011
After Day
「――華、律華!」
「……んんー?」
ジリリリリリ、と鳴り響く目覚ましの音。肩を揺さぶる聞き慣れた声。遠くから漂ってくる美味しそうなベーコンの匂い。
片手だけ布団から出して、私は枕元の目覚まし時計を叩いた。そのまま寝返りを打とうとして、身体を揺さぶる手に阻止される。
「おーい、起きろって。今日から学校だぞ」
「う~~……?」
手慣れた動作で布団をはぎ取られて、ようやく私は身を起こす。――あぁ、そっか。もうあれから、半月が経ったんだった。
「魘されてたけど、なんか夢見悪かったのか?」
既にざっと身支度を終えた律樹が、伺うように私の顔を覗き込む。「別に何ともないよ」と私は笑った。「ただ――半月前の夢を見てただけ」
ふぅん、と律樹は軽く相槌を打つと、それ以上詮索することなく、「朝食の準備はできてるから」とだけ言い残して部屋を出ていく。残された私は、眠気の残る頭でぼんやりと、自分の膝を抱えた手を眺めた。
あの日、爆発と火事に巻き込まれ、さらに水に叩き付けられた私達は、攪乱に回っていた大森さん達の仲間によって助けられた、らしい。
今回の事件はただの火災として処理され、全て焼けてしまった以上積荷が減っていたかどうかなど分かるはずもなく。結果として、子供達は無事、大森さん達の下で保護されることとなったらしい。
なったらしい、と伝聞形でしか言えないのは、私がそれ以降、彼らと会っていないから。
気が付いたら、私は病院のベッドにいて、うっかり火事に巻き込まれてしまった一般人ということで、熱風による軽度の火傷の治療を受けた。しばらくすると泣きじゃくる律穂とそれを宥める律樹が見舞いに来てくれて、心配をかけてしまったんだと、改めて実感した。
病院への言い訳や手続きは、所長と遼さんがしてくれたらしかった。退院の日、少し疲れた顔の遼さんが私のところに顔を出して、「事件はすべて終わったよ」とだけ教えてくれた。
『子供達は、人狼としての特性を隠す練習を積んだ後、望むようなら元の家に帰すそうだ。みんな君にお礼を言ってたよ。……キリ君もね』
直接会いには来れないらしいから、と言って、遼さんは手紙を一通渡してくれた。そこには几帳面な文字で、『ありがとう、この礼はいつか必ず』という短い言葉だけが綴られていた。
結局、私の中で、この事件はそこで終わり。それ以降、進展もなければ続報もない。今回の怪我で過度に神経質になった律穂に言われるがまま家で療養を続け、そして今日に至る。
のそのそと着替えてリビングに向かうと、律穂がせっせと三人分の弁当を詰めていた。
「おはよー。今日の朝食何?」
「今日は青菜と卵とベーコンを炒めたのと、玉ねぎのコンソメスープ。トーストは自分で焼いてね」
「律華ー、ついでにシーツも剥いできて。今日洗濯するから」
「はいはいはーい」
いつも通りの朝。いつも通りの日常。いつものように三人で朝食を食べて、新しいクラス分けはどうなるかなんて話をしながら、学校に向かう。新学期が始まって、けれど変わらない、私の日常。
春休みのあの数日は、まるで夢だったみたいに。
「そう言えば、今学期からうちの学年に新しく編入生が来るらしい」
下駄箱に靴を放り込みながら、ふと思い出したように律樹が言う。
「部活の奴らが、春休み中に学校見学してるの見たって。どんな奴だろうな」
「へぇ。転校生かぁ。どんな人が来るんだろうね、面白い人かな」
律穂と律樹の会話に適当に相槌を打ちながら、私は新しいクラス分けの表を覗いた。――今年も三つ子はひとまとめにした方が楽と考えられたのか、佐々木の苗字が三列並んでいて非常に見つけやすい。
他には誰がいるんだろう、と表の名前に目を走らせて、その中の一つの名前で、視線が止まる。
「律華ぁ、今年何組だったー?」
「一組―」
「おー、じゃあ行こうぜー」
最早別の組になるとすら思っていないらしい律樹に苦笑しながら、私はそっと表の前を離れる。
「どうしたの、律華。なんか嬉しそうじゃない?」
「そう?気のせいじゃない? それより急ごうよ、そろそろチャイム鳴っちゃうかも」
そう言いながら、私は新しい教室に向かって早足で歩く。少しだけにやつく口元は、新学期のせいにする。
一年間よろしく、とか。今年も同じクラスだね、とか。他の同級生達と挨拶を交わして席に着く。そのうちチャイムが鳴って、席にみんなが着いて。
一つだけ、誰も座っていない席ができた。残されたその席は、今から来る新しい主を待っている。
「おはようございます。今年一年皆さんの担任を務めることになりました、――――」
先生が入ってきて、お決まりの挨拶をして。それから、教室の扉がもう一度開く。
「それと、春休みに転校してきた新しい仲間がいます。さ、入ってきて」
「失礼します」
少し癖のある黒髪。すっきりとした鼻筋と輪郭。やや釣り目の、大きな金の瞳。彼の視線はざっと教室内を彷徨って、そして私を見つけると、いたずらげに笑う。
「春休みに転校してきました、大森霧夜と言います。慣れないことも多いと思いますが、今年からどうぞよろしくお願いします」
そうしてその日から、私のいつも通りのようでいつも通りじゃない、新しい日常が始まったのだ。