8章 3日目のお昼
◆8章 最終日のお昼
昨晩は大変だった。何せ、突然レゥの左手が肘から取れてしまうのだから。
あのあと俺は車を呼んでレゥを自分の仕事場、あの廃墟まで運んだ。
病院に行くよう強く説得してみた、ちょうど昨日くらいに臨時収入もあったし気にするなと。
でも(いや、何となく分かってはいたけど)レゥは俺以上に強く病院に行かない事を説得してきた。結局折れた俺は、彼女が望む俺の仕事場にレゥを運び、レゥが眠れるまで看病した。
嫌な汗をかきながら少しだけ苦しそうなレゥの頭をレゥが眠るまで撫でた。
そして、レゥがようやく眠れた頃、俺も山登りの疲労に加えて緊張の糸が切れ、椅子に座りながら寝落ちていた。
————————————…目蓋の裏に強い光を感じる。
…ん、朝か。どうやら椅子に座りながら眠ってしまったらしい。
目の前には昨日よりかは和やかな表情で眠るレゥがいた。
良かった…昨晩より、少しはマシになったらしい。
俺はその和やかな表情を見ながら想像する。
…レゥは今、どんな夢を見てるのだろうか?
確実に近付く崩壊を前に、こんなにも穏やかな表情で夢を見るレゥを尊敬する。
今レゥは夢を見ている。
生きて、そこに脈打って、穏やかに。
例えば明日レゥの脈が止まり、無機物になってしまったら……もうこんな眺めは見れなくなるのか。
死なんて言う俺にとってヘビーな場面だからなのか、それ以外の何かなのか、そう思うと俺は。
[何見てるの?レッグ。少女の寝顔を悪びれる事無く覗くなんて、投獄ものだよ?]
俺の思考の途中に、突然視界から飛び込む言葉が入る。
いつの間にか眼を開けていたレゥは少し不機嫌さを表情に表して唇を動かしていた。
"ああ、悪い。"と書くのも面倒だったので失笑の表情に収めてレゥの頭をポンポンと叩くと立ち上がり朝食でもこしらえにいく。
はあ…全く俺は良い主夫だ。
そんなに裕福でも無いのでレゥに振る舞ったのは男が適当に作った簡素な朝食である。
しかし、レゥはどうやら食欲が無いらしく2.5秒程うつむいた後に唇だけ動かした。
[あ、お腹は空いてるよ?左手が無いから食べにくいだけ。レッグが優しさを120%発揮して食べさせてくれるなら食べられるんだけどね。]
相手の視線の動きと、1.2秒の間と、曇りの無い笑顔を見て改めてレゥを尊敬し、だからこそ鼻で笑ってやった。
”追加料金な?”
俺は昨日の盤上を蒸し返す台詞をスケッチブックに書いてからレゥに見せ、優雅にレゥの口にゆっくり朝食を運ぼうとした。
するとレゥはその前にぴたりと俺の行動を静止してやりと笑い、何をするかと思えばどこから出したのか一枚お札を出した。
勝ち誇った顔とともに
[こんなこともあるかと思って残しておいたの。ほら、お仕事だよレッグ。あー]
…このやろう、可愛げの無い。
俺はさっきの尊敬の感情をロックする事無く払い去って、しっかりとお札を受け取ると恭しくレゥの小さい口に朝食を運んでやった。
とは言え、やはりその食事のリズムはゆっくりで。
そのゆっくりしたリズムの合間に、俺は他愛ない言葉をレゥに見せ、レゥは可愛い唇を動かし可愛げの無い内容を返答して。
無音の廃墟の中、無音のままに俺とレゥは会話を交わす。
朝食が食べ終わると、レゥは無くなって軽くなった左腕をみながら
[あーあ、もっと時間が欲しかったな。]
ととても能天気な表情で呟いた。…こいつの当事者意識の薄さに毎度驚いてばかりだ。
しかし俺は思う所があり、少しの期待を込めて文章を紡ぐ。
”時間があったら、何をしたかったんだ?”
…。少し作為すぎただろうか…こんな質問でレゥの感情を引き出せる訳もないのに。
するとレゥは首を傾げて天井を見上げると言うテンプレート的な悩み方をした後、
[んー、せめてもうちょっとレッグと遊びたかった。]
俺は、はっはーと苦笑の表情を見せて
”おい、遊びだったのか。”
とスケッチブックを見せる。レゥはふふ、と笑った後冗談だよとか唇を動かしていた。そして
[そうだ!また私がレッグに会いにいくよ!だから待っててね!]
…また良くわからんことを…。俺は魂を信じてないって言ってんだろうが。
それに、それにだ。
スケッチブックに続きを書く。
”レゥが生まれ換わったとき俺が死んでたらどうすんだよ。”
やっぱり考えが浅いようでギクリと表情を固まらせた後、すぐさま狼狽気味に
[じゃ、じゃあレッグの来世に会いに行く!]
”来世のレゥは来世の俺をどうやって判別するんだよ。姿も形も全部変わってんだろ?”
そこでレゥの考えは完全に行き止まったようで、ぐぅと片手で頭を抱えて悩んだ後
[うるさい!文句ばっかり言ってないでレッグも来世の私に会いに来るよう努力してよ!]
などとこの言葉のゲームの降参の合図を示してくる。
俺は勝利の余韻に浸りながら、すました顔でペンを滑らせて
”追加料金となります。”
レゥはさっきの一枚が最後に一枚だったらしくがーんと擬音でも付きそうな表情で一瞬固まると
[この分からず屋!]
とか言って寝返りを打って向こうを向いてしまった。
あっはは、いい気味だ。
さっきの溜飲を下げる事が出来た俺は上機嫌でレゥの安静を見守りながら退屈しのぎに本を読む。
————…暫くの間拗ねていたレゥだったが、すぐに何事も無かったようにガバリとこっちを向いてくる。
回復力の早い奴だ。俺は本を閉じてレゥの唇に目を移す。
[ねぇ、レッグ。レッグが今までロックしてきた人たちは、どんな感情をロックしてきたの?]
俺は本からスケッチブックに持ち替えて
”どうした、藪から棒に”
[私が私の感情を探す為に出来ることを、やるだけだよ。参考にしたいの]
さっきとは打って変わってまた真剣な表情のレゥに戻っている。
昨日から自分の事を語ってばかりに思うけど、まあレゥが真剣にそれを望むなら俺は全力を尽くすだけだ。
”そうか。なら話そうか。一番最初にロックを依頼された感情は「独りは楽しい」でな………ーーー”
俺はそんな具合で自分が錠前をかけてきた感情たちを一つ一つ書き語っていった。
レゥは時々自分の意見で茶々を入れてくるものの、比較的大人しくふむふむと言った様子で聞いていた。
ゆっくりとした、静寂の時間が流れる。…
———————…休み休み、もう30は感情を語っただろうか。
遅い朝方から話し始めたが、もういつの間にやら夕方が近い。
ギリギリ夕方と言えない空に一日の終わりの忍び足が聞こえる。
一通り聞き終わったレゥは、
[ああ、楽しかった。まるでお伽噺みたいだったよ。]
と満足そうだ。
満足そうなレゥに「自分の感情探しを忘れてないか?」なんて水を指す事は言わないでおいた。
[やっぱり違法なロックスミスだけはあって、複雑な感情ばっかりだね。]
”そうだよ。普通なら審査にリジェクトされる感情ばっかりだ、だけど俺は俺とじいちゃんの信じる「何か」に基づいて、感情をロックする。
それがじいちゃんとの繋がりだからな、じいちゃんが死んだときそう誓ったんだ。”
[…そっか。おじいさんはお亡くなりなってもレッグと繋がっていて羨ましいな。私はだぁれも居ないもの。]
レゥが他人事みたいに木が突き抜けた窓の外を眺めながら漏らす。
俺はそのヘビーさに少し押し黙ってしまったけど、それを振り払いたくてスケッチブックに向かう。
”そんな事を言うな。少なくとも、俺は覚えておいてやるよ、カルテも残るし。それに意外とけろっとしてしぶとく生き残るかもしれないし。”
するとレゥは今日一番優し気な微笑みを俺に披露して
[これ以上の時間?時間ならもう十分神様から貰ったよ…この、人間としての3日間を貰った事は途方もない奇跡だと思うの。]
そして、たっぷり息を吸い込んで遠足の日が雨だったかのような、残念そうな表情でレゥは続ける。
[そして、奇跡は三日が限界だったみたい。ほら、レッグ。もう文字も書けないや。]
そうして見せた右腕は、いつの間にかそこには無く、左腕より下の方で脱離していた。
本当に神様は意地悪なようで、レゥにこれ以上の時間は与えてくれないらしい。
俺の仕事の時間が迫る。




