013
夕方のスーパーは、仕事帰りの主婦達でごった返していた。騒がしい店内放送と、忙しなく目的の商品だけを集めて流れていく主婦達の流れに緩く乗りながら、俺と律華は声を潜めて近況報告をする。
「ここ二ヶ月、東探偵事務所は殆ど開店休業状態でね、大森さんとの共同調査にかかりっきり。おかげで私も完全に電話番状態で、所長の顔もまともに見れてないんだ。そこら辺は、キリの方が詳しいかな」
安売りの豚肉のパックを軽く眺めた後、俺の持っていたカゴに放り込む。今日の夕飯は肉じゃがらしい。
「確かに、結構な頻度で大森さんと打ち合わせしてたな。ただ、内容までは聞けなかった」
「調査進んでるのかどうか、それすら分からないか。私達は私達で、満くんの目撃証言を探さないといけないね」
「探し人は増えるばかり……か」
自然、俺は溜息をつく。背負った荷物の重みが、やけに肩に食い込む。律華は精肉コーナーを離れ、やや人のまばらな調味料の棚へ。少しだけ声のトーンを落として、拗ねるように言う。
「せめて、また盗聴なりなんなりして向こうの様子が分かれば、調査のとっかかりが得られるかなーとも思ったんだけど」
「さすがに、それはちょっと。あまりしない方がいいと思う」
「分かってる分かってる。前回はちょっとやりすぎたなって反省してるし。だから一応、別方面からも調べてみようと思って、佐伯の手伝いをしていたってわけ」
あぁ、とようやく俺の理解が追いつく。
「だから都市伝説のアンケートなんて取ってたのか」
「そうそう。まさか全校生徒対象のアンケートなんて大掛かりなものをするとは思ってなかったんだけどさ、おかげで有益な情報は得られたと思う」
アンケートの紙、見た?と聞かれて、俺はおぼろげな記憶を辿る。
「さっき律樹が集計内容話してたな……でも、気になる話なんてあったか?」
「そうかな?思い出してみてよ、キリならなんとなく、その正体がなんなのか分かりそうな話、なかった?」
と、言われても。
律樹が話していた内容は確か、願いを叶えるなんちゃら様に。山の幽霊に、人面犬に口裂け女にコックリさん……。
……あぁ、もしかして。
「人面犬……或いはやたらとでかい犬の目撃証言か!」
「そう。あの話、人狼の目撃証言なんじゃないかな」
力強く頷く律華の発想は、確かに一理ある。狼の姿であれば運動能力も高く、五感も鋭い為調査には向いている。その上、誰かに目撃されても人相を覚えられ、不審者として通報されることはない。最悪追いかけ回されても、人の姿に戻り人混みに紛れてしまうことも可能だ。
「この目撃情報は、4月以降もちらほらあった。つまり、今でも大森さん達はこの町で何かを探してるーー満くんは、この街を出ていないって考えてるんじゃないかな」
レジに並び、律華が会計を済ませる。商品を袋に詰める手伝いをしながら、俺はじんわりと、少しだけ力が湧いてくるのを感じる。
きっと、それは表情にも出ていたのだろう。律華が俺の顔を覗き込む。
「少し、元気になった?」
「ん。希望が持てるような気がしてきた」
「良かった。……せっかく苦労してこの街に残ったのに、この街以外の場所に探し人がいるってなったら、流石に探す余裕も伝手もないもんね。私も、ちょっと安心してる。まだ自分の足で、事件が追っかけられそうだってこと」
スーパーを出ても、外はまだ明るかった。夏至が近いこの時期は、夕方も安心して家に帰りやすい。とはいえまだ話し足りないことも多く、俺は買い物袋を持ったまま、律華の隣をぶらぶらと歩く。
「あのさ、満探しを手伝ってもらえてめちゃくちゃありがたいんだけど、律華は自分の事件を追いかけなくていいのか?」
遠くから子供の声がする。側に児童公園があるのだろう。律華の視線が、ぼんやりとその声を追いかけた。
「そっちは正直もう、手詰まりなんだ。二年前からずっとそう。私にできることは、何かを知っている大人達に噛み付いて、口を滑らせるのを待つだけ。……意味がないとしても、じっとしてなんていられない。 今回の事件、所長は私を最初から蚊帳の外に置いてる。それは私を危険から遠ざける為なのかもしれないけど、私に知られたくない何か、所長の隠してる秘密に繋がってるかもしれない。……そんな感じ」
自分が無力だと分かっていても、諦めずにいられない。そんな姿勢が、俺たちは似通っていた。だからこそ、俺達は協力し合える。
ぼんやりとした雰囲気を振り払うように、彼女はこちらを向いて笑った。
「だから、私のことは気にしない気にしない。満くんを見つけて、今回の事件が解決したら、その時は全力でお兄ちゃんを探す協力者になってもらうから。学校にも早く馴染んで欲しいしね。クセは強いけど良い人ばっかりだよ」
「あー、確かに個性的だった……訊き損ねてたんだが、あの魔法使い?って発言は何だったんだ……?」
あぁ!と律華は声を弾ませる。
「美優は特にね、ああいう子なんだって理解してほしいかな。昔はもっとキャラが濃くて、浮いてたんだって。私もきっくんを通して知り合ったからあんまり詳しくないんだけど、昔それで一悶着あったみたい。オカルト系が好きで知識が飛び抜けてるんだけど、それが余計他の人と馴染まないみたい」
「あのキャラでオカルトマニアか、そりゃまたすごい」
「どちらかと言うと、純粋な子なんだと思うよ。見えない何かを未だ一途に信じてる。そこら辺、現実主義者の佐伯とは相容れないみたいだけど」
「佐伯とも長い付き合いなのか?」
「中1の頃以来だから、かれこれ四年ぐらいかな。佐伯はねー、第一印象最悪だったの。三つ子で親なしで暮らしてるなんて変だーって、勝手に我が家の家庭事情に踏み込んで、根掘り葉掘り聞いてこようとして。そんでお兄ちゃんがそれ聞いて烈火の如く怒って、休日押しかけてきた佐伯を捕まえて朝から夕方まで説教して。それ以来はすっかり大人しくなって、今はふつーの学生になりました、と」
「普通かぁ?」
「ふつーふつー」
いつの間にか、律華達の住むアパートは目の前だった。
「あ、最後に一つ頼みがあるんだけど、いいかな」
「ん、なんだ?」
買い物袋を手渡すと、律華は細い首を傾げる。
「本当は自力で調べたかったんだけど、今ちょっとウチごたついてて。代わりに、『ミツバ様』について調べて欲しいの」
「ミツバ様って、さっき話してた都市伝説の一つか」
「うん。なんかちょっと引っかかるもんでさ。まぁ、詳しくはまた明日話すね」
じゃあ、また明日。そう言うと、律華は忙しなくアパートの中に飛び込んでいく。時計を見れば、既に五時半を回っていた。夕食を作るにはギリギリの時間だろう。
「……普通の女子高生なんだよなぁ、やっぱ」
口の中で小さく呟いて、俺は重い荷物を背負い直す。
佐々木律華は俺の恩人で、大切な友人で、信頼できる協力者だ。けれども、俺は一つ律華に隠していることがある。
それは、この街に残る条件として提示された養い親の頼みだった。