第14話 『家族』と『日常』
——『ね、かがりんはさ。元の世界に帰りたいって思わないの?』
武器の手入れをする俺に、藤色の髪の少女、プリムが不思議そうに尋ねた。毎度の如く俺の背中にのしかかってくるバグった距離感だが……こう何ヶ月も続くと慣れるものがある。
——『……何。お前、帰って欲しいの?』
——『うえ!? いやいやいやいや! そうじゃなくってえ!』
赤錆色の瞳をぐるぐると回し慌てる彼女に意地悪く笑う。
——『わーってるよ。なんでまた急にんなこと聞いてきたんだ?』
——『だってかがりん、元の世界のことなにも話さないじゃん』
不満そうに口を尖らせる。
——『話すことなんてないからなぁ。入院生活とか、虚弱の苦労話とか聞いても面白くないだろ?』
——『そんなことないもん。か、かがりんの話だったら、なんでも聞きたいよ?』
——『……ダウト、緊張が見られる。またシャスカから変なの教わったなお前』
俺の指摘に、プリムは「んぐっ」と喉を鳴らした。
——『バレたかー。やっぱ慣れないなーシャスカの誘惑術』
——『騙されるな、それは誘惑術じゃない。お前で遊んでるだけだ。ほら、今だってあそこの屋上で爆笑してるし』
——『うわほんとだ! ほんっと性悪女!』
——『毎度騙されるお前もお前だと思うんだがな……』
——『……でも、キミのことならなんでも知りたいっていうのは本当だよ?』
急に、吐息混じりで囁かれ、俺は手入れの手を止めて硬直した。
——『にひひ、赤くなった!』
——『くそっ、二段構えかよ!』
脳が茹ったとしか思えない、15分後には悶えているであろうアホな会話。
側から見ればバカの極みだが、それが、どうしようもなく新鮮で楽しかった。
——『なんやお前ら、またしょーこりもなくイチャついとんのか』
——『いちゃついてねえ!……話合わせろよ!』
——『餓鬼は元気でええなぁ』
スキンヘッドのエセ関西弁、ジルヴァの呆れたため息に二人してぶーぶーと文句を垂れる。
——『そーいや、アンタはどうなの?』
——『リオンさんのことさっさとデートに誘えよハゲー!』
——『ウジウジするなよハゲー!』
——『ハゲちゃうわ! おどれら、しばくぞ!?』
望むところだと言いたいところだが、今日は魔力鍛錬だけであとは休めと師匠からストップがかけられている。仕方ないので煽り倒すことに徹する。
ギャーギャーと、20歳と、16歳と、27歳で、広場の子供以上に騒ぎ立てる。
いつものことかと笑う奴ら、ヤジを飛ばして楽しむ奴ら。
——『おーいお前ら! 肉焼けたぞ〜!』
——『『『食べるぞ! 一時休戦!』』』
他にも、空気をぶち壊す和解の一撃を持ってくる奴。
そこは最前線で、片時の油断も許されない戦場で。
でも、そこには確かに、そこで生きる人たちがいて、生きた証があって、俺も、確かにそこで、生きていた。
——『なあ、俺からも聞いていいか?』
——『んー、何?』
俺の二倍以上のペースで肉を胃に流し込むプリムに問う。
——『お前はさ、なんでそこまで『日常』にこだわるんだ?』
——『んー、欲しいから!』
即答であった。
——『ま、も少し真面目に答えると……憧れなの、普通の生活ってやつ』
少女は、羨むように上を……“上層”を見る。
——『アタシは、上を知らない。徴兵された人たちから伝え聞く話以外、なにも。でもアタシ、欲張りだから。『人生一回じゃ足りない〜っ!』ってくらい、やりたいこと沢山あるの』
珍しく。
プリムが悪戯っぽい笑みではなく、儚く、どこか大人びた雰囲気すら感じさせる微笑みを浮かべた。
——『それが、『日常』なのか?』
——『そ!だから何としてでも暗影倒して、生き残る。でも、せっかくだから今も楽しみたいなって!』
——『それは俺を巻き込む免罪符にはならねーよ』
訓練があろうと休みだろうと関係なく、俺を連れ回して日が暮れるまで遊び倒す暴虐っぷり。
——『えー?でもかがりん、嫌じゃないでしょ?毎回『またか……』って顔しながらでも付き合ってくれるし、楽しんでるし』
——『……ま、そうだな』
だいぶ騒がしいし、定期的に命の危機にも晒される。
形は違えど、しかし、それは確かに、俺が希った『日常』の形。
そして、こうして笑い合えるのも、互いを想う……『家族』の輪があるからこそ。
俺の理想は、ここにあった。
◆◆◆
「…………、ここは?」
喉の奥の不快な酸っぱさに目を覚ました。
肉体的な損傷はないが、ひどく身体が疲れている。
「ああ……倒れたのか、俺」
まだ目眩が残る頭を引きずるように起き上がる。最悪の気分だ。
「……お兄さん!」
「確認:意識の回復。肉体的損耗、確認できません」
「…………心配、かけたな」
「ダメ、まだ寝てないと」
キセが外に出ようとする俺の両肩を抑えて無理やり葉布団に押し込める。
押しのけようにも身体は言うことを聞かなかった。
「……魔獣はどうなった?」
「大丈夫。みんなが倒した」
「……そっか」
カルネの報告では、怪我人こそ出たものの魔獣の襲撃は無事切り抜けたとのこと。
「補足:個体名・イズモ ヤマト、ヤシキ ユウリ、サクラバ レンの航界者三名を前線で目視。魔術の使用を確認しました」
「なんだよ。俺以外に、助っ人いるじゃん」
自嘲する。
「こんなざまで……何が“助ける”だよ」
本当に、笑わせる。
何も守れなかった人間が、力もないくせに。
「……お兄さん、寝てる間に言ってた。“ごめん”って。あと、名前……何人も、呼んでた」
キセは、傷口から、俺の心臓に触れる。
「教えて、お兄さん。……昔、何があったの?」
「そんなの、言えるわけ——」
「ダメ。依頼人の、命令」
語気を強め、キセは真剣な表情で俺を見る。
「私は、弱くて、ちょっと耳が聞こえるだけで、何もできない」
不器用で、内気で、表に出る感情が希薄。
そんな少女が、声を震わせ、掛け布団が破けそうなほど強く両手を握り、訴える。
「お兄さんに、返せるものなんてない。依頼料なんて払えない!ここに来るまで、たくさん迷惑かけた」
ゲロとかもかけた、と心の底から申し訳なさそうに少女は言う。
「私にできるのは、聞くことだけ。お兄さんの話を、聞くことしかできない。でも、お姉ちゃん、言ってた。『誰かが聞いてくれるって、とても嬉しい事』だって」
◆◆◆
それは、嘘を嫌う少女のついた嘘。
厳密には、拡大解釈。
トアの言葉は、確かにかつてキセが聞いたものであり、しかし、それは自分の“歌”に向けて言ったものである。
キセがどんな時にも歌を聞いてくれる、少しだけ、その口角を上げて。トアにとってそれは何よりも心の支えだった。
しかし、例え嘘であっても。
悩みや苦しみ、痛みや嘆き——今もなお、絶え間なく。
篝の内にある、出会ってからずっと消えることのない罪の意識。
キセの耳は、他者の感情を音で捉える。その範囲は「その瞬間考えていること」に限定される。
そのキセの耳が……異能が、篝の苦しみ……自己否定と、それをキセに悟らせまいと、懸命に意識を逸らす心の軋みをこの瞬間すら捉え続けていた。
その言葉が嘘でも。罪の自重に押しつぶされそうな目の前の青年を。見知らぬ土地でたった一人だった自分に手を差し伸べてくれた優しい人を、助けたいと。少しでも、力になりたいと。
そう願うキセ・ストークスの想いは真実だった。
「…………そうか」
ゆっくりと、戦場 篝は息を吐き出した。まだ纏わりつく吐き気と頭痛に表情をしかめ、しかし、苦痛とはまた違った苦笑を浮かべた。
「依頼人の命令なら、仕方ないなぁ」
篝はベッドに腰掛けるように座り直し、空いたスペースにキセを誘う。
「お前も、聞いていくのか?」
「肯定:情報を記録」
「わかったよ」
キセが枕元に備えていた水を流し込み、深呼吸をひとつ。
「最初に言っておくけど、面白くもなんともないからな?」
◆◆◆
——日常が欲しかった。
生まれてから十五年、真っ白な病室が俺の全て。
あまりにも貧弱なものだから、小児病棟でも他の子と相部屋になることはなく。
学校に行きたい、友達が欲しい、放課後一緒に遊びたい……みんなと同じことがしたい。
ずっとそう願っていた。
——家族が、恋しくなった。
十五歳、退院と同時に中学を卒業。病室での受験を許された高校に進学して、まもなく両親が事故死した。
殆ど使われた形跡のない築十四年の新居と、優秀な医者だった父と看護師だった母の遺産。当面の生活には困らないが、どうでもいい。
欲しかった日常は、永遠に奪われた。
無気力、惰性で大学に進学。父の軌跡を辿るように医学部を選んだが、特段、情熱があるわけでもなく。
そうして一年が過ぎ——俺は、異世界に飛ばされた。
「そこは、地底世界の、“第十層”だった」
人族が住まう第九層……通称“人類圏”の下に広がる非人類圏。
「そこは、ここみたいに敵の襲撃を受けててさ」
第十層には、たったひとつ、心許ない防壁に囲まれた廃墟のような街があった。
「そこ……“ニグレシア”は、魔獣とは違う……“暗影”っていう化け物と戦ってた」
「……どんな、見た目?」
「どんな……そうだな。見た目は魔獣だったり人だったりするんだけど……とにかく真っ黒で、見てるだけで吐き気がするよ」
嘘をついていないことがわかるキセは、俺の評価に口をへの字に曲げる。
「漂着直後はさ、もういいやって、自暴自棄になってて」
「……うん」
「その辺の武器持って、暗影にタイマン挑んだんだよな」
「うん…….えっ?…………え゛っ!?」
一度目は困惑、二度目は嘘を言ってないとわかったゆえの驚愕だろうか。
「蛮勇:愚行」
「やかましいわ」
全くもってその通りだけど。
「まーなんだかんだそこで戦ってた奴らに助けられてさ」
実はこの後一ヶ月間眠ってたとか、余計な心配かけそうな話は割愛する。
ニグレシア防衛旅団。
対暗影の最前線にして最終防衛拠点“ニグレシア”で戦う者たち。
団員数は約五千人。
団長、エリオット・シュナイデンを筆頭に、十の隊で構成されている。
「俺は、エリオットに師事して戦いを学んで、第一大隊として戦った」
ひとえに、そこでもらった、かけがえのない『家族』と『日常』を守るために。
多くの、とても多くの大切ができた。
第一大隊・隊長、リクウ。
自棄になっていた俺を助けてくれた張本人であり、みんなの兄貴分。
旅団の中でもNo.2の実力者であり——俺を『家族』として受け入れてくれた男。
第四大隊・隊長、プリム。
全てを投げ打って、戦いに身を捨てようとした俺を引き留め、『日常』をくれた少女。
手先が器用なエノク。悪ぶってるガムトン。執事のクリス。戦闘狂のオートム、リルディ、テトラ。エセ関西弁ハゲのジルヴァ。軟派男のアルフレッド。酒癖の悪いシャスカ。達観したオズワルド。潔癖症のシーシャ。研究狂いのウェネト。偏食家のクルルシェフ。怒らせると一番怖いルーチカ。
他にも、沢山。両手両足の指じゃ足りない。語り始めたら止まらない、溢れんばかりの、大切なもの、時間。
「半年前に……終わった」
「………………」
あまりにも唐突に。
大侵攻。
数十万の、暗影の大軍勢。
絶望的な戦力差。それでも皆、戦った。
戦って、戦って、戦って、戦って、死力を尽くして戦い抜いた。
果てに得たのは、屍山血河。
二千人を超える犠牲者を出し、侵攻は終わった。
「俺は……何もできなかった」
圧倒的な力を前に、俺の刃はアッサリ折られた。
リクウは、俺の腕の中で死んだ。
プリムは血の池に沈み、俺が意識を手放している間に、屍の山に埋もれた。
笑い合ったみんなが……同じ釜の飯を食べた『家族』たちが殺されるのを。
弱い俺は、地面に這いつくばりながら、みていることしかできなかった。
「侵攻のあと。ぶっ倒れて意識不明だった俺は、治療のために第九層に運ばれた」
第十層の物資不足と人手不足が深刻だったゆえに、特に大怪我だった俺を含む十数名が送られた、とのことだった。
最終防衛拠点であるニグレシアが半壊したという事実を上層に悟らせないためか、治療場所は分散されており、他の者が誰なのか、俺は知らないが。
そして———
「治療が終わった俺は……逃げ出した」
自分の、弱さを——
「あんなに、大切な場所だったのに。……俺は、逃げたんだ」
「お兄さん……」
目の奥から溢れようとするものを押さえつけ、俺は唇を噛み締める。
「全部、夢だったんじゃないかって!目覚めれば、元通りで……そもそも、この世界に来たこと自体、夢だったんじゃないかって!」
自分の大切を、自ら踏みつけるような。あまりにも愚かしい、浅ましい考え。
——『同じ釜の飯を食った。笑い合った。なら、俺たちは家族だ。形なんざなんでも良いだろ!』
本当に、家族だと思っていた。あの逞しい背中を、兄のように尊敬していた。
——『なーにが夢なんだい?』
初めて出会ったあの日。忘れられない彼女の笑顔。忘れたくない、騒がしく、馬鹿馬鹿しく、最高に楽しい日々。
どうか現実であれと、そう願ったはずなのに。
「あんなに、大切だったのに……」
その上で、夢だなんて冒涜を、自ら考えて、踏み躙った。
「俺は、受け止めることから——逃げたんだ」
堰を切ったように溢れ出す。
「なんでも屋なんて、やってるのは……ただの自己満足だ」
目を背け続けるための道具にしてるにすぎない。
「誰かを助けることで、満たされた気になって……自分の弱さと、向き合おうとしなかった」
こんなこと、キセに話しても、どうしようもないのに。ただ、不安にさせてしまうだけなのに。
どうしようもなく溢れて、止まらなかった。
「お前を助けたのだって、不純な動機なんだ。俺は、お前を、見てなかった」
決定的な言葉を。
「——違う」
しかし、キセは否定した。
「お兄さんは、私を見てた」