第10話 深緑の千都
辿り着いたエルフの里は、何本もの巨大樹を起点にした木製の防壁を築いていた。
近づくほどに増す緊張感、外敵に対する強い敵愾心。
多少の小競り合いを覚悟して、俺は物見櫓からこちらを視認できるであろう位置に臆せず踏み出した。
「——おい!人が……人族がいるぞ!」
見張り番の一人が叫び、中がにわかに騒がしくなる。
「待て、迂闊に開けるな!妙な機械を連れている!」
「そこの男!何用でここへ来た!」
魔獣の類いだと思われているのか、無数の弓矢が構えられる。
「まあ、待て。そう逸るな」
「———!」
ゾッと。背筋が凍る。
門の端、せいぜい人ひとりが通れるだろう小さな扉を開け、周りのエルフたちを制しながら、鈍色の老人が外に出てきた。
浴衣に似た服を着流し、武装は刺突剣ただ一本。
しかし……確実に俺より強い。
恐らく、カルネと二人がかりでも、負ける。
「全く……隠れてないで顔を見せなさい。家出娘や」
「……お、おじいちゃん」
ひっじょーーーーに気まずそうな声と共に、いつの間にか俺の背に隠れていたキセが、おずおずと顔だけ目の前の老人に見せた。
『なーーーーーーーーーー』
広がる驚愕の気配と、目の前から消え去る戦意、膨らむ安堵。
老爺は相合を崩して笑った。
「キセ。よく、無事だった」
「……う、」
「待て」
感動の再会を邪魔立てするつもりはなかったが、背後から殺気。
「感知:魔獣が七体接近中。いずれも四足歩行です」
カルネの報告と時を同じくして、物見櫓が騒がしくなる。
——死体漁り、というつぶやきが聞こえた。魔獣の名前だろうか。
俺は、つがえられた弓の音を聞き、遮るように手を上げた。
「ここは任せてください」
狙ってはいなかったが、せっかくの機会だ。キセの目が間違っていないと証明しよう。
「カルネ、風圧からキセを守れ」
「了解」
一歩で位置を入れ替え、魔獣と相対。
アイリスを抜剣。魔力浸潤、十分。
構築——加速術式。
「——シッ!」
短い気合い。アイリスを起点に、蒼の魔力で視界を断ち切るように、ひと息で六閃刻む。
遠方、近づくことすらできず、七体の魔獣が首を刎ねられ崩れ落ちた。
血油を払い、背を向けて納刀する。
「俺は、そこのキセから依頼を受けた者だ。敵対の意思はない」
ごくりと、誰かが唾を飲み込む音がした。
静寂を打ち破るように、鈍色の老爺がが喉を鳴らし……
「びえぇえええええええええ! ぎぜぇえええええええええええええええ!! ぶ じ で よ゛が っ だ ぁ あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」
瞬間、奥の方で大人たちの静止を振り切って、一人の少女が外に飛び出し、イノシシばりの突進でキセに飛びついた。
飛びつかれた衝撃で、キセの喉から潰れたカエルのような声が出た。
「い゛き゛て゛る゛!! ほ゛ん゛も゛の゛た゛ぁ あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」
「お、おねえちゃん、くるじい」
「ゔ わ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
「いき、とまる……」
自分より取り乱している人がいると、不思議と冷静になってしまう、という現象。
俺……というか、俺たちは、それを今まさに実感していた。
俺の目の前で、同じ髪色の少女に抱き絞められ顔を青くするキセのヘルプコールに、俺はそっと操作魔術で空気を運び延命を図る。
「……どうか中へ。娘を守ってくれたこと、深謝する」
目の前で同様に、困った表情で二人の少女を見る老爺の言葉に促され、俺たちはエルフの里……『深緑の千都』に迎え入れられた。
「儂の名はエルケネス。里の代表をやらせてもらっている。旅人よ、名を聞かせてほしい」
案内されたのは、門の側にある、屋外に設置されたベンチだった。そこで、俺とエルケネスは向かい合うようにして座る。
「カガリと言います。素性の知れない私を招き入れてくれたことに感謝します、エルケネス殿」
営業スマイルと営業口調な俺の返答に、鈍色の老爺……エルケネスはふっと柔らかく笑った。
「そう畏まらなくていい。君は娘の恩人なんだ。どうか、肩の力を抜いてほしい」
「そっか……なら、お言葉に甘えさせてもらうよ」
エルフの里……深緑の千都は、写真で見たことのあるような“田舎”の風景そのものだった。
違う点を挙げるなら、里全体を覆う木造の巨大な防護壁だったり、物見櫓くらいだろうか。
その物見櫓からずっと感じていた警戒と、感知網に引っかかっていた魔術の気配が消えたことに気付き、アイリスと双血を横に立てかける。
「二人に毒気を抜かれたとはいえ……警戒を解くのがいささか早く感じるけど」
「キセの人を見る目は確かだ。ゆえに、キセが信頼した君を警戒する理由は、儂らにはない」
心からの発現。身内への確かな信頼がそこにあった。
「だってさ」
「……うん」
俺の足下、“おねえちゃん”の拘束からようやく抜け出したキセの頭を撫でた。
うわぁ、頭に鼻水ついてる……。
だいぶ疲れた様子のキセは、所在なさげに視線を動かし、やがて観念したようにエルケネスへ向き直った。
「おじいちゃん」
「うむ」
「勝手に出ていって、ごめんなさい」
「……お前が、お前が無事ならそれで良い。よく、無事に帰ってきてくれた」
頭——を避けて肩に手を置き(残念ならがそこにも鼻水はある)、エルケネスはやや頬を引き攣らせて笑った。
「ううっ……キセ、無事でよがったよ……」
自然、俺たち三人の視線は未だにダバダバと涙と鼻水を垂らす、キセと同じ深緑色の髪を持つ少女に集まった。
「お兄ちゃん、キセを助けてくれてありがとうございますーー」
ようやく喋れるまで回復した少女に、俺はカルネのバックパックからタオルを取り出して差し出す。
「うん、とりあえず、これで涙拭いてぇええええ待て待て待て!鼻水まで拭くな!かむな!あ〜そんなにぐしぐしして!」
ひとしきり涙を拭き、鼻をかみ、一瞬でタオル一枚の寿命を消費した少女は、(そんなに綺麗になってない)泣き腫らした顔で俺を見上げた。
キセと同じ、綺麗な翠色の瞳だった。
「わたし、キセの姉で、トアって言います……ほんと、ほんとに、ありがとうございまうえぇえええええええええ!!」
「あーもー泣くなって、大丈夫、キセは無傷だからぁあああ俺の膝で拭くな!鼻かむな!汚いから!……俺の服が!!」
そこからキセの姉……トアが泣き止むまでしばらく、俺たちは手に残った鼻水の感触を早く忘れるように努めた。
「つまり、カガリ殿は、人族の領域でキセの依頼を受け、遥々ここまで来たと?」
「そうなるな」
「……重ねて、感謝する。危険を冒してまで、我らに手を差し伸べてくれたことを」
頭を下げるエルケネスに、俺はとんでもないと首を振った。
「むしろ謝りたいくらいだ。人族にはどうも、エルフに対する妙な敵愾心があってな……俺以外の誰も、連れてくることができなかった」
聞く限り、里への襲撃はほぼ毎日のように起こっているそうだ。そんな状況下でも俺を迎え入れ、こうして笑顔を見せてくれるのは懐の広さか、それとも、一人であっても……猫の手も借りたいほど、戦況が逼迫しているのか。
「そういえば、エルケネスさん。キセから、航界者を受け入れていると聞いた。この里にいるのか?」
俺の質問に、エルケネスは淀みなく頷いた。
「うむ、確かに。異世界からの漂流者……航界者。少し前から、この里で受け入れているが。カガリ殿、何か、気になることでもおありかな?」
「ああいや、興味本位だ。人族の方でも、物語としては有名で———」
「——篝くん!?」
今日はよく言葉を遮られるな、など考えながら後ろを振り返り———ポーカーフェイスを崩さなかった俺を、俺は内心で褒めた。
声の主は走ってきたのか、息を切らし、頬を紅潮させていた。
ウルフカットの冬を思わせる美しい白銀の髪。こちらを射抜く灰色の瞳。整った目鼻立ち。十人中十人が「美人」と即答するであろう少女……渚 霧夏は、呼吸を整えることもせずに俺の名を呼んだ。
「篝くん……戦場 篝くんですよね!?」
近づいてくる彼女に対し、俺は……
「人違い、じゃないか?」
「え———」
俺は、他人のふりをした。
驚く彼女を、俺は蒼い瞳で見つめ返す。
「確かに、俺の名前は“カガリ”だけど……イクサバなんて物騒な苗字は持ち合わせてないよ。キセ」
「え、あ、うん」
タコみたいに張り付く姉を引き剥がし、キセが若干戸惑ったように答える。
「この人は?」
「……名前、キリカさん。航界者の人」
「そっか。……やっぱり、人違いだよ。俺は航界者じゃない。申し訳ないが、君のことは知らない」
目の前で、霧夏は「でも、どう見ても……」と戸惑ったように視線を彷徨わせる。
ほんの少しの罪悪感を感じ……押しつぶす。
「……悪い、エルケネスさん。どっか、体を洗える場所はないか?実はここ2日、水浴びすらできてないんだ」
「……では、キセの家が良いだろう。あそこなら湯を沸かせる。湯浴みで旅の疲れを癒すといい」
「ありがとう。それじゃ、遠慮なく」
武器を横抱きに、早々にその場を離れる。
「私も行く。お兄さん、場所わからないでしょ?」
「そうだな、頼むよ」
声が届かないほど離れて。
キセは、ようやく口を開いた。
「カルネは?」
「あそこで待機。下手に動かすより、エルケネスの見える場所に置いとくのが一番、不安がられないだろうから」
「うん。カルネ、厳つい」
初対面の時、びびったもんなぁ。
そのまま当たり障りのない会話をしながら、俺たちはキセの家へと進む。
「お兄さん、なんで、嘘ついたの?」
唐突に、聞かれた。
「やっぱ、お前にはバレたか」
「音、すごい軋んでた。痛そうだった」
「……傷つけちまったかな」
「ううん、お兄さんが」
翠色の瞳が真剣に俺を見る。
どうにも、全部見抜かれてしまっているらしい。異能とは別に、キセが、他者の心に敏感なんだろう。
「知ってるんだ」
「知ってるもなにも、毎日のように会ってたからな」
「……恋人? あいてっ」
妙なことを口走ったキセの頭をトンと叩き、首を振る。
「そんなんじゃねえよ。ただ、ちょっと他人より距離が近かっただけだ」
「なんで、知らないなんて言ったの?」
「……知らない人だからだよ、本当に」
わからないと、キセは首を傾げた。
「今の俺は……彼女に、合わせる顔がないんだよ」
汚れた両手、逃げた両足、背けた顔。
何一つ、彼女に見せられるものではないのだから。
「アイツの知ってる戦場篝は、もう、死んだよ」