第12話 急転直下
本日2話目です
産まれた時から、俺は他人より劣っていた。
脳以外のあらゆる臓器と筋肉の脆弱性。そして、骨形成不全。
何故生きているのか不思議がられるほど、俺は生まれからハンデを負っていた。
半年持たないとすら言われていた俺は、医者だった父と看護師だった母の懸命な支えにより15歳の時、奇跡的に退院。
両親の死後も、こうして異世界に飛ばされるまでなんとか生活することができた。
地球ではラジオ体操すら命懸けだった俺は、一年前、異世界に来て、“魔力”という存在に救われた。
ある人曰く、単純に濃度の問題ではないか、とも言われたが……今は余分な情報だ。
俺はこの地底世界で、多くの人に救われた。
ある男は、俺を『家族』だと呼んでくれた。
またある男は、俺を『親友』だと肩を組んでくれた。
ある少女は、俺を『日常』の象徴だと言ってくれた。
全て、全て。
俺が地球で諦めていたものだった。
形こそ違えど、そこにあるのは紛れもなく家族で、友で、日常だった。
毎日のように、想う。
俺は、彼らに…………。
「想う資格なんて、ないくせに」
未明。目覚め、自嘲する。
外に出ると、剣気を感じた。
昨日、キセの姉……トアが“練兵場”だと教えてくれた広場。
そこにただ一人、座禅を組み、近寄るだけで切り裂かれてしまいそうな練り上げられた覇気を纏う老爺がいた。
「…………カガリ殿。どうやら、起こしてしまったようだの」
「謝るにしては、随分と嬉しそうだけど?」
そう言う俺も、自然、高まる。久方ぶりの自分より強い人を前に……内の熱が燃える。
俺の内側を見透かすように、エルケネスは鈍色の瞳で俺を鋭く射抜いた。
「はは、つまりそういうことよ。……ひとつ、手合わせするとしよう」
◆◆◆
光が降りて間もない明朝に剣閃が疾る。
エルケネスと篝。選んだ武器は、刺突剣と一対の小太刀……“双血”。
互いに最低限、魔術を用いない魔力による身体強化のみでの立ち合い。
言葉を交わさず、ただ剣の衝突によってのみで通じ合う。
手数は篝に軍配が上がり、しかし、体捌きと剣術の練度でエルケネスが勝る。
(この爺さん化け物かよ!)
篝は、内心でエルケネスの技量に驚嘆する。
鈍色の老人の足元には、綺麗な円が描かれていた。その円は、それより外に、1ミリたりとも足が出ていないことを意味する。
(技量だけなら、多分、師匠以上!)
双つの刃の苛烈な連撃を捌くのみならず、左脚を軸に脳天まで芯を通す、基本にして極意の立ち姿勢。
体感の安定は、再現性と高い修正力を齎す。
愚直に鍛錬を積み続けた、狂気的なまでの修練の賜物が、篝の刃を悉く弾いていた。
(この若さで、既にここまで……なんと、末恐ろしい)
対するエルケネスもまた、篝の積み重ねに舌を巻く。
鍛錬は浅く、足運びや刃の角度、先走りなど。端々に甘さが垣間見える。
しかし、それらを補って余りある直感と戦闘センス。
思考の中に垣間見える本能が、エルケネスがわざと生み出した“隙”、“誘い”を悉く躱す。
(修練以上に実践を経て最適化する類いの傑物。しかも、これで抑えている)
篝の立ち姿に見える微妙な硬さに、エルケネスは、魔術を用いた戦いでこそ真価を見れると確信した。
(寒気がするほどの内包魔力……これは、ふむ。ちと、若い衆に発破をかけるとするか)
朝から何事かと練兵場に駆けつけたエルフや一部の航界者たちを横目に、エルケネスは老獪に笑った。
「ではそろそろ、魔術も使って行こう」
強引な強撃で距離を空けたエルケネスの提案に、篝は少しだけ驚いた様子を見せる。
「加減は?」
「建物が壊れなければ、それで良いとも」
「わかった」
互いに踏み込み、掻き消え、直後——衝突。
『————!!』
驚倒を攫う超加速。
互いに音速一歩手前までギアを上げ、いつの間にかアイリスに持ち替えた篝の袈裟斬りが、エルケネスの後方の地面を抉り飛ばした。
「——ふははっ!」
年甲斐もなく興奮したエルケネスは、お返しとばかりに雨のような刺突を見舞う。
篝は咄嗟に半身になり、強化にモノを言わせた強引な挙動で切先を見切った。
「やべ——」
それらは釣りであり、本命は胴への薙ぎ払い。気づいた篝は、自らに足をかけてわざと転んだ。
「なんと——!」
直後、武器を捨て、右腕で体を跳ね上げ蹴撃を見舞う。
予想以上の判断力、肉体の思考への連動力にエルケネスは笑みを深めた。
見た目以上に重い蹴りを左手で受け止め、空中に魔術方陣を描く。
「ちょっ——!?」
「防いでみせよ!」
滞空する篝に容赦なく水球を放つ。
「このっ!」
歯を食いしばりながら水球を視認。
武器を持たない左腕に魔力を集中させ迎撃態勢を取った。
拳と魔術が交錯し———
「そ こ ま でーーーーーーーー!!」
直後、フライパンとお玉でガンガンと爆音を奏でるトアの大声で、強制的に待ったがかけられた。
「むっ?」
「おわあ!?」
空中で水球が霧散し、拳を空ぶった篝はアクロバティックに地面に激突した。
「二人とも、いつまで戦ってるの!?もう朝ごはんの時間なんだけどー!」
ビシッとお玉を突きつけ、エプロン姿のトアがエルケネスに詰め寄る。
「特におじいちゃん!朝からそんなにはしゃいだらダメでしょ!もう歳なんだから……ほらー!みんなも早くご飯食べろ〜〜!」
プンスカと怒るトアにすっかり戦意を霧散させられ、俺たちは自然に納刀した。
「おっかない娘だな、爺さん」
「はは、頼もしき限りだとも。では、儂らも朝餉にするとしよう」
「ああ。でもその前に、軽く水浴びてくるよ」
何気なく去っていく篝の背に、エルケネスは「もったいない」と呟いた。
(動きが悪い。潜在能力は間違いなく一級品。どころか、恐らく、儂が見てきた者の中で誰よりも優れている。だが……何かを、恐れている)
恐れが、篝自身でも認識できない、或いは本人ゆえに目を逸らし、認められない部分でパフォーマンスを著しく制限している……そのように、エルケネスの目に映った。
◆◆◆
「めちゃくちゃ強ーー」
他のエルフに混ざり、二人の立ち合いを見ていた邸 勇理は、語彙を失うほどの衝撃を受けていた。
しかしその月並みな感想は、出雲大和を含む、勇理と共に観戦していた航界者8人の代弁として十分だった。
深緑の千都に保護された航界者の総数は121人。その中に9人、理由は様々あれど、戦うことを自ら選んだ者たちがいる。
早熟した大和を筆頭に、この9人はエルケネスの手ほどきを受けており、訓練開始から早三ヶ月。多少の基礎が固まりつつあった。
ゆえに、理解できた。
キセを連れて、人族の領域……第九層からやってきたという、カガリと名乗る青年の、“強さ”と“怖さ”を。
「ねえ、アシュバル。貴方とあの人、どっちが強いの?」
里内でエルケネスに次ぐ実力者である男エルフに、大和は直球で尋ねた。
「僕では、逆立ちしても勝てないよ」
はっきりと、金髪の美青年は自身の敗北を認めた。
「形ばかりの訓練と、ここ最近の実践しか知らない僕では、アレには勝てない。アレは、化け物だよ」
その評価に航界者たちは驚き、大和はただ一人、とても、悲しげな表情を見せる。
「私のルームメイト……霧夏が、知り合いに似ているって言ってたんです。顔や背丈、声……生き写しみたいにそっくりだって」
「まさか……」
アシュバルは、大和の言わんとすることを察し、驚愕する。
「霧夏は、目の色が違うとか、あんなに体格が良くないとか……別人だって点を探してるんですけど」
むしろ、それらは些細な変化として処理できてしまうようなものばかりで。
しかも、彼らは知っている。
この大規模な漂流では、地球にいた頃からの知り合い同士というケースが多々あると。
そして、世界間の移動という前代未聞の事態。
漂流先の階層が一つや二つズレるなんて、容易に起こりうるのではないのか。
「ねえ、アシュバル。もし仮に、あの人が航界者だとして。一体何をすれば、あそこまで強くなれたの?」
重い沈黙が訪れる。
「別人であった方が幸せだと、僕は思うよ」
長い沈黙を経て、アシュバルは、自分の感情を優先して口にした。
「彼が、航界者だとして。仮に、彼が君たちより早く……例えば、一年前にこの世界に来ていたとして」
アシュバルは、仮定を重ねた。
「誰よりも早く、訓練を始め、実践を経験して…………どれだけ仮定を重ねても、僕には、ああなる姿は、想像できない」
重ねた上で、あり得ないと結論づけた。
「見ればわかる。彼は場数を踏み続けてきた者だ。もちろん基礎はある。鍛錬も怠ってないだろう。だが、それだけでは辿り着けない」
アシュバルは、篝について尋ねた。
「彼は、どんな人なんだ?」
「霧夏が言うには、身体が弱くて、腕相撲で自分に負けるような人だって」
航界者全員、『え、アレが?』と信じられないものを見るような目をした。アシュバルも「そ、そうなのか……」と、予想外の貧弱さに動揺した。
しかし、その動揺もすぐに憐れみに変わる。
「彼がどんな選択をしたのか、僕にはわからない。でも……歩んだ道は、過酷を極めたことだろう」
アシュバルの総評を聞いた大和は、
(霧夏が、聞いてなくて良かったわね)
この世界に来てからできた友人の、心の平穏を祈った。
◆◆◆
野菜中心の朝食から暫く経った。
トア曰く、「この辺の動物はみーんな魔獣が食べちゃいますからね。お肉は貴重品なんです!」とのこと。
魔獣の肉でも、乾燥させて清潔な屋内に放置し、残留魔力を抜くことで食べられるのだが、ここでそれをやればひっきりなしに魔獣が襲ってくることだろう。
キセが保存食の中でも、主に肉類を好んで食べていたことにも合点がいった。
今は、キセを膝に置いてあやとりを教えている。
近くを通るエルフたちの誰も彼もが驚く——「あのキセが!?」みたいな表情をする——ので、恐らくコイツの内向的な性格は生来のものなのだろう。
「お前、姉の手伝いとかしなくていいのか?あっちで皿洗いしてるけど」
「前、お皿十枚割って、追い出された」
「木製だったけど!!?」
ミラクルすぎるだろ。どう頑張ればお前の細腕で木製の皿を十枚も割れるんだよ。
「免除の代わりに、この後もみくちゃにされる」
「ああ、なんとなく想像できる」
トアのシスコンっぷりは凄まじく、昨日、湯浴みをしていたキセの元に走りながら服を脱ぐという離れ業をやってのけながら突入していた。
久しぶりの再会だなー、微笑ましいなー、と思っていたのだがどうやら日常だったらしい。
被害者はハイライトの死んだ瞳をしていたけど、本気で嫌がってない時点で、キセ本人も嫌ではないことがわかる。
活発なトアと、内気なキセ。正反対だが、姉妹仲は良好そうだ。
「……お兄さん、来た」
長い耳を震わせたキセが、あやとりを中断して北を見た。
「魔獣か?」
「うん。みんなも、もうすぐ気づく」
キセの破格の異能が敵襲を捉えた少し後に、北の物見櫓から美を乗り出すようにして一人のエルフが大声で叫んだ。
「敵襲ー!敵襲ー!」
声を聞いた者たちが我れ先にと動き出す。
広場にいた航界者たちも、彼らにも役割があるのか慌ただしく移動を始めた。
「俺も行ってくる」
「お兄さん、お願い」
「ああ、」
任せとけ——そう言おうとして。
里中に響いたであろう《《銅鑼》》の音を聞いて、世界がぐるんと回った。
銅鑼が鳴る。
少しずつ、前線に兵が集まる。みんなが武器を持ち、迫る敵に備えて、軽口を叩きながら、待って、そして———。
「———、ぅあ」
ぐらぐらと世界が揺れる。口の中がカラカラに乾き、喉が糊付けされたように息ができなくなる。
耳鳴りがあらゆる音を遠ざけ、自分が今、どこにいて、何をしているのかわからなくなる。
「ぁ……………」
うわ言を発しながら、俺は膝から崩れ落ち、蹲りながら、みっともなく吐き散らした。
「お兄さん!?」
ドッドッと心臓が強く脈打ち、燃えるように血液が回り、しかし末端から凍えるような寒さが肉体を這いずってくる。
キセの悲鳴が聞こえた気がした。答えてやれる、余裕がない。
立とうとして、声。
——『多少、期待したが……外れだったか』
——『貴様の色に、もう興味はない』
蔑み、嘲り、全て踏み躙った声。
臓腑をぐちゃぐちゃに掻き混ぜられるような痛みと屈辱、そして拭い去れない恐怖と絶望が、俺の肉体と思考を雁字搦めに縛り上げた。
守れなかった、守れなかった、守れなかった。
何一つ守れず、残せず、ただ斃れ、そして、逃げた。
「はっはっはっはっはっはっはっはっは————」
寒気で全身が震え、呼吸が安定しない。
中身は全部吐き出したのに、胃液とも唾液とも区別できないねっとりとした液体を無様に吐き散らす。
何事かとこちらを見るエルフや航界者たち。
「お兄さん、しっかりして、お兄さん!……カルネ!」
遠ざかる音の中に、ガシャリと重い機械の足音を聞いた。
「お兄さんをお願い! ついてきて!」
「了解:緊急事態と判断。マスターカガリの承諾なしに移送を開始します」
スッと身体を抱き上げられ、ふわりと浮く。
沈みかけていた意識が一瞬浮き上がり、そのまま、真っ黒に染まって落ちていった。
あの日から、ずっと。
今日まで俺は、逃げ続けている。