002.再会
冒険者ギルド『ガウェイン』。
シャルロード皇国の王都の外れにある寂れた建て屋だ。
つい数年前、向かいに巨大な冒険者ギルド『エルファー』が隣接されたため、閑古鳥が鳴くようになってしまったとは聞いていた。
だが、ここはかつての組んでいたパーティーがダンジョン攻略の拠点として使用していた、彼らにとっては思い出深い冒険者ギルドだった。
「5年振り……か?」
男は廃れた木造の扉をトントンと叩いた。
「すみません、今日の運営はもう終了してしまって――」
そう言って、慌ただしく扉を開けたのは一人の女性だった。
紅の長髪を後ろで丁寧に、一房に揺っている。
端正な顔立ちと160cmほどの小柄な体躯。
女性は、カチャリと扉の取っ手を掴んだままその場で固まる。
「よう、久しぶりだな、カルファ」
「……ら、ら……!? ラクトさん!?」
「なんだよその鳩が豆鉄砲食ったみたいな顔は」
「な、だ、だって、ラクトさん、5年間もずっと返事くれなかったし、私、ずっと、ずっと待ってたのに……!!」
「あぁ……それはホントにすまん」
苦虫を噛みつぶしたかのような表情で、男は頭をぽりぽりと搔いた。
そんな男の顔を見た女性は、うるうるとした瞳から一粒の涙をこぼしていた。
真っ赤に染め上がった頬に雫が流れ落ち――。
「ラグドざぁぁぁぁぁぁん!!」
「うぉぉぉ!? いきなりどうしたカルファ!?」
「会いたかったんですよぉぉぉぉぉぉ!! 何で連絡の一つも寄越してくれなかったんですか! ばーかばーか! ばーかばーかぁ!」
カルファ、と。
そう呼ばれた女性は、着ていた真っ白いエプロン姿のままに漆黒のコートを纏いながら苦笑いを浮かべる壮年男性の胸で、泣きじゃくっていた――。
○○○
ラクトロード・ブロートラッド。
かつてシャルロード皇国にある全ギルドの頂点に立ち、国家直属の遊撃パーティーとしてとして活躍した『クオリディア・エレメンツ』のリーダー。
一癖も二癖もあるメンバー5人を携えながら、異次元の強さを持って超高難易度のダンジョンを次々に踏破していく様は吟遊詩人がよく歌にしていたほどだ。
曰く、英雄。
そう言われるようになって久しい頃に突如、『クオリディア・エレメンツ』は表舞台から姿を消した。
それが、5年前だった。
「なんで……あの時、突然居なくなったんですか」
冷静さを取り戻したカルファは赤くなっていた目を擦って、ラクトに醸造酒のエールを手渡した。
「私、いつものようにガウェインで待ってたのに、ラクトさんは、あれから一度も来てくれませんでした……。帰って一緒に宴をしようって言ってくださってたの、覚えていますか?」
広々とした丸テーブルの上で自分もエールを一杯煽るカルファ。
ラクトはその横で、「あぁ」と小さく呟いた。
かつて、国に命じられて挑んだ新たな迷宮。
SSS難度の特殊ダンジョン――コードネーム永久迷宮の攻略前、メンバーはここで前夜祭を行った。
全てを攻略し終えた後に、もう一度皆で、酒を酌み交わそうと約束した。
カルファは彼らの帰りを待っていた。
だが、ある日届いた一報は残酷なものだった。
――クオリディア・エレメンツは永久迷宮の踏破を引き換えに完全崩壊。パーティーリーダーは行方不明に、メンバー達は死亡。これで国は救われた。彼らは真の英雄だ!
王都郊外を駆け回ったその一報に、カルファは呆然とするしかなかった。
愛する人が突如消えてしまった。
大好きだった人たちが、還らぬ人となってしまった。
だからこそ、すぐにでもラクトに会いたかった。
必ず帰ってくると、約束したのだから。会いに来てくれるはずだ――と。
当時15歳でギルド『ガウェイン』の受付嬢を務め始めていたカルファはずっと、待ち続けていた。
そして――。
「ようやく会えましたね、ラクトさん」
ラクトはエールの入ったグラスを一気に飲み干した。
机の上に突っ伏したカルファを見て、「そうだな」と静かに応えることしかできなかった。
「どうして、今になって再びここに?」
ラクトは小さく呟きはじめる。
「冒険者を引退してから5年経った。本当は、ずっと身分を隠して田舎で余生を過ごすつもりだったよ。かつて一緒に闘った仲間達は皆死んでしまって、俺も疲れ果ててさ。それくらいなら、田舎でのんびり暮らすのもいいかな……ってなぁ」
カルファは結った紅の髪を振って、ラクトを見つめる。
「お前に会いに行かなかったのは、本当に悪かったと思う。怖かったんだ。また、街に戻ってくるのが。希望に満ちあふれて、仲間と共に挑戦しようと意気込む新たな冒険者達を見るのが。俺は、あいつらを国を救った英雄としてそのまま死なせてやりたかったんだよ」
少し白髪の交じった、髪の毛。
ラクトとカルファが会うのは、5年ぶりだ。
その短い間でラクトは驚くほど老け、カルファは驚くほど成長した。
お互いの変わりぶりを見つめつつも、カルファはラクトの言葉に引っかかりを覚えていた。
「国を救った英雄のまま……死なせたかった?」
ラクト達は名実ともに英雄――だった。
「それが、ここに戻ってきた理由ですか、ラクトさん」
だが、ある時を境に彼らは、クオリディア・エレメンツは史上最悪の逆賊として皇国史に名を刻むことになったのだが――。
「た、た、大変だ! カルファさん! 助けてくれ……! 頼む!」
瞬間、ギルド『ガウェイン』の扉が無造作に開けられて外から現れたのは一人の少年だった。
頭と右手に包帯を巻き付け、かろうじて左手に持つ直剣も刃こぼれが激しい。
着ていた鉄の鎧はボロボロで今にも崩れてしまいそうなその少年は、口端に血を滲ませながら叫ぶ。
「ヴァルフラム君! どうしたんですかその傷……! て、手当を――!」
「俺なんてどうでもいいですから! リサを、リサを助けてやってください!」
二人の会話を聞いていたラクトが首を傾げる中で、カルファは受付奥から救急箱を取り出しながら手短に告げる。
「彼らは今朝、ここを出立してC級ダンジョンに潜りに行ったはずのパーティー『ゴールド・クイーン』のリーダーです! と、ところでヴォルフラム君、どうして……!?」
「ダンジョンに入った瞬間に、閉じ込められちまった……! 今までこんなこと、一度もなかったんだよ……ッ! 道は訳分かんねぇくらいぐにゃぐにゃ曲がるし、地図化板も全く使えなかった! まるで、ダンジョン自体が意思を持ってるみたいに、俺たちを弄んでたんだ……。それで、リサが……ダンジョンに取り込まれて、どこ行ったのか分かんなくなって――」
少年の言葉に、ラクトの眉がぴくりと動く。
「……なぁ、君。今、意思を持ってるみたいと言ったな。それはどこだ?」
「ら、ラクトさん!?」
「こ、こっから東に外れたポエタ森の入り口に出来たダンジョンっす! お願いします、リサを、助けてください!」
少年の言葉に短くこくりと頷いたラクトは、木造机に立てかけていた漆黒の剣を手に取った。
「待ってください、ラクトさん」
「悪い、今から行ってくる」
「そうじゃありません! わ、私も――!」
ごくりと生唾を飲み込んで、ギルドの受付嬢は想いを口に出した。
「私も、行きます! 行かせてください!」
そう言って、カルファは紅の長髪を振り乱して決意の眼差しをラクトに向けた。