004.仇敵
カルファとラクトは地図化板で道標を作らずに進んでいる。
ということは即ち、いざここで緊急事態が起きてもよっぽどの記憶力がない限り入り口までは戻れないと言うことでもある。
二人が所持しているのは、体力回復のための回復薬と呼ばれる翡翠色の液体の入った小さな瓶が5本、そして簡易的なナイフと救急箱。
この状態でダンジョンの隠し部屋などに幽閉されてしまったら、1日も保たずして魔物の栄養になることも待ったなしだ。
入り組んだ迷路のような暗い道を、きょろきょろと首を振るだけで迷わず進んでいくラクトにカルファが怪訝そうに問うた。
「ラクトさんって、瞬間記憶能力とかでも持ってるんですか? 何でこんなに進むの、はやいんですか……」
後ろをぴったり離れずついてくるカルファに、ラクトは首を振る。
「今まで何百、何千も潜ってると、ある程度鼻が利くんだ」
「……鼻、ですか」
「そこらの血生臭い匂いだったり、魔物特有の腐臭だったり、歪な力が噴出してる所だったり。後は、ボス部屋なんかは特にダンジョンの主が巣食っている場所だ。そういう所に行き着くと、大体当たる」
「ず、随分とアバウトですね……。地図化板の書き込み要因、盗賊職が食いっぱぐれますよ……」
「もちろん失敗することもあるさ」
「……そんなとき、どうなるんです?」
「レベルの低いダンジョンなら力尽くで壁を破壊してみたり、あたりの魔物を手当たり次第でぶち殺してまわる。そうすればダンジョン主の魔力も枯渇して新しい魔物を生成出来なくなるからな。まぁ、地図化板にそって虱潰しにルートを見つけ出すのが一番なのは言うまでもない。アバウトなやり方は、隅々の宝物を逃す事も多いんだよ」
「な、なんて強引な攻略方法……」
とても正攻法とは言えないあまりの力尽くの攻略方法に唖然とするカルファだった。
「だが――今回ばっかりは、その強引な攻略方法しかないんだよ。後ろ、見てみな」
ラクトがくい、と直剣を後ろに翳す。
促されるままにカルファが紅髪をふらりと揺らめかせて後方を向いた、その瞬間。
「――ぁ……れ?」
カルファは言葉を失った。
「さっきまで通った道がもうなくなってるだろ。これは、ダンジョン自身が動いて俺たちを嵌めようとしてるんだ。地図化板もこうなったらもうおしまいだ」
知らぬ間に、次々と姿を変えていく。
改めて、現実とはかけ離れたその空間に取り残されたことを知ったカルファは密かに身震いした。
「これが、裏迷宮……」
直剣の柄をぎゅっと握りコキリ、コキリと首を鳴らしたラクトは一つ伸びをした。
ここ数年で急増し始めた、裏迷宮と呼ばれる類いのダンジョン。
その言葉を聞いてラクトはきゅっと唇を噛みしめた。
「んじゃ、行くか。超特急で飛ばすぞ、カルファ」
「は、はいッ!」
改めて杖を持ち直したカルファは心を決めた。
それを感じ取ったラクトは後ろを振り向くことも無く、己の勘と経験だけを頼りに暗闇の中を突き進んでいった。
魔力のより、強い方へ。
迫り来る魔物を全て一刀で斬り伏せながら進む二人と、次々と帰り道を塞ぎながら歪に胎動するダンジョン。
ダンジョン主が魔物を吐き出してラクト達を襲おうとさせるスピードに、ラクト達がダンジョンの核を探し当てるスピードを上回ったその時に――。
「さぁて、新米冒険者さんを返して貰おうか」
ラクトが何もない壁に向かって、袈裟切りを食らわせる。
石と石の狭間から奥に広がるのは、一つの空間だった。
その最奥に立っていたものを見て、カルファは頭に疑問詞を浮かべる。
「お、女の子……ですか?」
「……あぁ。こんな居心地悪いところ、とっとと出ようぜ」
そっけなく呟いたラクトの目線の先にいたのは、一人の少女だった。
広々とした空間の真ん中にぽつんと体育座りをしている白髪の少女は、ラクトとカルファを見ながらにやりと笑みを浮かべた。
「ちょっと待ってください! 女の子ですよ!? 迷宮に囚われていた子かもしれませんし……! 何より、迷宮の核が女の子だなんて、聞いたことがありません!」
抜刀して少女を標的と見定めたラクトに、息を切らして前へと立ちはだかったカルファは強い目つきで彼を見上げた。
その強い目つきに、ラクトは安心したかのように呟く。
「だろうな。俺も前はそっち側だったよ」
何もかも分からずに困惑するカルファ。
生暖かい風を感じてふと、後方を向いた――その時だった。
「にひ~!」
不気味に口角をつり上げた少女がカルファの首元に白い歯を突き立てる。
「っと、嬢ちゃん。俺が相手だぜ」
涼しい顔をしながら剣を振るったラクト。
少女は身の危険を察知して軽やかに後ろにジャンプしてラクトの剣戟を回避した。
ぺろり、舌を出して興味深そうに二人を見つめる少女に、カルファはふと自分の首筋を手で護っていた。
「……いったい、今、迷宮に何が起こっているって言うんですか……。普通の迷宮なら、四足歩行の単一思考魔物型のダンジョン主だったはずなのに……」
「だからこういうのを裏迷宮っていうんだろう。複雑な思考を介し、自由自在にダンジョン全体を変化させるほどの魔力を保有する、人型のダンジョン主をな。だけど、良かった」
そう告げたラクトは、静かに目を瞑った。
「永久迷宮のボスに、ようやく出会えたみたいだしな」
瞳の奥に、かつての記憶がよみがえっていた――。