46:鋭い杭
戦いに勝利し、床に倒れている5人に囲まれて、一人立っている智。王子とは思えない殺気が今の智から滲み出ている。
智の無駄のない動き。野生動物のような敏捷性。激しく戦ったあとなのに智の呼吸は乱れてはいない。それでも、智は大きく胸を動かして呼吸をする。ゆっくりと息を吐き、肺の中の空気が少なくなると同時に智の殺気も消えていく。
智は呼吸を吐き切ってから、陰に隠れていた知子たちに声を掛けた。
「さあ、行きましょうか」
知子は圭介の後ろから顔を出して智を見る。
智も知子の視線に気づいて笑顔になる。知子の恐怖心を少しでも減らそうとしている智の思いが知子に伝わる。
智の青い瞳は、知子を見るといつも優しい眼差しになる。智は知子を警護するSP。立場的に最善の方法をとっているのかもしれないが、知子の胸の鼓動は、命の危険に晒され切羽詰った今の状況にいても高鳴りを覚えた。
この時、王子智は、知子の心の中でヒーローになる。
とにかくヒーロー智は強かった。出会い頭の応戦は絶対に負けない。智は殴り返されても瞬時に受け流し必要最低限の動きで相手を倒していく。
レーザー光線が飛んできても智はレーザー銃で応戦し、撃ってくる子分の人数が多ければ圭介が渡す手榴弾で相手は消え失せる。
こうしてヒーロー智の活躍により、知子たちは無事に屋敷内を進み、なんとか玄関にたどり着いた。
目の前の玄関扉を開ければ、中心に噴水があるロータリーに出られる。
「外の車に乗って滑走路まで行きましょう。飛行機の操縦は私がしますので」
圭介は飛行機の操縦ができるようだ。
滑走路には拉致された時に乗った小型飛行機がある。きっとその小型飛行機に乗って島を脱出するのだろう。
圭介は玄扉扉を開ける。
2日振りの外。吹き込んでくる爽やかな風。広がる青空。圭介たちは喜ぶ。無事に脱出できると。
知子も思う。これで日本に戻って大人になったら自分はタイムマシンを作るんだと。知子の頭の中では全てが順調に進んでいた。
しかし玄関の扉を開き切り、外の風景が知子たちの目に飛び込んできた時、順調だった知子たちの道のりは一変した。
圭介は外を見て眉を顰めていた。智も先を睨んでいる。両親は寄り添って震えている。
知子は、噴水の前で肩を並べて立っている、2人に増えたトロッキオを見ていた。
2人のトロッキオの両側にはロータリーの道を遮るようにして大勢の子分が横一列に並び全員金色のレーザー銃を持って、銃口を知子たちに向けている。
その中にガルネオの姿はなかった。
片方のトロッキオが叫んだ。
「お嬢ちゃん、交渉といこうじゃないか」
外国語訛りのある日本語が知子たちの耳に届く。
知子がよく見ると、向って左側の日本語を話した男は、ぱっと見た感じトロッキオに似ているが顔が少し違う。トロッキオではないのだ。
圭介は叫ぶ。
「この子はまだ10歳。交渉は無理だ」
直後に、圭介の足元に一筋のレーザー光線が落ちて圭介の爪先のアスファルトから煙があがる。
それは黙れという意味と、知子が交渉に応じなければ殺すぞ、という脅しが含まれている。
「嬢ちゃん、どうする? 交渉するのか、しないのか?」
トロッキオ似の男は、知子にどちらを選ぶのか聞いているのだが、生きるためには交渉に応じるしかない。
それでも知子は10歳の学力で叫ぶ。
「こうしょうって何? 意味分かんない」
10歳の知子は「交渉」をまだ習っていなかった。我が家のように手の届く所に辞書がある訳もなく、知子の頭の中には、ひらがなの「こうしょう」しかない。
「胡椒なら、うちの台所にあるから、習ってなくても分かるんだけど」
知子は小声でブツブツと不平のように漏らす。
マフィアたちは、知子の言葉に驚いたのか、あれから何も言ってこないし、レーザーも撃ってこない。
次は父が叫ぶ。
「この子は、まだ言葉を知らない。交渉が必要なら私が代わってする」
「ふざけるな! てめえじゃあ、意味ねえんだよ」
父が言うと返事はすぐに返ってくる。レーザー光線も数発、父の足元に撃ち込まれる。
「あひゃ、ひゃひゃ」
父はステップを踏んで踊りながら逃げる。
「あなた」
後ろに下がった父に母は寄り添う。父は震え上がって母にしがみついた。
トロッキオの隣にいる男は一歩前に出て叫んだ。
「知子。俺は未来から来たカプリッオだ。俺はタイムマシンでこのあとどうなるか、見てきたから知っている。このままお前たちが逃げれば、智という奴は死ぬぞ。それは困るんじゃないのか?」
知子は智を見た。智はカプリッオを睨んでいて、知子を見ようともしない。
その智の表情を、知子は経験したからよく知っている。父の裏切りにより圭介について行った時の智の表情が、今の智の表情と同じだと。
智は知子と目を合わさないようにして心情を悟られないようにしているのだ。
知子は考える。なぜ智は今の心情を悟られないようにしているのか? 智は自分が死ぬ事を知っているからだ。じゃあ、圭介は智が死ぬ事を知っていたのか?
知子は圭介を見る。圭介は既に知子を見ていた。知子は、圭介の青い瞳の色から、圭介も智の死を知っているのを感じ取った。
逃げれば智が死ぬという衝撃の予告。カプリッオが言った死の予告は、10歳の知子の胸に鋭い杭となって打ち込まれる。
走ってもいないのに、知子は口で呼吸をする。回避できない辛さに、胸が苦しみを訴えているのだ。
カプリッオは慈愛の無い表情で知子の答えを待っている。あまり待たせると、ここにいる全員がレーザー銃の餌食になってしまう。
知子が考えていられる時間は少ない。未来の知子は、今の状態をどう切り抜けたのだろうか。