迷ひ家の怪
それは先輩に無理やり連れられた山の先で、遭難になってしまった時の事だった。
「やばい、もう日があんなに沈みかけてる。こんな何もない山中で夜中になったら、いったいどうなる事か」
心なしどこか遠くで、フクロウの鳴き声が聞こえてくる。
「なんだって突然、あんたはこんな山奥なんかに突然行きたいって言い出すのよ!」
句酒さんの声が空しく夕暮れの山にこだまする。
今立っているここが、どこだかも分からなくなった深い森の中。大量に生い茂る木々のせいで見通しは悪く、似たような景色が続いて既に通った場所なのかさえ分からない、何度確認しても電波は届かず圏外のまま、周囲はおろか何時間も歩き続けても明かりになるような物は見当たらず、それに何より先輩の突然の思い付きでいきなり連れて来られたので、ろくな装備がないときている。これはもう詰んでいると断言しても構わない。これじゃ自殺しにきたと言われても、仕方がない。
この上万が一、変わりやすい山の天候で雨が降りでもしたら、いよいよお終いだ。
「なーに、なんとかなるさ」
この状況を作り出した元凶である本人は呑気にそう答える。
そりゃ、先輩だけならどうにかなるでしょうよ。けど、こっちが心配しているのは自分の問題だ。
この先輩、ワンピースにサンダル姿と、どこまでも山を舐めている格好で、今日一日中どこまでも元気に山を歩き回っていたというのに。どこを心配する必要があるといえのか。
「そういえば知っているか? 山とは昔から怪談話の宝庫のような場所でだな。例えばこれは、遠野物語等で記される伝承なのだが……」
「先輩、いくらなんでもこの状況で、悪い話をすうのは止して下さい。洒落になりません」
ここ最近、先輩の語る事が尽く本当になっているので、嫌な予感しかしない。
「悪い? いや、これはむしろ逆で……」
「見て、あんな所に明かりが!
何かを見つけた句酒さんが指す遠く先には、木々のわずかな隙間から薄ぼんやりとした光がこぼれていた。
少なくとも人の手が届かない場所に明かりはない、これで何とか助かると信じ、見つけた光を目指して近づく。すると、
「まさか、こんな所にどうして」
句酒さんが驚くのも無理はない。乱立する木々に囲まれた中に存在していたのは、大きな屋敷だったのだから。閂の抜かれた巨大な門が大口のように開いていて、その奥には明かりの灯る豪勢な邸宅が覗いていた。遠くから見えていた光はどうやらこの邸宅から来ていたものだったようだ。
屋敷の周囲にはインフラの跡はおろか、この屋敷に続く道らしきものや誰かの通った痕跡さえ見当たらない。しかしそれでいて、廃屋などではなく、ちゃんと手入れがなされていて、何より、至る所で屋敷の明かりが点きっぱなしになっている。
その不自然さは、まるで突然その場に、ポンと生えてきたかのような印象だった。
「見てみろ、『ご自由にお入り下さい』だと。山に迷いこんだ大学生たちと、入って下さいとばかりに現れた怪げな人気のない屋敷。この組み合わせ、ワクワクしてくるな!」
門の前にあった立て看板を、興奮して読みあげる先輩。
いやいや。先輩それ、洋ものホラーでよくあるド定番の組み合わせじゃないですか。高確率で死亡フラグがビンビン過ぎる。
しかしだからといって、このままこんな夜の山中で野宿するというのも危険すぎる。
普通に考えれば建物の中と外、どちらが安全かは言うまでもない。だけども、ここに現れている状況はどう考えたって普通じゃない。
「お前達はどうも引けているようだが、危害を及ぼしたりとか、おそらくそのような心配するような事は何も無いと思うぞ」
「それって、どういう……」
「まあまあ、取り敢えず、屋敷の中に入って探索がてら話そうじゃないか」
先輩がそう言うのならと、先輩や句酒さんと一緒に屋敷の中へと入って行く。
意外な事に、屋敷には電気が通っており、明るい照明がそこかしこに点いていた。
「ごめんくださーい!」
響くように大声を何度か出したのだが、それに対する返事は全く返ってこない。三人で屋敷をある程度探索したのだが、至る所で照明が着けっぱなしになっていたり、厨房に湯気の立ち上る料理が出来ていたり、浴場が湯張りしたてだったり、畜舎などもあってそこでは先ほど餌や水をあげたばかりのような痕跡があった。
しかしながら人の姿は影も形も見当たらず、屋敷の中はまるで、先ほどまでいた住人が忽然と姿を消したかのようだった。
* * * * *
沸いていた風呂に入った後、備え付けの浴衣に着替えた僕らは、厨房に配膳されてあった料理を適当な部屋に運んで、食事をとっていた。いずれも側の張り紙に『どうぞご自由に』とあったので、遠慮なく頂いた。
「マヨヒガ、ですか?」
先輩は語る。
「ああそうだ、山奥に入った者がごく稀に廃屋ではない無人の屋敷を見つける事があるという。それはマヨヒガと呼ばれるもので。その者に富を授けるために姿を現すのだと」
「えーと、それでつまり、僕らのいるこの屋敷が、そのマヨヒガの事だと?」
「おそらくな。因みに当て字で、迷う家で『迷ひ家』とも書く。なかなか良いセンスだと思わないか」
「ところで、富を授けるってどういう事? メチャクチャ運が良くなって宝くじで大当たりするとか?」
それまで話を聞いていた句酒さんが、先輩に尋ねる。
「この屋敷にあるものを好きに持ち帰って構わないそうだぞ。もとより、与えるために現れるのだからな。例えば私の持つこの椀、米を量り取るのに使えば、いくら取っても米櫃の中身が減る事が無くなるそうだ」
「現代だと、地味に助かる家計の味方ですね」
月々の米代が浮くのは地味に助かる。
「そうだな。ところで、各部屋を物色している最中、こんなものが見つかったぞ」
そういって先輩が懐からつまみ出したのは、とある三枚紙切れ。
「キロあたり一万円の高級ササニシキ三十年分のお米券に、Amaz○n五百万円分のギフトカード、国宝級の食材からプレミア時計までなんでもござれ超高級ギフトカタログだ!」
わーお、現代的ぃー。しかし、なにゆえそのチョイス?
「今のご時世、物品を一度に大量に貰っても不便なだけだからな。怪奇現象といえど、おそらく時代に合わせた柔軟な対応が求められるのだろう」
そういや、ここの照明は全部電気だし、眺望もシステムキッチンだったし、お風呂もシャワーとジャグジーバス付いてたし。もしかしなくても、そうなのか?
「それ、分かるわー。私だって今のご時世、バイクや自動車なんかに追い付けないとお話にならないし」
現代に生きる妖怪として通じる事があったのだろう、句酒さんはそれに対して、うんうんと頷いていた。
「ほう、そうだったのか。どおりでなかなか足が速いと思った」
「それに追いつくあなたの場合、人の枠としてどうのよ。本当に人間?」
「馬鹿を言え、オカルトハンターとして日々精進を重ねた結果だ。あれはれっきとした人間業に決まっている」
その昔、体力測定で異常な数値を叩き出した先輩を、色んな人が検査したことがあった。
身体構造や遺伝子まで検査したのに、それらは普通の人間となんら変わりないという理不尽極まる結果に、お偉い学者の先生らが頭を抱えていた。
やっぱこの人、存在そのものがオカルトじみていてならない。
「それにしても、好きに持ち帰っていいねえ? あなたが見つけたものはともかく、他は正直、あまり欲しいと聞かれてもそうでない物が多いけど」
句酒さんが残念そうに溜め息を溢す。
食器類だけでもざっと見たけど、スワロフスキーだのバカラだのマイセンだのウェッジウッドだの井戸茶碗だの曜変天目だの分不相応にも程がある代物ばかりで、逆に使いづらい。
そんなの一介の学生が持ってたら浮くよ!
こっちは百円均一で揃えたものばかりだというのに。どこで使えと!?
売るにしたって、こんなものどこでお金に変えればいいのだろう。こんなの確実に怪しまれる。
これだと調度品なんかも、同様に高いだろうし飾るとこないし。
「でもこうして、飢えと寒さがしのげる場所ってだけで、ありがたいもんだよ。さっきまで山で遭難なんて、ぜんぜん洒落にならなかったし」
まあ、今でも絶賛遭難中だけど。でも、命の危機を心配しないで済むだけ遥かに状況が違う。
「それもそうよね。部屋は広く豪華だし、この料理だって美味しいし、むしろくつろげて良いところだしね。ちょっとした旅館気分」
それには同意と句酒さんも頷いた。
食事後。しばらく経って食べたご飯もこなれてなれてきたので、今晩はもう休もうとしていた時だった。
「どうして、布団が一つだけしかないんだ……」
目の前にある布団は一つ。かといって、敷き布団は全員が寝転べないサイズではなく、枕が横に三つも並んでいた。
他の部屋などを当たったが、寝具はこの部屋にしかれていた三人用の物しかなかった。
童貞云々を否定するつもりはないが、片や人外の域に足を突っ込んでいる人、片やまともなようでいてまともじゃない人外。
同じ布団で一夜を共にするには嫌がらせな組み合わせだ。
「誰だか知らないが、下衆いぞこの野郎ぉー! あれか? 一緒にいる男女を見かけたらくっ付けないと気が済まないやつか? ハーレム脳のカップリング中毒者め」
枕が変化してピンクのハート柄と「YES」の文字が浮かび上がる。真ん中の枕元には、いつの間にかティッシュが備えられていた。最低だ。
「そ、それじゃあ、男の僕はお暇するので、女子のお二人に布団を譲って……」
別の部屋に行って畳の上で雑魚寝しよう。後で体が痛くなって、痺れもするだろうが、仕方がない。
「待って、私は平気だから。ここで一緒に寝ない?」
「句酒さん……」
僕が部屋を出ようとすると、句酒さんが腕を取って引き止める。
目を潤ませて近づけてくるその瞳からは、彼女なりの真剣さが伺えた。
「そのー、先輩と女同士で仲良くやって下さい。完全に理解はできなくても、出来るだけ受け止める努力はしますから」
「お願いだから、見捨てないでよ。あいつと二人っきりとか、耐えられない」
彼女のその背後、そこには野獣の眼光をして句酒さんの浴衣の裾を力強く握る先輩がいた。
「しゃーけ子。せっかくの肌を寄せ合う機会なんだ。隅々まで知りたくなると思わないかい?」
句酒さんの肌が粟立って、僕の腕を握っている手に力がこもる。
「助けて。このままだと私、貞操を奪われるっ!」
「だからって、そんなに強く引っ張らないで、このままだと、もげる! 腕がもげるから」
肩が外れなかねない力で引っ張られるので、空いてる方の手で捕まれている腕を自ら引いて抵抗する、
「そんな事言ったら、私だってアイツに引っ張らてれるから、浴衣が今にも脱げそうよ! ちょ、脱げる。これ以上ひっ張るなー!」
句酒さんも片手で僕を引っ張る傍ら、もう片方の手で浴衣を押さえて先輩の抗っている。
「だいたい、いつも懐に忍ばせてる刃物類はどうしたの。それで自衛すればいいのに。それとも、あれはただの飾り?」
「あんな物があの化け物相手に効くわけないでしょうが。普通に考えてもわかるでしょ」
「口裂け女が、化け物を怖がってどうするのさ」
「無茶を言わないでよ。あんなのと一緒にされたら堪んないわよ」
事態が混迷を極めている最中、更に布団が変化して、一人用と二人用のサイズとに分かれていた。
一人用の方は特に何の変哲もないが、二人用の方は百合の模様の布団にYES枕だった。だから最低だって。
数十分後。
「なんだ、お前達。もうへばってしまったのか? だらしのないヤツらだ」
精も根も尽き果てた僕と句酒さん、そしてそして疲れるどころかより元気を増した先輩の姿がそこにはあった。
せっかく風呂に風呂にも入って食事もしたのに、汗をかくわ、浴衣もヨレヨレになるわ。
山中をさ迷ってた時の疲れが、ようやくくつろげて抜けかかった時にコレだよ。
「ぜぇぜぇ。どうにか一旦、大人しくなっててくれたわね」
「はぁはぁ。先輩……、途中からこの状況を楽しんでましたよね」
「いやー、ちょっとした冗談のつもりだったが、お前達があまりに反応が良いので、ついつい張り切ってしまった」
そのエネルギーを別の事に使えば、世の中はもっと良くなるのではないかと思う。
僕は先ほどから考えていた提案を二人に話す。
「この二つになった布団、一人用のを句酒さんに譲るから使ってください。先輩はもう片方を。幸い今夜は冷えそうにないので、僕はそのまま雑魚寝します。
それで、先輩と句酒さんは部屋の対角で別々に寝るように。その間には僕が入るので先輩、句酒さんを襲ったらダメですよ」
「はーい」
やけに軽い返事だけど、本当に分かっているのだろうか。先輩は言う。
「つまり、襲いさえしなければいいのだろ?」
「本当に、コレ以上しでかすつもりはないですよね?」
確かにその通りなんだけど、妙に不安になる物言いだった。
「悪いわね。布団なんかを譲って貰って」
「問題です。このメンツの中で一番、拒否権が無さそうなのは誰でしょうか」
先輩、口裂け女、一般人。男一人と女が二人。この中でヒラエルキーが下なのは、どう考えたって僕だろう。
「あ……、そのー、なんかゴメンね」
句酒さんは申し訳なさそうにしながらも、それでもいそいそと布団を隅の方へと持っていった。
色々な何かを残しつつ就寝についたが、疲れもあったのだろう。
お互い横になると、気にならなくなるぐらいすんなりと眠りに落ちた。
そして、何事もなく翌朝を迎え。
朝一番に、まどろみの中から抜け出たのは僕だった。
痛たた。案の定、やっぱりか。
冷えることはなかったけど、下にしていた部分は痛いし、痺れていた。これはもうちょっと待たないと、体を起こせそうにないな。
とりあえず、目だけでも開けておこうかと瞼をあげる。すると。
そこには、口の裂けた女の顔があった。そうだよね、寝たままマスクとか苦しいのに普通付けないよね。
「うおっ!?」
だが、そんなことを思うよりも早く、体の方が先に反応した。
いくらかその手の事に耐性があるとはいえ、さしもの僕も、起き抜けに不意打ち気味で見せられては心臓に悪い。
焦って顔を逸らそうと体を反転させる。
すると、そっちはそっちで、目の前に先輩の顔があった。
「うあぁぁぁぁぁぁぁ!!」
句酒さんの顔を見た時よりも慌てて、腹の底から叫びながら跳ねるように飛び起きる。ビックリした。体が痺れていたことなんて一瞬で忘れていた。
その事で起きた先輩が――まだ眠いのだろう―ー瞼の重たい細目でこちらを向いた。
「むにゃ……。なんだ、今の悲鳴は? にの介、どんな恐ろしいものをみたんだ」
それはあなたの顔です、先輩。
同様にして起きた句酒さんも、寝ぼけ眼でこちらを見る。
「あれ? 近くで大声がすると思ったら、なんであんたらがそんなすぐ側に。でもそういえば途中、夜中に寝苦しくなって布団の外に転がった記憶が……」
「なるほど。朝起きたら、目の前にしゃけ子の顔がそこにあったと」
もうこれ、わざわざ布団を離して寝た意味があったのだろうか。そんなに寝相が悪いなら、僕がいてもいなくても朝になったら二人並んで寝ていたのではなかろうか。むしろ最初から並んで寝た方が良かったような気さえする。
朝起きたら女の子の顔が目の前になんてシチュエーション、せめて違う意味でドキドキしたかった。心臓がバクバクいっている。
「よく分からないけど、朝一番から怖がらせる事が出来たなら今日は良い事ありそうね。妖怪冥利に尽きるわ」
「ずるいぞ、にの介。朝からそんなドッキリうらやま体験が出来るだなんて。今度チャンスがあるあならそこを代われ!」
「最悪だ。こんなにも寝覚めの悪い朝は初めてだ」
そんな感じで三者三様の朝を迎えたのだった。
* * * * *
「しかし一夜明けたが、そういえば根本的な解決はまだしていないのだったな」
そう、元はと言えばこのマヨヒガに迷い込んだのも、先輩のせいで山で遭難したのが原因だ。
食う寝る所があるとはいえ、現在進行形で遭難中であることに変わりない。そもそもここを出たところで、無事に帰宅できる保証が何処にもない。
「なーんてな。そんな事もあろうかと探したらなんと、あったよ! 出口が!」
「え! 本当なの?」
句酒さんが先輩の言葉に反応する・
「そこは『でかした!』と言って欲しい所だがまあいい。ついて来い」
浴衣から元の服に着替えて荷物を整えた後、先輩に導かれるまま進むと。『非常口』と書かれた扉の前に行き着いた。一緒に見て回った際は、気付かなかったのにいつの間に。
先輩がその扉を開けると、その先には一度見た覚えのある景色が広がっていた。それは登山道の中腹あたりの場所だった。
「よーし、それじゃあ、帰るとするか」
「一時はどうなるかと思ったけど、これで何とかなりそうね。よかったよかった」
「これでようやく帰れる。大事にもならず、本当に助かった」
しかし、ここに来て僕らは大事な事を忘れていた。
登山とは下山が終わるまでが登山なのだという事を。
「あれからいったい、どうしてこうなった!?」
「いやー、またここにお邪魔する事になるとはな。参った、参った。いや、この場合は、助かったと言うべきか?」
まったく悪びれもせず、遭難二日目に突入させた元凶は言う。
そう、またもや先輩の仕業で遭難するハメになり、なんの因果か再びマヨヒガと遭遇していた。
「ああ、道路を走る車の音が、どこにでもある街の明かりが、今となっては全てが恋しい……」
すでに句酒さんは、先輩に文句を言う気力は無くなり、ただただ、帰宅できな現状を嘆くだけとなっていた。
「一度足を踏み入れた者の前には二度と現れることは無いとも言われているのに、まさか二度目があるとはな。しゃけ子よ、お前の言っていた通り、今日は良い事あったな。これはかなりラッキーだ」
「ああ、そうね……。とても良い事だわね……。いま、私はとてもハッピーよ……」
「そーかそーか、そうだろーう!」
言葉とは裏腹に、句酒さんの声は死んでいる。この状況を喜んでいるのは最早、先輩ただ一人だけ。
「「……ああ、早く家に帰りたい」」
僕と句酒さんの願いは、虚しくしぼんでいくのだった。