10:王子様
生まれて初めて生で見た外国人。知子の開いた口は空気を吸い込む。
青年は、動かなくなった知子を見て、困った表情をしながら持っていたメモ用紙を知子に向けた。
「道に迷ってしまって。この近くだと思うんだけど分かるかな?」
青い目の青年の口から出た言葉は、外国語訛り無しの日本語。
日本語をしゃべる外国人が出たぁー、と心の中で叫び口で呼吸をしながら驚いている知子は、目の前に出されたメモ用紙を見た時に、口が閉じた。
メモに書かれた地図の下に住所が日本語で書いてある。住所から矢印が伸びて地図の一画をさし示している。
地図が示している場所は知子が住んでいる場所だった。
「あ、私んち」
言ってから知子は気づく。
「でも番地が違う。それ、うちの隣だ」
知子の心の中に疑問が浮かぶ。この外国人は、なんでうちの隣に行きたいのか? と。
疑問を抱きつつ、とりあえず知子は素直に教えた。指をさして。
「あそこだよ。離れてるけど見えるでしょ」
約100メートル離れた先を、あそこと言われただけで分かるほど、青年はここの土地勘がないようで、知子が指さした場所を探しているのか、遠くを眺めて頭が揺れている。
知子にもそれが伝わり、
「私も行くから一緒に行けばいいよ」
知子はランドセルを揺らして歩き出した。
少し歩いてから、知子は青年がついて来ているか振り返って、青年の存在を確かめる。
知子と目が合った青年は足を少し早めて知子の隣に並んだ。
会話はなく、でも知子は隣を気にして横目でチラリチラリと青年を見ながら歩く。
青年の頭髪は黒い。肌の色は、日焼けの違いはあるものの、ほぼ知子の肌と同じ色。顔もアジア系。目が青いところを除けば、背の高い日本人といった印象だ。
髪型は耳たぶが見えるショートヘア。カジュアルなシャツに綿スボン。その上に春用の上着を着ている。
知子の頭の中をジャニーズの青年が通り過ぎて行く。
どのジャニーズの青年も一部分が似ているが、なんかちょっと違う。
じゃあ、誰なのか?
青年の正体は謎のまま、知子が次に引っ張り出してきたのがディズニーランドで見た王子様だった。
知子の脳の中で、隣を歩く青年の姿が、ディズニーランドで踊っていた王子と重なっていく。
眠り姫の王子様。シンデレラ姫の王子様。白雪姫の王子様。
ここで知子の脳内の画像が停止した。そして結論にたどり着く。
異国情緒を漂わせて歩く青年は、白雪姫の王子様みたいだと。
急に知子の足取りが淑やかになる。口から出る言葉はいつもと同じだが、話し方も上品になってくる。
「もう少しで地図の所に行けるから」
「そう、よかった。道を聞いたのが近くに住んでいる君で幸運だったよ」
青年が白い歯を見せて笑顔で言った瞬間、10歳の知子の胸に恋の矢が刺さった。
そして忘れていた疑問が色の濃いものとなってまた浮上する。なんでうちの隣に行きたいのか?
好きな男の事はどんな些細な事でも知りたい。
10歳の知子は、不審者かもしれない青年に、何の疑いも無く聞いてしまう。
「うちの隣になんの用なの?」
「ああ、そうか。そうだったね」
青年は思い出したように言う。
「僕は引っ越して来たんだ」
青年の答えはよくある平凡なものだった。
だが、知子は心の中で飛び上がるほど喜ぶ。知子の喜びは自宅の門に到着してからも続く。知子は人差し指で青年の家を教える。
「あのね。地図の番地の家なんだけど、右側の家で、手前の家じゃなくて、あっちの家だから」
別れ際なのにまだ王子と話せるのがとっても嬉しかったりする。
「うん、右側のあっちの家だね。分かった」
青年は知子の家の門の前を通って行く。青年の家は知子の自宅を通り越した次の家だ。青年は隣の家の門の前で手を振って知子に道案内のお礼とさよならを言った。
知子も手を振って答える。
「またね」
青年への「またね」は社交辞令無しの本音。下心も大いにあったりする。