プロローグ
2024年8月31日―人間界。
カフェ「ルーヴル」2階にあるリビング。そこでは、1人の妊婦が入院の準備を進めている。彼女は去年まで「勇者シュトーレン」と呼ばれ、マジパティ達と共に混沌皇帝と戦い、混沌皇帝を封印する事に成功した。現在は妊娠中であるため、勇者としての力が使えず、「首藤聖奈」としてカフェの事務作業を中心に仕事をしている。
「よしっ!!コレで、入院バッグの最終チェックは完了ね♪」
聖奈はそう言いながら、入院バッグのファスナーを閉じる。それと同時にリビングのドアが開き、そこから聖奈と同じ髪色の青年が、紙おむつのパックを抱えながら入ってくる。
「ただいまー!!」
「おかえり、親父!!」
リビングに入って来たのは、聖奈の父・和真だった。彼もまた勇者として、混沌皇帝と戦ったのだが、今年に入って「新たなる脅威」の出現の際、魔導義塾高等学校の少年が「新たなる脅威」に「マジパティと勇者の記録」を渡してしまい、現在は魔界で習得した「物体を移動させる程度の能力」と、物心つく頃からできた「相手との意識を交換する力」しか残っていない。
「おむつ買うだけの割に、随分と長い買い物だったみたいね?」
「紅子さんが「生まれた」って、早とちりしちまってさぁ…」
「紅子さん」とは「岡寺紅子」の事で、今年の2月に彼女の娘・明日香が和真の弟・聖一郎と入籍した事で、彼女とは親戚となったのである。現在の彼女は、元夫の弟夫婦の紹介でサン・ジェルマン学園中等部で国語の非常勤講師をしており、去年と比べてよく微笑むようになったという。ただ、早とちりしやすい癖は治っていないようだ。
「とんだ災難ね。赤ちゃんはまだ、アタシのお腹の中よ♪」
そう言いながら、聖奈は臨月のお腹をさする。今にでも生まれそうなほどの大きさではあるが、まだ陣痛はきていないようだ。そんな娘の言葉に、和真は少しばかりホッとする。
「エレナから連絡は?」
「連絡どころか、子供連れてカフェの方にいるわよ?」
「そうそう、可愛い妹分の代わりにカフェ切り盛りしてんだから、感謝しなさいよねー?」
今度は黒に近い深緑色の髪の女性が入ってくる。和真の妹・佐倉えれなである。彼女は稀沙良市のドラッグストアで働いていたのだが、心ない客からのセクハラ行為が原因で退職し、今は新しい職場を探しながら、カフェ「ルーヴル」で働いている。そんなエレナは、和真に夫の守彦から預かっていた出産祝いを渡すと、カフェの方へ戻ってしまった。
テレビの足元に飾ってある家族写真と、2人の女性の遺影を見つめながら、聖奈は思い詰めた表情をしながら、自身のお腹を再びさする。家族写真は去年の聖奈の結婚式の時に撮影したもので、2人の女性の遺影に関しては、どことなく古びた雰囲気だ。この2人の女性はそれぞれ、和真の母と妻で、母は聖奈が生まれてすぐに、妻は聖奈が10歳の時にそれぞれ亡くなったのである。
「ねぇ、親父…」
「どうした?まだ買い足す奴あるのか?」
和真に問いかける聖奈の表情が少しばかり険しい。
「親父はどうして…お母さんと結婚したの?」
まるで、過去の嫌な思い出を思い出した表情をする娘に、和真はとっさに娘に寄り添う。
「それは、俺が母さんにホレたから♪」
和真はそう答えるが、聖奈は納得がいかない表情を浮かべる。
「それにしては、お母さん…アタシを嫉妬の目で見ていた…去年まで勇者として戦っていたから、思い出さないようにしていたんだけど…」
段々と自身が母親になるにつれて、思い浮かぶ母親との嫌な思い出…
「お母さんね…親父がいない時にアタシの事叩いて、アタシの事でいつもおねぇとケンカばっかり…」
それは、和真の妻が聖奈に、理不尽な暴言と暴力を振るった事であった。当時はえれなが同居していた事もあり、聖奈は昔からえれなの事を「本当の姉」のように慕っている。思い詰める娘に、和真は妻と妹が、次女の誕生前までケンカばかりしていた事を思い出す。
「お前も母親になるんだもんな…そりゃあ、初めての事ばかりで不安になっちまうさ…」
そう言いながら、和真は優しく娘のお腹をさする。祖父の言葉に反応したのか、聖奈のお腹の中で胎児が動き始める。
「セーラ…お前に全て話すよ…俺と母さんが出会って、結ばれるまでの経緯をな…」
それは、「首藤和真」が「カルマン・ガレット・シュヴァリエ」と呼ばれる前までさかのぼる。