6章 2日目のお昼
◆6章 2日目のお昼
”さて、どこに行く?レッグ”
”ふざけるな、この野郎”
晴天の下、こんな具合に二人でスケッチブックを向き合わせる俺たちは酷く滑稽に見えるんだろう。
俺の暴言に全く堪える様子も無く、レゥは飄々として
”でも難しいんだよ?何処なら感情を得られると思う?”
”なら出かけなくていいんじゃないか?体力も無いんだろ?”
”ううん、出かけなくちゃ行けないの。昨日も言ったでしょ?ドロシーと冒険に行かなかったら人形は人形のままなんだよ。やっぱり冒険は必須だね。”
冒険って…。昨今小さい子供も言わないような言葉を恥ずかしげもなく使用してくる。
レゥの独特な物事の捉え方は、時々俺に頭痛を引き起こす。
こめかみを押して少しでも頭痛を軽減しようと頑張っていると、レゥがつんつん指でこちらを突ついてから
スケッチブックを見せてくる。
”あそこあそこ!あそこに行こうよ、レッグ!”
そう言いながらハイテンションでレゥが指したのは、小高い山の上にある寂れた展望台みたいな所だった。
こいつは寂れた場所が好きなのだろうか?その歳でずいぶん老け込んでんな…。
”で、その心は?”
流石に目指すにしても何か理由が欲しくて取りあえず聞いてみる。
”感覚”とか言われたらどうしようかと思っていたけど、一応レゥなりにいくつか理由があるらしく少しの時間の後、
その理由の箇条書きが出てきた。
”①あんまり遠くへ行けない。
②車とかで行ったんじゃ冒険っぽくない。
②お空が近い方が良い。
③あんまり人が居ない方がいい。”
…なるほど、それならレゥが指差した場所は適切に思える。
この辺りで一番空が近い場所で人が居ないのはあの展望台だろう。
俺が独りで、まあ何となく納得しているとレゥが理由を付け足してくる。
”それに高くて綺麗な所の方が格好良いでしょ?”
…なるほど、さっきより俺の納得感が強くなった。
”つまりあれか、何とかと煙は高い所が好きって事な、納得したよ。”
”へ?私は煙じゃないよ?そんなくだらないこと言ってないで早く行こうよレッグ!”
こういう都合の悪い事を全く見ないレゥの性格だけ仰ぎ見て、ちゃかちゃかと歩き出すレゥの後を追った。
そうして俺とレゥは展望台に向かって”冒険”するために出発した。
とは言えレゥの体が弱っているのは事実だ。
展望台に向かう道中、少しでもレゥの体力を温存させる為にレゥの表現方法をスケッチブックから普通に喋る事にさせることにした。
書くよりかは疲れないだろうし。
[えーー。独りだけ喋らせるなんて狡い。ならレッグも喋ってよ。声が出せない訳じゃないんでしょ?]
と口を開いて唇を動かしたかと思ったら全く意味の分からない上に自分勝手な要求をするレゥ。
…開口一番、ふてぶてしい奴だ。
しかし、そろそろこのレゥの我が儘ぶりにも慣れてきた俺は慌てず騒がず丁寧な字でスケッチブックに字を紡いだ
”それは契約に入っておりませんので御対応致しかねます。”
それを見てレゥはツンとそっぽを向くと、小さい(と思われる)声でケチと悪態をついてくる。
しかし、レゥは全く悪びれる事無くテンションを切り替えて
[いいじゃんいいじゃん、減る物じゃないし。ほらほら続いて言って?
「いらっしゃいませ。ロックスミス:レッグの店へ。俺が主治医のレッグです」]
”お前、真面目に頼む気ないだろ。”
あっははー破顔して片目を瞑って舌を出すレゥ。
でもレゥはその後も歩きながら頻りに俺に声を出す事を要求してくる。
そのしつこさと言ったら子供の駄々にも負けず劣らずで、流石にげっそりしてきた俺は
”俺の声を知ってんのは死んだじんちゃんだけだ。
じいちゃんが死んで泣いた時以来もう声は出さない事にしたんだ。だから俺はもう声は出さない。
分かったか?これでこの話は終わりだ。”
と少しヘビーな話と不機嫌さを出して相手の申し訳なさを突いてみる。
その言葉を見てレゥは少し静かになり、安堵の気持ちで横を歩くレゥを横目でちらと見る。
レゥは、俺の視線には気付いていない様子だったけど、前を向いたまま独り口を動かしていて。
[じゃ、私が死ぬときも声を出して泣いてくれる?]
…。
レゥがいつも明るいから忘れるが、こいつの今の状況にヘビーさで敵うわけが無かった。…全く狡い、本当に狡い奴だ。
”ふざけてると思ったら突然真剣な雰囲気になるなよ。そうしたら何も逆らえないじゃないか。”
独り言になるはずだった言葉を拾って、敢えて返事してあげる。
するとレゥはその文字を見て少し驚いてみせた後、口を開けて笑ってみせ。
[あはは、見てたの?本当にレッグはお人好しだよね。そんなに優しいと色んな人につけ込まれちゃうよ?
私とか私とか私とか。]
そう言ってふざけてみせるレゥ。
…レゥは真剣なのかふざけてるのか分かりにくい。取りあえず頭に軽くコンと拳骨を落としておいた。
——————…ふぅ。随分と昇ってきた。木々の隙間からだいぶと小さくなった街が見える。青々とした匂いも強くなってきて、体にえも言われぬ穏やかさが染み渡る。
そんなに高くない山とも言えない山だし、昇ろうと思ったら1時間もかからない山だけど、レゥの体調を気遣ってゆっくり、そして幾度も休憩を挟んで昇った。レゥは
[冒険っぽくない!]
と駄々を捏ねていたが、やっぱり少し無理をしていたらしくそんなに反抗もせずに休むときはありがたそうに休んでいた。
お昼過ぎ、山の真ん中ぐらいまで着いただろうか。俺が今朝簡単に握っておいたおにぎりをぱくつきながら少し下に見える街を見下ろして長めの休憩中。
レゥが口をもぐもぐさせながら話しかけてくる。…口唇が読みづらい。
[ねぇ、レッグ。そもそも私ロックについて詳しく知らないんだけど、ロックするまではどんな流れなの?
どれくらい時間がかかって、ロックできない感情とかあるの?]
暇を持て余したレゥはそんな事を聞いてきた。
俺はそれを聞いてそう言えば最初の説明を一部跳ばしていた事に気付いた。
”ああ、そう言えばまだしゃべってなかったな。俺から伝えるべきことだったのに申し訳ない。”
そんな前置きをして、俺はスケッチブックの前の方を開いて定型文の続きをレゥに見せた。
”※ご説明
・ロックにかかる時間は数秒です。しかし、感情を把握する為に少々お時間を頂きます。
・また、当方のロックを受けるには以下の条件がございます。ご了承ください。
①感情のロックは一人当たり一つだけです。(既にロックをされている方は追加でロックすることはできません)
②ロックする感情は、ご自身の中に少なからず存在する感情に限られます。
③ロック後、キーは必ずお客様自身がお持ち帰りいただくようお願いいたします。
ふーんと至福そうにオニギリをぱくつきながらも隅々まで舐めるレゥ。
そうしてオニギリを食べ終わると首を傾げながら口を動かす。
[ねぇレッグ。キーってなに?]
それを聞いて少し驚く。
”そうか。レゥはあんまりロックってものについて詳しくないんだな。学校で習わなかったのか?”
レゥはそこんとこの授業は丁度休んでて聞けなかったと右手に付いた飯粒をぱくつきながら言っていた。
俺は追加のおにぎりをレゥに渡してから、ゆっくりと時間をかけて説明文を作成する。
”感情を色あせないようにずっとずっと固定するのがロックだ。だけど、ロックした感情は実は外す事が出来るんだ。
それがキー。丁度サンプルがある、こんな形で本当に鍵みたいな形をしたものだ。これがあれば、ロックが外れる。”
俺はそう言って持って来ていたキーを見せる。
大きな錠前を外せるぐらい大きめの銀の鍵だ。
[へー、ロックって外せるんだね。折角感情を固定しにきてるのに…変なの。]
”そうだろ?他の患者からも良く言われるよ、必要ねーってね。でも、誰でも間違いはある。そのためにあるんだ。
不可逆より可逆の方が融通が利くんだ。
まあ、キーは純銀でしか作れないから結構俺の経済的に負担なんだけど…。”
[でもじゃあ何で患者に持たせるの?レッグが持ってたら良いじゃない。そして外すときは「解錠料だー」とかいってお金貰えばもっと良い生活できるのに。
銀も使わなくなったキーを溶かして再利用できるし。]
…相変わらず考え方がえげつない。
”そんなこと思い付きもしなかったよ。俺はレゥほど非情でも冷徹でもない暖かい人間なんでな、”
という前置きをおいておいてから。
”でも正直にいうとこれはじいちゃんの代からの慣習なんだ。
「自分の意志で自分の感情を固定した事を忘れては行けない。」ってじいちゃんは言ってた。
じいちゃん曰く、「感情を固定すると言う事は時として自分を蝕む。自分はこの固定された感情に突き動かされてる意志の持たない人形なんじゃないかと思えてくるようになる。
そうならないために、いつでも感情のロックを外せるようにして、自分の感情を固定してるのは、あくまで自分だと感じさせる必要があるんだ」だと。
俺もそれは大事な事のように思う。だからずっとそうしてきたんだ。”
と少し長めの文章がスケッチブックを埋める。
[…レッグのおじいさん、とってもいいおじいさんだったんだね。]
オニギリを全て平らげたレゥは沁沁と街を見下ろしながら呟いている。ん、俺のじいちゃんを褒められて悪い気はしない。まるで自分が褒められたような嬉しさに内心穏やかな気持ちでいると、レゥがお尻を払いながら大きく伸びをして続ける。
[でもやっぱりレッグはちゃんとロックスミスなんだね。話している時とっても楽しそうだった。]
[やっぱり貴方に頼んで良かったよ、レッグ。ほら、ブギーマンが私をさらいにくる前に早く展望台までいこうよ。]
そんな劇的な台詞でレゥはこの話を終わりにした。
何…レゥにとって他愛ない話だったようだ。しかし、こんな風に自分の事を話すのは何年ぶりだろうと、少し笑みが溢れる時間だった。
それから休み休み歩き、日が段々と傾いて行く。
決して冒険とは言えないものの比較的穏やかにレゥとの時間が過ぎ、そして
展望台が近付く。




