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水守町怪奇事件簿  作者: 猫柳
Case.1 鳴声遠く
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002

 彼を拾ったのは、ちょうど一時間ほど前――夜八時を回った頃のこと。


 先程少し話した通り、私は(あずま)探偵事務所という知り合いの経営する個人事務所で、ちょっとした調べ物や事務作業のバイトをしている。

 今日頼まれていた仕事は所長である東誠路(あずませいじ)が現在調査中の事件、に関連するかもしれない幾つかの事件についての調べもの。新聞各社の記事を図書館のデータベースを使用して漁り、事件に関連しそうな内容を、ファイリングして提出する。一見地味だけど自分の為にもなる仕事で、情報社会の現代で金をもらいながら情報収集のスキルも学べる、という非常に美味しいバイトだったりする。

 閉館まで図書館で粘り、近くのファミレスで遅めの夕食。街の中心部を離れ、住宅街の方までトコトコ歩いてくる頃には、すっかり夜も更けていた。


 本当は、夜の一人歩きは非常に危険だ。特にここ最近物騒な事件が多く、今日ファイリングした内容も夜間に会社員が動物に襲われる事故や子供達が行方不明になると言った内容だった。そんなことを調べている自分が危機感もなくこんな時間にうろついているなんて、とつい自嘲する。

 それでもズルズルと遅い時間まで図書館に居座ってしまったのは、無人の家に帰りたくないという気持ちがあったのかもしれない。

 小さな頃からずっと一緒だった三つ子の兄姉も、高校に入ってからは個別に行動することが増えた。兄の律樹(りつき)は柔道部の期待の新人、そして姉の律穂(りつほ)はそのマネージャーとして、二人揃って春休みの練習合宿に出かけてしまった。


 人恋しい、というのはきっとこういう気分のことなんだろう、とひとり家に取り残されて理解する。探偵事務所には所長ともう一人の調査員がいるが、ここ数日そのどちらも調査で出払っており、メールでのやり取りしかしていない。電話番か図書館等での調査か、運が良ければ多少客の応対が入る程度。学校が無いから友人と顔を合わせる機会もなく、かといって遊びに誘うほどのまとまった時間も金もない。となると、ついつい精神的にふさぎ込んでしまう。

 胸の奥に、重く冷たいものが沈殿していくような感覚。


 物音を聞いたのは、そんな時だった。


 しとしとと、静寂を深めるように雨が降る。人通りもないそんな夜道に、不意にべちゃり、とかどさり、とか、濡れた洗濯物を落としたような音が響いたのだ。


 一瞬足を止めて、音がした方を見る。


 細く、街灯もない、建物と建物の間の薄暗い隙間。そこに何かの塊があった。

 ゴミ袋かと思ったが、どうもビニールの質感ではない。黒い塊に、何か白い棒のようなものが二つ生えている。何となく気になってまじまじとそれを眺め、ギョッとした。

 それは、手だ。手首から先が力なく地面に転がっていて、その根元は黒い塊の下へと消えている。ならばこの塊は頭だろうか。

 慌ててスマホを引っ張り出し、ライトをつけて路地を照らす。暗闇から照らし出されたのは、力なくうつぶせで転がる人間の姿だった。

 警察か、救急車か。電話をかけようとして、それより状況把握が先だと理性が戒める。


「大丈夫ですか!?」


 声をかけ、軽く肩を叩くと、小さく呻き声がする。髪を掻き分け、喉元で脈を確認――しようとして、何か硬いものが指にあたる。

 何か、割と太いものが首元に巻き付いている。少しだけざらついた丈夫な……革、だろうか。

 肩を掴んで仰向けにひっくり返し、改めて髪を掻き分ける。それによって喉元と、ついでに顔半分も発見できた。


 口元に軽く手をかざす。呼吸――問題なし。


 呼吸があるなら脈も大丈夫だとは思うが、首に何かが巻き付いていると息苦しいだろう。髪を掻き分けると、留め具のような金属が指にあたった。少し引っ張って金具を外し、引き抜く。それにしても丈夫な革でできた、これは……。


「……首輪?」


 その時突然、私の手首が恐ろしい力で掴まれる。

 ヒュッと喉が鳴った。反射的に身をよじって、私は水溜りの上に尻もちをつく。


「――誰」


 掠れつつも、鋭く威圧するような声。こちらを射すくめる、金色の瞳。

 恐怖で喉が張り付いて、返答するのには少し時間がかかった。


「……だ、大丈夫?その、救急車とか、警察とか、呼ぶ?」

「いらない」


 吐き捨てるようで、愛想のない返事。その後、苦しそうな吐息が混じる。私の手を掴む指先が、少しだけ震える。

 何か違和感を感じて、私は手首をつかむ彼の手を見た。皮膚に食い込む、泥の詰まった伸びた爪。ところどころ割れて、剥がれて、傷が塞がった上からまた剥がれたように歪んでいるのは何故。

 どうも、声変わりはしているような気がする。成長期にしても、やたら骨ばっている手足は何。まるで何週間も風呂にすら入れなかったような、漂う動物臭は何。

 今私が握りしめている、明らかに何かを戒める為の首輪は何。

 ――何か、何かおかしい。これは普通の家出じゃない。


「家は? アルコールの匂いはしないよね、何かの持病? それだったらなおの事病院に行くべきだよ」

「……いいから」


 力が緩み、手が離される。再びアスファルトの上に投げ出された手はとても冷たい。もう興味はないとばかりに、金色の瞳も閉ざされる。


「放っておいてくれ」

「……何か、事情があるんじゃないの」


 沈黙。


「どこから来たの。というか食事取ってる? 細すぎない?」


 やはり沈黙。動くつもりはないらしい。

 ならば、と、私も覚悟を決める。


「……良ければ一晩、泊まってく?」


 ここでようやく、金色の瞳が開いた。警戒するように私の顔を見上げ、少しだけ目を細める


「……本気?」

「や、だって確実に体調崩すよ、このままじゃ」


 我ながら、割と正気じゃないなと思った。けれどそれ以上に、きっと手を差し伸べなければ後悔すると感じたのだ。事情は分からない。多分言う気もない。それでも、放っておいていいような状況では、多分ない。

 だから助ける。お節介なぐらいでいい。その厚意は人を救う。私はそれを知っている。


「ね、良ければおいでよ」


 こちらの真意を伺う姿は、警戒する捨て犬のようだ。彼の前にしゃがみ込み、片手を差し出して、私は彼のアクションを待つ。

 やがて、おずおずと、私の手に彼の冷たい手が重なった。


「……ありがとう、世話になる」







 とまぁ、ここまでは良かったんですが。

 正直に言うと、私は力の抜けた人間の重さというやつを、ちょっと舐めていたのだ。


 歩かせようと様子を見てまず気付いたのだが、少年の足の裏は素足でアスファルトの上を駆けずり回ったかのごとく、ボロボロに皮が剥がれていた。雨で血は流れているものの、下手するとこの後化膿するかもしれない。これで歩かせるわけにもいかないので、とりあえず靴を履かせて私は靴下で歩くことにした。

 更に、倒れていた時の様子から予想出来てはいたのだが、少年は自力でまともに立つことすらやっとの疲労困憊具合だった。少年の腕を私の肩に回し、背負うように支えることでなんとか歩くことはできたが、とにかく時間がかかる上に傘も差せない。


 そんなこんなで、すっかりびしょ濡れになった状態でなんとか家に辿り着き、冒頭に至る、というわけだ。


 同居人がいないタイミングで自宅に赤の他人を上げるなんて軽率だ、と言われてしまうかもしれない。 実際、随分と際どい行動だという自覚はある。それでも反省こそすれ、後悔はしていない。


 マグカップを置いて、先程少年の首元から引き抜いた首輪を手に取る。厚みが五ミリほどある、非常に丈夫な革の首輪だ。

 じっくりと見まわすと、金具の一つに小さなプレートがついていた。金属でできたそれには『Twilight AX』という文字が刻まれている。


「……んー、暁の斧……?固有名詞かな」


 どこかで聞いた気もするが、パッと思い出せない。思い出せない以上一旦保留して、次はスマホを手に取る。

 ほとんど登録されていないアドレス欄から、少し迷いつつも一つの名前を選び出す。緊張で少し口が乾くのを感じながら、私は『東誠路』の名前をタップした。


東誠路――私のバイト先の探偵事務所の所長。


 頼れる相談役でもあり、口うるさい保護者役でもある。どうもきな臭いこの少年について相談したいが、今回の件を話せば確実に説教は逃れられないだろう。


 そんな複雑な気持ちを抱えつつ、私は電話が繋がるのを待つ。

 コール音数回。ブツッと、電話先の音が変わる。


「あ、もしもし所長ですか?私です、律華です。ちょっと相談したいことが……」

『――――ただいま電話に出ることが出来ません。ピーという発信音の後に』


 しかし、電話の向こうから聞こえてきたのは、望んでいた声ではなく無機質な録音音声。

 参った。説教を免れてほっとするような気もするが……結局のところ、問題を後回しにしただけ、ともいえるわけで。


「ええと、律華です。依頼されてた資料まとまりました。メールで送っておきますね。それとは別に相談したいことがあるので、時間が取れ次第連絡ください」


 一応留守電にメッセージを残し、電話を切る。そんで改めて、スマホを睨む。


「……どーしよっかなぁ……」




 明日は、頭の痛い休日になりそうだ。


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