010
March18, 6p.m.
コンコン、とドアを叩く音がして、私は目を覚ます。
「起きてるかい? そろそろ支度しな、うちのボスが出る時間だとよ」
扉を開けたのは、スレンダーな女性だった。姿勢が良く、化粧っ気のない顔立ちはすっきりとしていて、凛々しい印象を受ける。彼女に急かされるままにロビーに向かうと、既に全員そろっていた。
「あぁ、これで揃いましたね。紹介しておきます、今回貴方がた突入班のサポートにあたる、『銀の月』のメンバー、赤瀬と真北です。二人とも武術の心得はありますが、人狼対策の行われている可能性のある船内ではあまり力が出せない可能性があります。あくまで一般人程度の戦力と考えてください」
赤瀬と呼ばれた人物は、ガテン系の大柄な男性だ。燃えるような赤い髪を後ろに流していて、いかついシルバーアクセサリーがよく目につく。それに対してもう一人、私を案内してくれた女性が真北というらしく、色素の薄い金茶の髪を軽く束ねただけのシンプルないでたちが、どうも対照的だった。
「私は港に着き次第、他のメンバーと共に警備員たちの目を引きつけます。東さん達はその隙に船に潜入、二手に分かれて子供達の救出と高村の処理をお願いします。子供達の救出には律華さん、霧島君、それから真北。残りの人達はもう片方に。万一船が起きに出てしまった時に備え、ニケさんには小型船の準備を」
全員が大森の言葉に頷く。しかしニケ、小型船まで動かせるって本当に何者なんだろ。
二台のバンにそれぞれ乗り込み、港を目指す。車内には適度の緊張感が漂っていて、私達は言葉数少なに、ただ目的地にたどり着くのを待っていた。
住宅街を抜け、帰宅しようとする他の車の流れを尻目に、人気の減った工場地帯へ。
港が近づいてきたところで、バンは傍の工場の陰に隠れるようにひっそりと停車した。
「着いたぞ。ここから先は歩きだ」
外は日も暮れ、僅かな街灯だけが薄闇を照らす。大通りを避け、車の通りを避けて進んでいくうちに、潮風の匂いが鼻をかすめる。
開けた場所に出た。薄闇の中に船のライトが輝いているので、うっすらと目的の船の姿を捕えることが出来る。その先に広がるのは黒を塗りこめたような暗い暗い――海。
遠くから、犬の遠吠えのような声が聞こえる。一度、二度。
「合図だ、そこのタラップから乗り込むぞ」
そう言うやいなや、赤瀬さんが物陰から飛び出して走り出した。前傾姿勢を保ったまま恐ろしいスピードで突き進む彼を、一瞬闇が覆い――次の瞬間には暗褐色の狼がタラップを駆け上がる。
つられたように、私達も走り出した。視線の先で、船員と思しき影を二つ、海に叩き落とす。
「あぁくっそ、臭ぇ! やっぱ奴ら薬剤撒いてやがる! ガキ共、船倉は下だ! 男衆は俺について来い!」
「分かった。気をつけろよお前ら」
「うん、二人も気をつけて!」
走っていく大人達を尻目に、階段を一足飛びで駆け下りる。
船倉は広く、しかし静まり返っていた。
「……おかしいね。もう少し警備が厳しいと踏んでいたんだが」
真北さんが顔をしかめる。確かに、少しおかしい。
けれど、警戒に時間を割いている暇もない。真北さんも顔色が良くないし、キリに至っては今にも吐きそうだ。私には分からないけれど、この空間はそれだけの不可を二人にかけている。
「とりあえず、子供達を探そう!」
「おう!」
船倉には、数多くのコンテナが積み込まれている。端から扉を開けて中身を確認するが、動物の飼料や関連用品ばかりで、子供達の姿が無い。
「参ったね、これじゃ間に合わない」
真北さんが悪態をつく。それに対して、キリは少し考え込んだ後、口を開いた。
「……外からじゃ中身は分からない。なら、子供達に場所を教えてもらえばいい」
「どうやって?」
「声をかけるんだ。こちらから!」
キリが頭だけ変身した、次の瞬間、大声量の遠吠えが船倉に響き渡る。
鼓膜が破れそうだ。思わず耳を押さえた私に対して、真北さんとキリはその後の反応を待つように耳を澄ませている。
やがて、私の耳にも微かに、遠吠えが聞こえた。
「あっちだ、端のコンテナ群!」
駆け出した二人を追いかけて、私も走り出す。具合が悪そうだったにもかかわらず、二人の足はとにかく速い。私がコンテナに辿り着く頃には、既にコンテナの一つから子供達を救出していた。
「律華、ここから右三つ開けてくれ!」
「りょ、了解!」
指示通りコンテナを開くと、奥まった暗闇に潜む怯えた眼がこちらを見る。
「だ、だれ……?」
「安心して。助けに来たよ」
コンテナの内側に、子供達の入れられた檻の鍵が吊るしてある。鍵を手に檻に近づくと、子供達の状態がよく見えた。十歳前後の、幼い子供達。最初にキリを見つけた時と同じように、汚れて伸び放題の髪や爪、薄汚れた衣服をまとい、尾と耳が怯えたように縮こまっている。鍵を開け、扉を開いて尚、子供達は怯えてなかなか出て来られない。
少し迷ったものの、私は扉を開けたまま次のコンテナへ移った。他のコンテナの子供達も似たり寄ったりだったが、他のコンテナでも救出されている気配を察知すると、恐る恐る這い出てくる。――総勢、十八人の子供が、この船には囚われていた。
「キリ、これで全員?」
「あぁ、これでほぼ……」
怯えた子供達の手を引き、逃げ出そうとしたその瞬間。
地面を突き上げるような衝撃。バランスを崩して、私は尻もちをつく。
「な、何!?」
「おいおい、冗談だろ、まさか」
すぐに私達は、その衝撃の意味を知る。轟音、熱風、衝撃と共に、船倉の端に会ったコンテナが木っ端微塵に吹き飛んだのだ。
「ば、爆発オチとかサイテ――ッ!!」
「冗談言っている場合じゃないだろう。先導は私がする、子供達を逃がすぞ!」
頷いて、怯えた表情の子供達を先導する。しかし、これがなかなか難しかった。ある程度分別のつく年頃であるとはいえ、特に小さい子供達は突然の爆破に泣き出してしまったり、足がすくんで動けなくなってしまった子もいた。動ける子供達から順に階段を登らせ、甲板に上げる。私自身も、一番小さな子供を抱き上げ、更にもう片方の手で泣きじゃくる女の子の手を引いた。
「キリ、あとの二人をお願――――……、キリ?」
残った子供を託そうとして振り返り、私は固まる。――キリの姿が無い。
「ちょっと、キリ!? どこにいるの!?」
既に船倉は貨物の一部に火が移り、むっとするような熱気に満ちている。探しに行かなければならない。けれど、この子供達も放っておけない。
きつく唇を噛み、それから、私は子供達に視線を向ける。
「みんな、隣の子と手をつなげる? そう、上手だね。今から外に出るから、絶対にその手を離しちゃダメだよ。大丈夫、絶対に助かるからね」
声をかけて、私達は階段へと走り出した。子供達は疲労の為か恐怖の為か、足取りがおぼつかない。スピードよりも今は転ばないことの方が大切だ。私にとっては早足程度の速度で、子供達を階段に連れて行く。
「先に登って。上に着いたら、髪を一つに縛ったお姉さんがいるからね。そしたらその人の言う通りに、船から降りるの。できる?」
「できるけど……ここ、臭い。気持ち悪い」
「大丈夫、外に出れば臭いしなくなるから。さ、行って!」
小学校高学年程の子供達を三人階段の上まで押し上げて、私自身も幼い女の子を抱き上げたまま階段を駆け上がる。外に出ると、真北さんが子供達をタラップから降ろしているところだった。
「真北さん、キリ見てませんか?」
「いや、……いないのか!?」
「いないんです!私探してきます、子供達をお願い!」
抱き上げていた子供を下ろし、弾んだ息のまま、階段の方へと身を捻る。そんな私の服の裾を、誰かが掴んだ。
「おねえちゃん!」
視線だけ向けると、そこにいたのは先程一緒に手を繋いで階段を登った女の子だった。恐怖で引き攣り、涙を浮かべた彼女は、それでも必死に言葉を紡ぐ。
「あのね、ゆうとお兄ちゃんはね、きっとみつるお兄ちゃん探してるの」
「みつる……?」
「みつるお兄ちゃんはね、ゆうとお兄ちゃんと仲良しだったんだけどね、でも、今はいないの。ゆうとお兄ちゃんがいなくなってすぐ、どこかに連れてかれちゃったの。だから、探してもいないの。おねえちゃん、ゆうとお兄ちゃんを助けて!」
私は女の子の前にしゃがみ込み、彼女の顔を覗き込んでにっこりと笑った。
「わかった。私が必ずゆうとお兄ちゃんを連れ戻してくるからね。だから、他の個たちと一緒にちゃんと逃げるんだよ。大丈夫、怖いことなんて何にもないからね」
「うん……! ありがとう、お姉ちゃん!」
ぎこちないながらも、少女は笑った。それを確認し、私は今度こそ階段を駆け下りる。
「キリ――――――ッッ!!」
益々火の手が強くなる。熱と煙で視界が遮られ、ほとんど何も見えない。
それでも、私は声を張り上げた。
「キリ、いるんでしょ!返事して!」
燃え上がるコンテナ。巻き上がる熱風。喉を焼く煙。一度方向を見失えば、きっと再び階段を見つけることすら難しい。
声を上げようとして、思い切り咳き込んだ。煙のせいで、まともに声が出せなくなり始めている。
肌を炙る熱のせいか、意識が朦朧とする。だめだ、もう引き返さなければ。そう思ったところで、誰かが私の手を取った。
「バッカ、なんで戻ってきたんだ!」
キリの声も、煙のせいで掠れていた。反射的に、私は怒鳴り返す。
「それはこっちの台詞! なんでいきなりいなくなるの!」
「まだ、助けられていない奴がいるんだ。約束したのに、まだ見つからない。俺は最後まで粘るから、律華は先に……」
そう言いながら、既に視線を泳がせ次のコンテナを探しているキリの方を、私は掴む。
「聞いて。みつるって子はもうここにはいないって。他の子供が教えてくれたの。別の場所に連れてかれたんだって」
「……本当か?」
「本当。だから今は逃げよう。今は逃げて、その後改めて、その子の居場所を調べよう」
「……わかった」
遠くで、また爆発音がする。私はキリの手を掴んで、おぼつかない足取りで走り出す。
熱い。息が苦しい。喉が焼けるように痛い。それでも私達は走った。何度も揺れに足を取られ、転びそうになり、お互い手を引き引かれながら、ただがむしゃらに階段を上がる。
「ガキども、無事かぁ!?」
タラップの傍には赤瀬さんが待機していた。子供達の姿はもうない。助かった。
そう、一瞬気を抜いたのが、いけなかったのかもしれない。
視界の端に映っていた、何が入っているのかも良く分からない工具箱のようなものが、その瞬間、弾けた。タラップと私達を遮るように。
キリに引き戻された勢いと、爆風に吹き飛ばされ、私達は宙を舞う。腰が何か、金属のようなものにあたってそれを乗り越えた。引きずられるように、キリの体も。
薄墨色の空と、キリの見開かれた金色の瞳を視界に収め、長いようで短い浮遊感に身を預ける。
炎で朱色を刷いた空は、どこか夕焼け空のようで綺麗だな、なんて場違いなことを思いながら。
私達は、真っ暗な海の中に、叩き付けられた。