34:くるりと回転
知子は渡された衣類を見る。きっと着替えるのだろうと思う。
服は無地だが変わった織り方がしてあり織り目が模様となって表面に浮き出ている。スカートの裾は膝下まであり腰はゴムが入っていてフリーサイズになっている。靴下は白でフリルがいっぱいついていた。
知子はフリルがついた靴下をはくのは親戚の結婚式依頼だと思いながら、パジャマを脱いだ。下着も変えないといけないので、それも脱いで素っ裸になる。召使いがくれたパンツをはく。サイズは少し大きいが別に問題はない。
肌着も着る。服に手を伸ばす。その服を掴んだ時、またドアからノック音がした。
「知子さん、起きてる? 朝ご飯ができたって」
智の声がして、智はすぐにドアを開けて中に入って来た。
智は着替えがすんでシャツとジーパン姿になっている。
知子は持っていた服で体の前面を隠す。急な事で声も出ない。
智は着替え途中の知子を見て赤面する。
「うわっ、ごめん」
智は一目散に部屋を飛び出した。
「知子さん、ごめん」
ドアの向こうから智の声がする。智はドア際に立っているようだ。
知子は持っていた服を急いで着る。スカートも靴下もはく。靴をはいて、そっとドアを開けて外を覗いた。
智はまだドアの傍に立っていた。智の顔はまだ赤い。
「知子さん、ごめんね」
知子の顔も赤くなる。
「見た?」
「見てない」
智は首を横に振る。
知子も一緒に首を横に振って、智の言葉を否定する。
「ううん。智さん、絶対に見た。だって私と目が合ったもん」
「そんなに見てないよ」
智は弁解する。
「やっぱり見たんだ」
「だから、知子さんの顔から下は見てないって」
知子は2、3歩足を進めて、右足を軸にくるりと回転して体の向きを智に向けた。
「この服かわいい?」
知子が急に話を変えたので、今度は何を言い出したのかと智の青い瞳は知子をじっと見る。
智が答えないので、知子はもう1度聞いた。
「見てないんでしょ? じゃあ、今見てどう思う? かわいい? 似合ってる?」
智は鼻からスーッと息を漏らし、口を閉じたまま喉を鳴らして笑ってから顔いっぱいの笑顔になる。
「かわいい、お姫様みたいだ」
「うわぁーい」
知子は有頂天になる。
喜んではしゃぐ知子がどこかへ飛んで行ってしまいそうで、智は手を伸ばした。
「朝ごはんを食べに行こう」
「うん」
知子は智と手を繋いだ。
5月4日の朝。知子と智は朝食を摂りに一緒にリビングへ行く。
リビングには、父と母、圭介が先に来て椅子に座っている。
服もきちんと着替えている。きっと召使いが持ってきた服だろう。
知子は智の手を放して母の隣に座った。
朝、顔を合わせたら必ずしなければならない事がある。
「ママ、パパ、おはよ」
知子は朝の挨拶をする。
「おはよ」
母は挨拶をするが、父は挨拶をしない。
父はテーブルに両腕を置いて、どこか一点を見つめて考え事をしている。父に何かあったのだろうか。でも、朝か
ら機嫌の悪い時もあるので父の事は後回しにして、知子はとりあえず圭介にも挨拶をする。
「圭介さん、おはよ」
「知子さん、おはようございます」
圭介はいつもと変わらぬ極上の紳士の趣で挨拶をした。
智は圭介の隣に座る。圭介が智にぼそりと小声で聞く。
「さっき、騒ぎ声が聞こえたが、何かあったのか?」
智の顔が真っ赤になる。
「いっ、いや、何もないよ」
智は持ったばかりのフォークを落としてしまう。
智のかなりの動揺に圭介はもう一度聞く。
「本当に、何もなかったのかな?」
今度の圭介は知子に聞いたのだが、フォークを拾っている智はそれに気づかずに答える。
「本当になんにもなかったから」
智が返事をしてしまうので、圭介は視線だけで知子にも聞く。
「何もなかった。と思う」
知子も赤面しながら返事をした。
相手はキング圭介。知子の着替えの最中に智がドアを開けてしまった事までは分からないにしても、智と知子の間に何かがあったと感じているようだ。
知子は鋭い圭介の勘にドキドキしながら目の前のパンに手を伸ばした。
朝食を摂り始める知子。今の知子は、様子が普通じゃない父の事を忘れてしまっていた。