第13話 襲撃
予約更新死んでたあーーーー!!!
魔獣の襲撃により、深緑の千都さにわかに慌ただしくなる。
四方に散らばっていた兵士たちが少しの見張りを残して襲撃のあった西側へと集結する。
その中には、篝とエルケネスの模擬戦を見守っていた九人の航界者の姿もあった。
「あの人、大丈夫かね」
槍で肩を叩きながら、勇理は鉄の巨人が去っていった方角を眺めて呟く。
「思いっきり吐いて気絶してるのよ。大丈夫なわけないでしょ」
「いやまあ、そりゃそうなんだけどさ?」
もっともな大和の発言に、勇理は「ドライだなぁ」と嘆息した。
「倒れた人のことなんて気にしてる余裕ないわよ。これから前線に出るのよ?」
「……確かに、それもそうか」
「でも……そうね。少し気になるわ」
大和が脳裏に浮かべるのは、蹲って嘔吐した篝の後ろ姿。
遠目からでもわかるほど、その体は激しく震えていた。その立ち姿は、大和にも覚えがあった。
「なんで、初陣の私よりも震えてるのよ」
誰にも聞こえないほどの小さな声量で呟いた。
大和は一ヶ月前、初めて前線に出た時のことを思い出す。戦う覚悟は決めていたはずだった。そのための研鑽も積んできた。不足といえばその通りだが、無駄ではないと確信していた。
だが、実際の戦場の“圧”は、大和の想定を遥かに超えてきた。
一ヶ月経った今ですら、開戦直前のひりつく緊張は背筋と腕を震えさせる。
しかし、戦場篝の震えは、明らかに大和のそれとは毛色が異なっていた。まるで、大きな何かに怯えているような震えだと、大和の目には映った。
「あれだけ強くて、一体、何に怯えるのよ」
「姐さん、きたぞ」
「姐さん言うな。……わかったわ、行きましょ」
大太刀の鞘を撫で、大和たちはエルケネスの待つ最前線へと向かった。
◆◆◆
けたたましい嘶き。枝葉を揺らす奇怪な叫喚。大地を踏み鳴らす常ならざる行軍。
魔獣とは、一つの命の形である。
人為的に生み出された生物でもなければ、世界から爪弾きにされるような異形でもない。
彼らは正しく生態系の中に存在しており、美しくも残酷な命の循環という機構の枠組みの中にある。
だからこそ、眼下、眼前に広がる光景は異様であり、何度見ても慣れることはないだろうと、金髪の美青年、アシュバルは嫌悪から顔を顰めた。
多種多様な魔獣たちが一様に、互いに争い合うことなく一直線に深緑の千都目掛けて押し寄せてくる。
捕食者、被捕食者の関係性であっても互いの姿は眼中にない。
「弓隊、矢を番えろ!」
防壁の上。指揮官であるアシュバルの指示に従い、弓を持つエルフの兵士たちが構え、魔獣の先頭集団へ狙いを定める。
魔術によって靱性を鍛えられた成りと弦が激しくしなり、貫通魔術を施された矢が解放の時を待ち侘びる。
ゆっくりと、アシュバルの右手が持ち上がる。
「弓矢、放てーーーー!!」
勢いよく振り下ろされた右腕と号令に合わせ、防壁の上から大量の矢が魔獣の群れに降り注いだ。
『GAAAAAAAAAAAーーーーーーー!!!』
降り注いだ矢は先頭をひた走る四足の魔獣の眉間、前脚、頸、胴体に突き刺さり、即死、或いは重傷を負ったものから転倒し、後続の魔獣を巻き込み派手に横転した。
「まだ来るぞ、第二射構え!」
しかし、魔獣の群れは止まらない。同族の死体を踏み荒らし、肢体を散らしながら咆哮し、ただ突き進む。
「主力部隊、交戦用意!!——師匠!」
アシュバルは眼下にて衝突に備える主力部隊、その最前線に立つエルケネスに指示を飛ばす。
「下の指揮をお願いします!」
「あいわかった。——盾兵、前へ!硬化魔術を忘れるでないぞ!!」
エルケネスの指示に従い盾兵が前に出て大盾を構え、その背後に間を開けて槍兵が列を成す。その中には、勇理の姿もあった。
「踏み込みが大事。しっかり握って、敵から目を逸らさない。腹の下に力を入れて魔力を練って……」
「——そう緊張するな、ユーリ」
教わったことを何度も復唱する勇理の強張る肩を、隣で槍を握るエルフの青年が優しく叩き、揉みほぐすように握った。
「盾が俺たちを守ってくれる。俺たちは、その守りを信じればいい」
「う、うす!」
「——弓隊、第四射放て!!」
「盾兵、ぶつかるぞ!衝撃に備えよ!!」
物々しい金属音を立て、盾兵たちが腰を落とし、魔術を展開する。
「お前ら、気合い入れろぉおおおおお!!」
『おぉおおおおおおおおおおおおおお———!!』
兄貴分のエルフの発破に盾兵が応え、直後、甚だしい衝突が発生した。
「——槍兵!」
エルケネスの号令、勇理の背中を隣の男が叩いた。
「行くぞ、ユーリ!」
「おう、やってやらぁ!!」
気合いと共に魔力で肉体を強化し、勇理は盾を越えんと跳躍してきた魔獣の喉元に槍を突き込んだ。
◆◆◆
「さて……ヤマト殿。儂についてくるように」
「もしかしなくても、突っ込むのね?」
弓隊による後方の魔獣の間引きと盾兵の献身的な支えにより辛うじて前線は安定していたが、魔獣の勢いが強い。
大和の素人目で見ても、均衡は何かきっかけがあれば崩れるだろうと確信があった。
「左様。儂らが一手先に敵陣をかき回す。……頼めるかのう?」
あくまで自然体のエルケネスに、大和は逡巡の末に頷いた。
「やってやるわよ」
「頼もしい限りだ。では、征こうか」
ゆるりと歩きだしたエルケネスを追って、大和は大太刀を引き抜いた。深呼吸、肉体を魔力が満たし、循環する。
サウナに入った時のような、じわじわと身体が火照るような錯覚と共に自身の身体能力が底上げされた実感を得る。
「お爺ちゃん、作戦は?」
「そんなものはないのう」
「ええ……?」
「敵の層が厚い所に斬り込み、数を減らす。それだけだ」
要するに、気合いでなんとかしろ、と言っていた。
「戦場の機微は、戦場でしか学べぬ。安心なされよ、ヤマト殿。危なくなったらこの老骨が助け舟を出そう」
「……なら、遠慮なく斬り込むわ」
「それで良い……いざ」
壮麗な音と共に刺突剣が引き抜かれ、エルケネスの周囲を水糸が逆巻く。水糸は互いに寄り合い、紡がれ、練り上げられ束となり刺突剣に集約された。
「コォオオオッ——!」
エルケネスが踏み込み、加速する。
盾兵を側方から奇襲を試みた魔獣を蹴り飛ばし、上空で無防備になったそれに向かって水を従えた刺突剣を振り抜いた。
魔獣は皮膚を突き破るほど肥大化した頭蓋骨を持ち、骨に魔力を流すことで鉄のような硬さを得る。しかし、それをもろともせず両断する。
断末魔を聞き届ける間も無く、エルケネスはすかさず敵陣に深く切り込み剣を振るい、瞬く間に敵の嵩を減らしていく。
「せやぁ———っ!」
そんなトンデモ老人を横目に、大和もまた奮戦する。
九人の航界者の中で最も才覚に溢れている少女。エルケネスをして、「才能だけならばアシュバルを軽く凌ぐ」と言わしめる彼女の成長は著しいものがあった。
「来なさい。片っ端から叩き切ってやるわ」
一振りで胴を、返す刀で無防備な首を切り落とす。
魔力によって強化された肉体と、地球にいた頃齧っていた剣術により身についていた多少の技術。
この二つにより、大和は戦場で、魔獣にとっての断頭台と化した。
大和の活躍は防壁の上からでもわかるほど凄まじいものだった。
しかし、いかんせん魔獣の数が多い。
「——はぁ、はぁ。ダメね、全然」
一撃一撃に無駄が多く、攻撃を大袈裟に避けるため体力の消耗が大きい。
大和自身、非効率な戦い方だと身に染みて理解する。
乱戦に置いて、一頭につき二撃以上かかるのはやはり、劣っていると言わざるを得ない。
エルケネスの言うとおり、戦場でしか学べない立ち回りというものは確かに存在すると、大和は自分の無力を痛感していた。
しかし、初陣から一ヶ月程度の新兵という前提を考慮すれば、十分すぎる戦果と言える。
身の丈ほどもある大太刀を手足のように扱い戦う様は、鬼人を彷彿とさせた。
弓隊に配属されていた航界者の男は、「邸くんが姐さんって呼ぶの納得だなぁ」と心の中でこっそり同意した。絶対に本人には言わないが。
「なんと、想像以上に強くなっておるのう……やはり、儂には武芸の才はないらしい」
魔獣を片手間に処理しながら、エルケネスは戦況を見渡す。
「アシュバルも指揮官が板についてきた。儂が追い抜かれる日も近いかのう」
自らも魔術で援護しながら全体に指揮を飛ばすアシュバルの貫禄に、思わず老爺の頬が緩んだ。
幼少の頃から自分を“師匠”と慕ってきた男の成長に感慨を覚え、エルケネスは喜びから滾った水流で一帯の魔獣を押し流す。
「——む、ちとまずいか」
眉を顰めたエルケネスの視界の奥で、大和が疲労から集中を切らし、ぬかるみに足を取られていた。
「……こんのっ!!」
体勢を崩した大和の隙を魔獣は見逃さなかった。
牙を剥き出しに、覆い被さるようにして大和の喉元目掛けて突貫する。
辛うじて大太刀を間に挟むも、防御としてはあまりにも心許ない。
「離れなさいよっ!!」
怒り心頭、歯を食いしばった大和は膝を突き上げ、魔獣の腹を強打——拘束が緩んだ隙に逃げるように転げて脱出した。
「はぁっ、はぁっ——」
呼吸が荒い。
体力が不足していることを実感した大和は、前線から退きながら舌打ちした。
「はぁ——攻撃だけじゃダメね」
「それがわかっただけでも重畳。よく自力で凌いだのう」
大和が取りこぼした魔獣にとどめを刺し、エルケネスは少女を守るように魔獣の前に立ち塞がった。
「お爺ちゃん。……ごめんなさい。ちょっと、これ以上はキツいわ」
大和の弱音に、エルケネスは満足気に頷いた。
「自分の限界を正しく知れたのなら、十分だろうて。間も無く襲撃は止む。悔しいのであれば、次に挽回すれば良い」
「……そうさせてもらうわ」
「さて……あと一息、踏ん張りどころだのう」
開戦から暫く。
主力部隊に疲れが見え始めた頃、漸く敵の最後尾がはっきりと目に映った。
「——終わりが見えても気を緩めるな!最後の一匹が倒れるまで油断するなよ!!」
アシュバルの力強い声かけに応え、鬨の声が上がった。
この日の襲撃を、深緑の千都は死者0名で乗り切った。