最悪 ~ 隧道を抜けると・・・
動画撮影の為、和真は一人旧道の山道をバイクで訪れた。バイクでのツーリング風景を動画投稿しており、山並みが見えたり海岸が一望出来る道路をよく撮影していたが、今回は趣向を凝らす為に旧道に選定していた。
その旧道はもはや廃道と言える程荒廃しており、ところどころアスファルトの路面がひび割れを起こして下部が崩落していたり、道中にあるかつて営業していたであろう喫茶店の廃墟まである。廃道愛好家でもそこそこ上級者向けの環境とも言える。そんな場所にスクータータイプで来た和真は、下調べを余りしなかった事に少し後悔していた。
その旧道全体の中間に位置する隧道が目的だった。封鎖口から軽く五キロメートルはあり、旧道によくありがちな蛇行道路でもあった。国道を文字って“酷道”と言われるように、ここは県道ではあるが“険道”と言われるのがよくわかる。しかし、海岸沿いの山並みにある峠道で、旧道には珍しく空が開けている。その為陰鬱な感じは全くしない。だがしかし、スクータータイプで走らせるにはとても快適とは言えず、ひび割れた路面から伝わる振動で疲れ、和真は道中の喫茶店廃墟でバイクを止めた。
ヘアピンカーブを過ぎてすぐにその廃墟はあった。その廃墟の背後はちょうど崖下になっており、すぐ近くに海が垣間見える。更に廃墟とは言えその周辺だけがぽっかりと開いており、休むには適した場所とも言えた。廃墟自体は外壁が錆びていかにも廃墟と言った構えだが、余り朽ちた雰囲気がない。
ここで和真はカメラを取り出し、撮影を始めた。廃墟全体を終始無言でカメラを回し続けた。動画自体は自身の声は入れずにBGMと文字だけで勝負しているので、ただ撮影しているだけでよかった。投稿を始めて一年程だが、再生回数が毎回一万前後と、そこそこ良い数字を出していた。
ここで和真は、遠くから何か聞こえたような気がした。呼ばれたようにも思えて、カメラごとその呼ばれた先に振り向いた。
振り向いた先は何もなかった。ただひび割れた路面が続いているだけで、誰もいない。だが確かに呼ばれた気がした。
「うあー、まじかよ・・・」
和真は少しげんなりした。廃墟や廃道ではよく霊的な事に遭遇すると聞いていたが、和真にとっては初めての霊障だった。声なのはわかっていたが、何て言っているのか全く聞き取れなかった。ただ、凄く必死な感じは伝わったが、何もわからないのではどうしようもない。
明るいうちに撮影を終わらせようと思い、和真は撮影を切り上げ、バイクに跨った。
それから声などは聞く事なく、遂に目的地の廃トンネルに辿り着いた。かつては名称はあったようだが、入り口にある看板が半分捲れており、隧道としか表記されていない。ただ、内壁がかなり色褪せたレンガ積みで、経年劣化からか角が欠けて丸みを帯びている。相当昔に建造されたのは容易に想像出来る。路面は雑草が一面に生えており、アスファルトは僅かにしか見えない。閉鎖されてからどれぐらい経っているのだろうか。トンネルの奥は出口の光が見えず、真っ暗な闇だ。もちろん電気は通っていない為中の様子がわからない。
和真は何かあってはいけないと、バイクのまま乗り入れる事にした。バイクのヘッドライトで中の様子が懐中電灯よりかなりわかるし、何かわからないものに遭遇してもバイクのスピードでなら逃げ切れるとの判断からだった。
ハンドルの中央部にカメラを設置し、和真はトンネルに突入した。
中は少し縒れていた。出口が見えなかったのはこの為で、内部は真っ直ぐに通じていない。直角まではいかないものの、トンネルにしてはハンドルを切るなどおかしい走り方を要求される。内壁のレンガには色々な虫が纏わり付いており、和真のバイクが近付くと一目散に逃げ出している。何度か左右にハンドルを切ってしばらくすると、出口の光が見えて来た。長くくねったトンネルを走り続けて、和真は一抹の不安を覚えていたが、光が見えた事により少し安堵した。
そして、走らせる事三十分程してトンネルを抜けた。こんなに長かっただろうか、和真は不思議がったが、だが、和真は愕然とした。
トンネルの抜けた場所は、轍のように開けていた。左右は緑が生い茂っているのと、目の前にもう一つ、トンネルがあった。
「え、ここの峠道ってトンネル一つだけだろ?」
バイクを停め、和真はもう一つのトンネルの入り口に歩いて近づいた。
もう一つのトンネルは、さっき潜って来たトンネルの入り口と寸分違わず同じだった。色褪せた、丸みを帯びたレンガ積み、路面一面に生えた雑草ひとつひとつ、出口の光が見えないトンネルの奥。そして一番目についたのは、隧道としか書かれていないトンネル看板だった。
「嘘だろ、どう言う事だよ!」
和真はひとりトンネルの前で叫ぶ。すると、
「え、また聞こえる」
和真は何かに気付く。道中の廃墟で聞こえた何かとよく似た感じだった。ところが、先程よりははっきり聞こえていた。
来るなって言ったのにどうして来たんだ
男の声だった。声しか聞こえず、どこから発しているのかわからない。
「なんだよ、あんた知ってるのかよ。ここ何なんだよ!」
和真はひとりパニックに陥り出した。だが、声は和真の状況を無視して再び聞こえてくる。
今来た手順を逆に辿って、今すぐに戻れ もう絶対に、ここに来るな 振り向くな
すると声は聞こえなくなり、同時に生暖かい風がトンネルの中から吹き出し、和真の体を靡いた。
和真はトンネルに再び目をやった。何も見た目には変わらなかったが、何かが違った。得も知れぬ嫌な空気が、周囲を支配し始めた。トンネルの中から何かが来る。これは絶対に見てはいけない。和真は本能で感じ、急いでバイクに跨り、アクセルを回して出て来た最初のトンネルに再び入った。
幸い曲がった回数は覚えており、ハンドルに固定した録画データを見返しながらバイクを走らせた。普通ならこんな危なっかしい事は出来ないが、必死だった和真にはそんな事を気にする余裕はなかった。トンネルに再び入って僅か十分程して、先程の声とは違う何かが聞こえて来た。
甲高い、ふぇっふぇっと奇妙な笑い声を上げている。か細く聞こえる為そこまで追い付かれていないだろうが、和真は耳にざらついた感覚を覚えた。聴覚細胞を蝕むようなぬめりのある声。和真は恐怖に震えだしていたが、必死で動画確認と前方確認を怠らずひたすらバイクを走らせた。
そして、和真はトンネルを抜けた。今度は眼前にはトンネルではなく、先程上って来た廃道と森、少し覗かせる海だった。
和真は安心して、トンネルから五メートル離れた地点で跨ったままバイクを停めた。抜け出せた。だが、
ふぇっふぇっふぇっふぇっふぇっ
また聞こえて来た。しかもさっきよりもっと鮮明に聞こえている。和真は咄嗟に後ろを振り向いた。
トンネルにはまだ何もおらず暗闇しかないが、その声ははっきりとトンネルの中から反響していた。
「うわーーーーー!!!」
和真は叫び、再びバイクを走らせた。後ろに目も暮れず、ひたすらに来た道を必死に戻って行った。
和真は無事麓に辿り着き、近場のコンビニに立ち寄った。やっと人間社会のひとつを目にして、生きて戻って来れた事に安堵し、人目に憚らず駐車場で泣いてしまった。
結局あのトンネルと、警告してきた声、最後に追いかけて来た不気味な何かは全くわからないままだった。敢えて仮定するなら、トンネルはちょっと変則的な神隠しのような現象、警告してきた声はここの犠牲者。そして最後の声は・・・、何と表現して良いかわからない。敢えて言うなら、“虚無”なのだろうか。落ち着いた和真は、最後の声に恐怖以外何も感じる事が出来ず、他に例える事が出来なかった。しかし、闇から現れたそれは“虚無”と言っても差し支えないだろう。
今回撮影した動画を見返してみると、真っ暗で何も映し出されていなかった。しかし、声だけが何故かしっかり入っており、これを投稿するのをやめ、動画データを消去した。これは人に聞かせてはいけない。和真はそんな気がして、安息の家路に着いた。