25:火星
知子を乗せた車は名古屋港に到着した。
その後ろに、両親が乗った車と、圭介が乗った車、あと黒い集団が乗った車が次々と到着する。
波止場には大型クルーザーが数隻あり、静かに揺れていた。
知子はトロッキオの指示で車から降りた。トロッキオに抱きかかえられて車に連れ込まれた事もあって、知子はパジャマ姿の素足。
夜のアスファルトは冷たく、知子の足の裏を冷やしていく。更に冷たい夜風がパジャマの中にまで吹き込んできて寒い。
知子は唇を震わせ歯を鳴らしながら両方の腕を擦って体を温める。
後ろを見れば、父と母、圭介も車から降りて歩いている。黒服の集団も続々と黒い車から降りてくる。
その中に智の姿はなかった。
『来い!』
知子はまたトロッキオに襟首を掴まれた。そのまま強引にクルーザーへ連れて行かれる。
歩く知子の足の裏に砂利が減り込む。知子は痛みで顔を歪ませながら歩く。泣き出せばトロッキオに怒鳴られ銃を向けられる。知子は半泣きになりながら足の裏の痛みに耐えた。
クルーザーに来るとトロッキオは軽々と知子を抱え、クルーザーの乗員に知子を手渡す。
知子の視界は黒く揺れる波を最後に目まぐるしく変わり、知子は今どこにいるのかが分からない。
白い壁が見えて次に鼠色の絨毯が見えたと思った時、知子は下におろされた。
鼠色の絨毯じゅうたんがある狭い部屋。絨毯はふわふわとしていて足の裏を優しく包んでくれる。風もなく暖かい。部屋にあるものといったらベッドが1つと簡易キッチンくらい。
そばにいる乗員の顔は怖いが、トロッキオのようにすぐに怒鳴って銃を向けたりはしない。だがその優しさも束の間で、乗員は知子を船室に入れると、外から鍵をかけた。
知子は走ってドアの前に立つ。「助けて」と叫びたいが、銃を向けられるのは怖い。そっとドアに触れ窓を覗くが、外は闇しか見えない。
一人っきりになってしまった知子。聞こえてくるのはクルーザーのエンジン音のみ。たまに大きく揺れるのは、波のせいだろうか。
知子はベッドに腰掛けて毛布にくるまった。
どうしてこんな事になってしまったのか訳が分からない。なぜうちに外国人の集団が来たのか。どうして智と圭介は黒い服を着てうちにいたのか。畳に倒れた智はその後どうなったのか。
トロッキオから解放され、金色の銃からも解放された知子は、今やっと涙が出てきた。
「パパ、ママ。怖いよー。会いたいよー」
知子は嗚咽を漏らしながら泣く。
しばらくすると外で足音がする。足音は徐々に大きくなって誰かが近づいてくるのが分かる。
知子は毛布を口に当てて押し黙った。
歩いてきたのは乗員。乗員も外国人だ。まだ若い。
乗員は、知子がいる部屋のドアノブを握る。ガチャガチャと鍵を開ける音が大きく響く。ドアを開けて毛布にくるまって寝ている知子に近づく。
知子は毛布の中で目を開けていた。寒くもないのに体が震えてくる。
自分はどうなってしまうのだろう。智のように黒い服の人たちに殴られて叩かれるのだろうか。
恐怖が体中を駆け巡り、今では智の心配より自分の心配をしている。
乗員は知子の毛布を剥ぎ取った。
知子の眼はしっかりと開いて乗員の顔を見る。
『来い!』
乗員は知子の腕を掴んだ。10歳の知子の体は腕を掴まれただけで浮いてしまう。
「腕が痛いよ」
乗員は痛みで顔を歪めている知子をベッドから引き摺り下ろした。腕を掴んだまま外へ連れ出す。
外は名古屋港にいた時より強い風が吹いていて寒い。絨毯もない外の床は凍るように冷たくて、知子の足の裏はすぐに冷えて、痺れと痛みを感じる。このまま冷たい所に立たされていたら、きっと霜焼けになってしまうだろう。
クルーザーの周りは大海原。そばに停泊しているクルーザー以外は、どこにも灯りらしきものが見当たらない。あるとしたら、夜空の三日月と星くらいか。
乗員は無線で連絡を取りながら、その夜空を見ている。一体何が始まるというのだろうか。
大海原の星はよく見える。天の川もとても大きく見えて空の端から端へと続いている。天の川の近くで一際目立って輝く赤い星がある。知っている人ならすぐに分かる火星なのだが、知らない知子は震えるように輝いている赤い火星を不思議な思いで見つめた。
その火星の近くで知子は点滅する赤い光りを見つける。規則的に点滅する赤い光りは明らかに人工的なものだ。10歳の知子でもそれは分かる。
乗員はその赤い光りを見つけると、空に向けて閃光弾を打ち上げた。
点滅する赤い光りは、飛行機についている衝突防止灯。しばらくして飛行機のエンジン音が知子の耳に届く。飛行機は閃光の周りを旋回すると海面に着水した。