第1話 世界を変える出会い
早朝。
窓から差し込む昼間のように明るい光で、俺……戦場篝は目を覚ました。
若干の寝不足は否めないが、二度寝は厳禁。
動きやすい服に着替え、半年前から間借りしている築四十年を超える兵舎の一室を出て、そのまま日課の走り込みを始めた。
規則正しい呼吸と歩幅。軽快なリズムで街の外周を囲む防壁に添うように駆ける。
走りながら、俺はなんとなく視界の上に広がる自然の天井を眺めた。
「今日も“天蓋”は健在……雨が降らないのは良いけど、変わり映えしないよな」
地底世界“第九層”。
天蓋から降り注ぐ光で世界は昼間のように明るく、穏やかな春のような気温が通年続く土地。
商業都市ニューオリンドの朝は、店開きの準備を始めた商人たちによって、少しずつ慌ただしさを増し始めた。
◆◆◆
転移、或いは転生というやつなのだろう。
俺は一年前のある日、なんの脈絡もなく唐突にこの地底世界に放り出された。
世界を十の層に隔てる“天蓋”と、地平線という概念を消し去る、世界全周を取り囲む“界壁”。
光源は、“ヒノゴケ”と呼ばれる天蓋や界壁上部に蔓延る発光する植物。周期的に点灯と消灯を繰り返し擬似的な昼と夜を作り出す変わった生態をしている。
地球とはなにもかも違うこの世界になんの脈絡もなくポイ捨てされた俺は、紆余曲折ありながらもなんとか今日まで生きてきた。
◆◆◆
第九層北部に位置するニューオリンドは、街中心部にある巨大な石碑から蜘蛛の巣のように大通りと小道を走らせた、謂わば平安京を円形にしたような区画整理が為された都市だ。
都市には至る所に多種多様な商店が並び、日々しのぎを削っている。
現状、第九層で最も商業が盛んかつ成長の余地がある場所だ。
俺が間借りしている兵舎はニューオリンドの東端——何故かこの世界にも方位が存在する——にあり、ここを出て、都市を取り囲む防壁を一周するのがここ半年の日課になっている。
走り込みの後は素振り。兵舎の隣にある訓練場で汗を流し、一息つく。
おもむろに眺めた手のひらには、擦り切れた剣タコ。
「最近は模擬戦とかやってないし、訛ってる気がするな」
地球にいた頃は、自分が剣を扱うようになるなんて想像もしてなかった。重たくて持てたもんじゃないと思っていたが、一年も経つとそれなりに様になっているものである。
「今日は仕事ないし、アンガス辺りとやり合うのもいいか? でもアイツ、最近忙しそうだしな……」
俺はこの異世界で、“なんでも屋”を営んでいる。
失せ物探しに仕入れの手伝い、魔獣の討伐や商隊護衛、喧嘩の仲裁からペットの捜索までなんでもござれ。
金さえ貰えば殺し以外は基本何でもやる、それが俺のスタンスだ。
今日は事前の依頼はなし。飛び込みの依頼さえなければ久しぶりの休養日——
「カガリさーん! 緊急の依頼だよーー!」
——に、なるはずだった。
塀の向こうから身を乗り出して俺を指名したお得意先の少女の声にガックリと肩を落とした。
◆◆◆
依頼内容、ハリガネモグラ三頭の捕獲・納品。
期限、本日昼まで
◆◆◆
激務だった。
「クッソ疲れた……」
ハリガネモグラ。ニューオリンド近郊の平野の地中に生息する哺乳類である。
滅多に地上に顔を出さず、また全身を守る鉄のように硬い針の山を持つことから捕獲の難易度が非常に高く市場に出回ることが少ない。
「それを三頭とか頭おかしいってマジで。依頼してきた貴族の奴ら絶対大変さわかってないだろ」
泥だらけで兵舎へ帰りながら、俺は今日の依頼者への愚痴を垂れ流した。
そんな俺の横を歩いていた、依頼を持ってきた少女……ウィズが「まあまあ」と俺を嗜めた。
「ハリガネモグラのお肉は美味しいからねー」
「それ聞くとすげえ腹減ってきた」
ウィズが依頼を持ってきてすぐに捕獲に出たために、今日は水二杯程度しか腹に入れていない。もうすぐ昼過ぎだというのに、だ。
豪快に腹を鳴らす俺に、ウィズが「仕方ないなあ」と鞄を漁った。
「これ食べる?」
差し出してきたのは、彼女の家が販売している香辛料(粉末)だった。
俺は泣いた。
「単品で食うとかどんな罰ゲームだよ!? あとなんでこれ単独で持ち歩いてんだ!」
「うーん……押し売り?」
「あの貴族共にでも売ってこい!」
金払い自体は良かったんだが、納期はもう少しなんとかして欲しかった。
「早く帰りてえ……屋根走るか?」
痛みすら感じる空腹に、俺の思考が違反に傾く。
慌てたウィズが全力で俺を嗜めた。
「ダメだよ! 前それで騎士団の人に怒られたじゃん!」
「『走ってくれ』と言わんばかりに屋根があるのが悪い。“雨”が降らないのにあるってことはそういう事だろ」
「……“飴”? なんでお菓子? ダメだ空腹でおかしくなってる」
知識のギャップにより互いに首を傾げる俺たち。間もなく、ウィズの家が経営する香辛料店の前に辿り着いた。
「ちょっと待っててカガリさん! 今食べられるもの持ってくるから!」
そう言い残して、ウィズは飛ぶように家の中へ走り去った。
そんな彼女の背中を横目で追い——遠くに悲鳴——俺はその場から弾かれるように駆けた。
「……あれ!? カガリさんどこ行ったの!?」
背後からウィズの声が聞こえる。
俺は内心でそっと謝って、声のする方へ急いだ。
泥だらけの体で、人混みを避けて裏通りを走る。
乱雑に置かれた壊れた木箱や建材を飛び越え、蹴り飛ばし、壁を蹴って加速。
1分と経たず俺は声のした現場にたどり着いた。
現場には、騎士団の男女が鬼気迫る様子で詰めかけていた。
軍事国家アーシアから派遣された、ニューオリンド駐屯騎士団。
胸に剣と盾の意匠のエンブレムを施した銀の鎧を着た彼らは、一帯から市民を遠ざけ厳戒態勢を敷いている。
「手錠をつけろ! 指一本たりとも動かさせてはならん!」
「一切抵抗できないように縛り上げろ!」
視界中央、騎士団総出で、頭に紙袋を被せ幼い子供を拘束していた。
見た瞬間、反射的に飛び出した。
「そこまでーーーー!!」
叫びと同時に全力のドロップキック——子供を背後から拘束していた騎士の顔面に両踵をめり込ませて吹き飛ばした。
「ブギャッ!!?」
騎士の男は鼻血を吹き出し思い切り体を壁に叩きつけられ悶絶した。
「なんだ!?」
「新手か!?」
驚愕に騎士団の動きが止まった隙に腰から小太刀を抜刀、子供に施された拘束を叩き切った。
俺は怒りのまま、俺の背後に立つ男、アンガスに怒鳴り散らした。
「アンガス! 騎士団総出で子供一人雁字搦めに拘束するのは一体どういう了見だ!?」
「どういう了見、だと……?」
俺の訴えに、肩に隊長格を示す豪奢なマントをかけた男、駐屯騎士団団長のアンガス・リグルドは表情を鬼瓦のように怒りに染め上げた。
「貴様こそどんな思惑で邪魔をしたカガリよ! これは立派な職務妨害だぞ!!」
「寄ってたかって子供一人とっ捕まえることの何処が職務なんだよ!!」
「とち狂ったのか貴様!? 貴様が大事に抱えているソレを見てみろ!!」
「ソレっておま……モノ扱いかよ!?」
アンガスの言葉に従うままに、俺は抱える子供——華奢だ、少女だろうか?——の紙袋を取り払う。
紙袋の下から出てきたのは、フードを被った翠色の瞳。
「……ぁ」
怯えたように瞳孔が窄み、風鈴を思わせる声が耳を撫でた。
同時に、ツンと鼻につく濃い土の香り。
「あ……」
俺は、ミスを悟った。
「えっと……この、子は」
「そうだ! 其奴はエルフ……“土塊の民”だ! 人の形を模しただけの、死すれば即座にその身を土に変える獣以下の化け物だ!!」
憎悪の籠った声でアンガスがいきりたつ。
「貴様も知らぬわけではあるまい! 我々が何度、此奴らに辛酸を舐めさせられたことか! 上層進出の夢を、何度阻まれたのかを!!」
土塊の民。
第九層より上の階層に住まう、人類と敵対関係にある敵性存在である。
地底世界の歴史の中で、幾度となく繰り返された上層進出計画……“第八層攻略遠征”。
しかし遠征は悉く、土塊の民と、彼らの使役する魔獣たちによって失敗の判を押されていた。
地球出身の俺でもよく知っているほど、彼らの悪逆さは有名だ。
それを、少女は否定する。
「……ち、がう。私たち、は……やってない!」
少女の訴えに、アンガスが眦を吊り上げる。
「何を言うか! 数百年に渡る蛮行の数々、忘れたとは言わせん! 魔獣を使役し、嘲笑う貴様らの姿を俺は知っているぞ!」
それは、しごく正当な怒りだった。
だが、俺は伝え聞く悪逆さと目の前の少女のギャップに戸惑った。
「落ち着けアンガス。もしかしたら本当に人違いかもしれないぞ? 別の種族だって可能性も……」
「今更言い訳をするのか貴様ッ!」
顔を真っ赤にするアンガスに図星を突かれ、俺はしょんぼりして黙り込む。
「いやだって、リンチに見えたんだから仕方ねえじゃん……」
「言い訳無用! 貴様にも臭うだろう! ソレのむせかえるような土の臭いが……土、の…………貴様、何故そんなに泥だらけになっている!?」
そういえば、まだ水を浴びてないから泥だらけだった。
「俺の匂いだった……ってコト!?」
「知るか! 貴様のせいで紛らわしくなったではないか! と言うか何故昼間から子供のように泥まみれなんだ!!」
「朝から依頼でハリガネモグラ三頭と戯れてたんだよ!」
「なんだそのふざけた依頼は!?」
「俺もそう思うよマジで!!」
ゼェハァと互いに息を切らし睨み合う。
これなんの言い合いだっけ……と目的を見失いかけた俺の服袖を、フードの少女が控えめに握った。
震える少女と俺の態度に業を煮やしたか、アンガスが部下を呼んだ。
「……臭いはもういい! “耳”を見せればいい話だ。おい! ソレのフードを剥げ!」
「はっ!」
アンガスの命令を受けた騎士……俺が最初に蹴り飛ばした男は、少女のフードに手をかけ、無理やりにはぎ取った。
目に入ったのは、光の下に晒された人のソレとは異なる細く長い耳。
その特徴は紛れもなく土塊の民であり、しかし、俺の目は。少女の“髪”に吸い寄せられる。
森を思わせる深緑色の髪。それはツーサイドアップに結えられ——『かがりん』——蘇る声。
気がつけば、俺は騎士の男の顔面に拳をめり込ませ、少女を胸に抱き抱えていた。
「やっべ……」
自分でも自分がしたことの意味を理解しきれず、致命的に硬直する。
「カガリ、貴様……っ!!」
アンガスが腰から直剣を引き抜き、俺の背に突きつける。彼に合わせ、周りの騎士たちも同様に、騎士団が正式採用する直剣を抜き、一糸乱れぬ構えをとった。
自分が切先を向けられていなければ壮観だったことだろう。
「カガリ! 自分が何をしでかしたのかわかっているのか!?」
わかっていない。
自分自身、なぜこんなことをしたのか。
コレは明確な人類への裏切り行為だ。
第九層に生きる者の悲願である上層進出。それを阻み続けてきたエルフを庇い立てるなんて言語道断——俺自身だって許せる話ではない。
なのに、なんで。
「……お前」
俺は、胸に抱く少女に声をかける。
「なんで、こんなとこに一人でいるんだ」
少女は呟く。
「……助けを、呼びにきた」
震える声で俺の問いに答える。
「私たちの、里を……助けて欲しくて」
「そんなの、この反応見て無理だってわかるだろ」
振りかぶられた剣。
右手を振って粉砕し、俺は少女の言葉に耳を傾ける。
「……それでも。私には、これしかできない。私は弱いから、みんなの力になれないから……でも、待ってるのは嫌……弱くて、戦えないから。すぐに強くなれる才能もないから……それでも、守られてばかりは嫌……力になりたい……だから!」
胸で、少女は必死に訴えかける。
「そこまでして、お前は何を守りたいんだ?」
「家族」
ぎゅっと。
俺の服を、少女は握りしめた。
「家族を、守りたい……!」
「————。そうか」
コレからするのは、裏切りだ。
怨敵に力を貸すという大罪だ。
だが、もしも。
もしも、少女の言葉が真実で、エルフが、俺たち人類への敵対意思がないのだとすれば。
俺は、《《空》》へと近づける。
友の願いに、師の悲願に手を伸ばせるかもしれない。
「カガリ、貴様! いい加減にしろっ!!」
「……悪い、アンガス」
アンガスの振り下ろした剣の腹を撫で、いなし。
位置を入れ替え、俺は屋根の上に飛び乗った。
「な、にを……何をしている! カガリ!! なぜその土塊を庇う!! 言え!!」
激昂するアンガスに、俺は少しだけ言い淀む。
「……てたんだよ、髪型」
「なに?」
「惚れた女に似てたんだよ! だから助けたくなった! それ以上でもそれ以下でもねえ!!」
単純な話だ。
相手が人間でも、土塊でも、魔獣でもなんであっても。
かつて俺が助けられなかったものを助けようと足掻く目の前の少女を。
かつて俺に居場所をくれたやつと同じ髪型をしたこの少女を、助けたいと思ってしまった。
だから、そうするしか道はない。
「貴様……っ!」
俺の宣言に、アンガス含む騎士団が絶句した。
「貴様、ロリコンだったのか!?」
「ちげえよ馬鹿野郎!!」
最悪の捨て台詞を吐いて、俺は転身——少女を連れ逃亡する。
屋根を駆け抜け、騎士団の追撃を振り切る。
「お前、名前は?」
「……キセ。キセ・ストークス」
「キセ。お前の里……お前の家族は、俺が守る」
これが、始まりの一歩だった。
ちなみにですがこの世界、何故か太陽暦が採用されています。不思議だね(理由はちゃんとあります)