ものの数分で森を脱出する。
キセの言った通り、森の外縁部には一帯を囲うように騎士団たちが陣取っていた。
「あれは……!」
「まさか自分から出てくるとは!」
矛と盾を交えたエンブレム。——軍事国家アーシアから派遣されてきた駐屯騎士団で間違いない。
早々に振り切ったつもりだったのだが、本職相手だ。俺の見通しが甘かったらしい。
「エルフを抱えてるぞ!」
「逃すな!ここで一気に叩く!」
俺を取り囲むように展開する騎士団。
「悪いけど、アンタらに構ってる暇は、ない!」
完璧な包囲網が完成するより早く、蒼の軌跡を残して加速。僅かな隙間を切り裂くように、知覚を振り切って突破する!
「なに——!?」
「今の速さは…!」
「浮浪者もどきが、どこでこんな技術を!?」
驚愕する騎士団の意識の間隙を逃さず、より一層加速する。
「狼狽えるな!私が騎兵と共に先行する!」
背後、一際凛々しい男の声がした。それから程なくして、俺の耳に重い地響きのような音が複数響いた。
恐ろしい速さで俺に迫るのは、鞭と蹄の音、そして嘶き。
「“駿魔”か!」
体格は馬とほぼ同じで、他の生物に懐きやすいという珍しい生態の“魔獣”。人懐っこいが、しかしバリバリの肉食獣。
特筆すべきは、彼らの名前の元にもなった高い機動力。
優秀な個体は音速にすら届く、驚異的な脚力を持つ。
本来はすぐに魔力切れでへばってしまう種族なのだが、騎士団が乗る駿魔は訓練されており加減を知っている。ガス欠狙いは、現実的ではない。
「なんでも屋! 貴様とて、駿魔からは逃げられまい!」
「投降しろ、今ならまだ、エルフの洗脳を受けたものとして減刑の便宜が図れるぞ!」
「このっ……好き放題言いやがって!」
静止や投降を求める声と共に聞こえる蹄の音から推測するに、駿魔は十頭。
振り切るには少し骨が折れるし、何よりエドルカの“穀倉地帯”を突っ切ることになる。あっちの国には何かと知り合いが多い。迷惑は、かけられない。
「キセ。少し……いや、だいぶ荒っぽくなる」
肯定か抗議か、首に回る両腕の拘束が少しキツくなった。
加速を解いて、急激に減速する。騎士団の蹄の音が瞬く間に背後に迫った。
「目標の停止を確認! これより拘束に、へ?」
急転、俺の真後ろに迫っていた男の駆る駿魔の前脚の関節を回し蹴りで砕き、跳躍。
目を見開く男の首根っこに足首を引っ掛け、背中から引き摺り下ろして地面へと叩きつけた。
「へぶぅっ!?」
奇声を上げ気絶した男には目もくれず再加速。俺を追い抜き挟み込もうとした騎士たちを追い抜き返し、次々に無力化していく。
「馬鹿なっ——駿魔を追い抜いただと!?」
「両手を使えない状態で、ああも簡単に!」
「なんという体捌きか!あの練度、隊長に匹敵……しまっ、ぐああ!?」
情報は武器であり、無知から生まれる驚嘆や恐怖は思考のノイズだ。
騎士団が俺というブラックボックスを知るより早く、息つく暇も与えず撃破してゆく。
「カガリ、貴様よくも——!!」
背後からの殺気に反応し咄嗟に飛び退る。先ほどまでいた場所を肉厚の剣が斬り伏せ、隊長格を示すマントが翻った。
「殺してないから安心しろ!」
「それは問題ではない!」
「安否は気にしてやれよ!?」
部下を失い激昂した隊長、アンガス・リグルドが駿魔を駆り疾走する。
俺は真っ向から対峙し、闘牛士よろしく限界まで引きつけ跳躍。斬り払いを回避——アンガスの背後に躍り出る。
「見切っておるわ!」
アンガスの剣に魔力が通い、波紋と共に幾何学模様の陣——“魔術方陣”が展開される。
振り抜かれたはずの剣が慣性の法則を無視し、まるで逆再生のように弧を描き背後の俺へと襲いかかった。
「悪くない操作魔術だ。腕を上げたな、アンガス」
ガギィーー!! と甲高い音を立て、幾何学模様を浮かべた俺の右膝がアンガスの剣を受け止めた。
さっきの言葉は、前言撤回だ。コイツ相手に、魔術縛りなんて手抜きはできない。
「硬化、魔術……」
魔術とは、“魔術方陣”という技術を用いて、魔力の上書き能力により強い指向性と強度を与えるものだ。
『一点集中の方が力出るよね』という、原理としてはそう難しいものでは無い。
硬化した俺の右脚の強度は鋼鉄を上回り、本来俺を両断するはずだったアンガスの剣をガラス細工の用に破壊した。
目を見開き、数瞬後、自らの敗北を悟ったアンガスの瞳に諦念が浮かんだ。
「——じゃあな」
駿魔の尻に着地し、一蹴。
「ぐぷっ…!」
俺の右足が脇腹に突き刺さり、白目を剥いたアンガスが駿魔から落下した。
踵落としで駿魔の背骨を砕き、離脱。
支えを失ったアンガスの愛騎は『ヒヒィィィン』となんとも紛らわしい叫びを上げて転倒する。
「悪いな、機会があったら、そんときに土下座でもしてやるよ」
返事を待たず、俺は唯一、あえて残していた駿魔に跨り東へ舵を切った。
「……お兄さん」
少しして、ぬっ——とキセが顔を上げた。
「悪かった。怪我はないか?」
「……ない。けど」
「けど?」
「…………吐きそう」
「——えっ?」
安堵も束の間。
にわかに青くなるキセの顔色に俺は表情を凍り付かせ、何かを感じ取ったのか、駿魔が『ブルルン』と嘶いた。
「…………むり、はく」
「えっ……ゑ!? あっちょっと待て吐くなら降りてから止まるから我慢あと10びょ——」
「うぇっ……€¥$%〒〆*$#:=^^☆」
手遅れだった。
キセへのケアを怠った俺に全面的に非があるが、罰としては少しばかり重くないだろうか?
この結果、俺の上着一枚とポンチョが犠牲になったことをここに記す。
臭いを嫌がり暴れた駿魔は、その辺に乗り捨てた。
◆◆◆
「右脚一本で、俺の隊を蹴散らすか。流石だな…」
戦場篝が去った後、一蹴されたアンガス含む騎兵隊たちは後続の歩兵たちによって救出された。
「なぜだ。なぜなんだ……!」
治療を受けたアンガスはただ1人、汚れたマントを握りしめて、苦悩に表情を歪める。
「カガリ・イクサバ!元防衛旅団所属の貴方が……人類を守るために最前線で戦っていた貴方がなぜ、我々を裏切るのだ……!」
その呟きは、誰にも届かない。
「貴方の正義は、どこへ行ったのだ——」
答えるものは、いない。
“魔術方陣”……元々は小隊〜中隊規模の人員を動員して行使する秘術だった。時を経て簡易化・小型化が進み、今の個人が運用できるものに変化しました。
“方陣”という呼び方は名残りであるのと、実はもう一つ。これについては後々明かします