5章 1日目の夕方
◆5章 1日目の夕方
…嗚呼、疲れた…。
日は傾き、真っ赤な夕方の光が射し込んでいる。
休み休み半日程かけて質問した結果、俺はレゥのその半生を聞く事ができた。
”自分がね、今まで幸せだったなんて幸せじゃなくなるまで気付かなかったの。”
要約はこんな感じだ。何、文字に起こしてしまえば単調なもんだ。
レゥは小さい頃に両親と死別して、それからずっと弱い体を抱えて親戚の家で愛の欠いた場所で過ごしてきたらしい。
よくある不幸話の中でもレゥは自分の医療費がかかることや実の子ではない事を良く理解し、”養ってくれる事実”だけで自分を納得させてきた
しかし神様はその”事実”すらレゥから奪って行く。
路頭に迷う事となったレゥは、医療費の払えない病院から追い出され施設に入れられる。
当然ながら、自分の生活費は自分で稼がねばならず、適当に斡旋された仕事をさせられる。
稼いだお金は食事と自分の体の維持の費用に消えてく。
稼げど稼げど、ただただ消えて行く。
永々と続く賽の河原の石積みのような、時間の感覚が擦り減る毎日の中で、レゥは少しずつ自分の感情も擦り減らしていったらしい。
そうして長いときを経て、レゥは自分の体を自分で維持する人形と成り果てた。成り果てるしか耐えれなかったのだろう。
それがある日、つい昨日の事らしいが、元々動きの悪かった左手の薬指と小指が落ちた。
その瞬間、レゥは自分の死期の近さを悟ったらしい。
レゥは言っていた。
”そう思ったらね、私の中で突然人形の私が壊れたの。自分の生命の維持に残りの時間を使うのが馬鹿らしくなったの。
今まで私はなんて馬鹿らしい事に時間を使っていたのかってね。
……私はもっと何かをしたかった。何かで満ち足りたかった。……もっと、人間で居たかった。”
悲し気な台詞ではあるが、レゥから感じられる雰囲気のそれは、むしろ狩りをする動物のようだ。
過去を振り返った後悔というよりも、残り時間で何ができるかのみを真剣に考えている、そんな雰囲気が端々から感じられる。
そうして彼女の半生の劇が終わった後に大きく息を吐いてレゥは落胆を示した。
少しだけゆっくりとしたペースで彼女の意見を書いて行く。
”駄目だよ、レッグ。少なくとも今の私の中には私が望む感情は無いみたい。”
”レッグは私の感情を巧く引き出してくれてると思う。私が気付かなかった色々な小さな感情を気付かせてくれた。”
”だけどそれじゃ駄目。”
”ここ数年の私は、人間じゃなかった。ただ自分の体を維持する為だけに働いて、なんの喜びも安心も期待も無かった。”
”私が弱かったせいだから自業自得なんだけどね。そんな中でも喜びや生き甲斐を見つけてる人は沢山居るのにね。”
”私は、自分が人形だって思い込む事で逃避しちゃった。喜びを求めるより、苦痛を消す方が急務だったから。”
”ずっと聞いてて分かったと思うけど、ここ最近、私に感情なんて殆どなかったよ。だって人形だったんだもの。そしてそれ以前の感情は…とっても暖かいものだけれども、もう遠すぎて思い出せないの。”
”だからね、こんな私に感情が宿るならもっと偶発的な何かだと思うんだ。”
レゥは思った事を何も考えずに文字に起こしてみせてくる。
これが一日自分を掘り起こしてレゥが結論した事のようだ。俺の誘導がもっと巧かったらレゥが納得するような理由付けができる感情が見つけられたのかもしれない。
だけどそうはならず、そして一度そう思ってしまったレゥの意志は固いようだ。
少しの罪悪感に苛まれながらも、俺は俺で思った事がある。
俺は感情をロックする仕事だから半ばカウンセラーみたいなこともやる。
患者の心をしっかり聞いて、欲求を明確にし、現状の問題点を挙げて、患者が自分で自分に何が出来るか一緒に考える。
ロックを歪に使おうとする人にはまずこうやって整った心の中を作る。
”外からみて歪なもの程、その崩壊は早い”
じいちゃんの口癖だ。よく歪んだ感情をロックしにくる患者が多かったからそんな言葉を良く聞いていた。
レゥは明らかに歪だ。過去の自分を一部人形と言ったり、延命を断ってまでこんな所で自分探しをしにくるし。
その代償は間違いなく大きい。崩壊は近い。
レゥの歪さは、あまりに刹那的で、あまりに結論的で、あまりに突き抜けていた。
だからこそなのかもしれないが、俺は”人間らしい感情がないと自称したこの女”こそ、誰よりも人間らしく思えた。
”レゥは感情が無いというけれど、「感情が欲しい」っていう感情はとっても強いんだな。その感情が無い、欲しいっていう感情は、むしろとってもレゥらしいんじゃないか?”
と本音と冗談を混ぜてスケッチブックに主張してみる。
すると、レゥはあっははと笑う口の形をした後
”レッグ。心を入れ忘れたブリキ人形がそんな言い訳で納得しちゃったら物語にならないよ。”
”確かにブリキの人形は最初から自分の中に感情があったかもしれないけど、それはドロシーと冒険をしないと決して芽生えない感情だったと思うの。だから、ただ私の中だけを探しても、きっとどこにも感情は見付からないんじゃないか…と思うの。”
……なるほど、レゥの指摘は最もだ。耳が聞こえないから学校もあまりいかなかった俺なんかに比べるとレゥの頭の回転は早い。
レゥは俺なんかに頼らなくても自分で自分の感情を見つけられるんじゃないだろうか?
自分の不必要さを真剣に考えていると、
”私が必要としてるのは、ドロシー。
私の中だけでは絶対に手に入らないであろう偶発的な何かを与えてくれる人。”
”私にはブリキ人形と違ってドロシーは迎えにきてはくれないようだから、自分で探しにきたんだけどね。”
そんな言葉を書いてまたにやにやしてくるレゥ。
…時折レゥは俺の中身を見透かしたような文字を書いてくる。要は俺にそのドロシーをやれ、と…。
患者に励まされるとは情けねー……。
とはいえ、俺なんかが主人公に勤まるかとてもとても疑問だ…。
そんな曖昧な表情をしていると、レゥはそれすら先読みをしていたようで随分前から書き始めていた文章を見せる。
”私ね、この街にずっと住んでるからあなたの噂を聞いてたんだ。街の隅っこの廃墟、だあれもいない無音の場所に、言葉を持たない違法のロックスミスがいるって。
指が落ちた後、私考えたの。人間になる為にどうすればいいかって。考えて考えて私はあなたに賭ける事にしたの。きっとあなたなら、そこら辺の人より沢山の感情を見てきて。
私なんかより感情への造詣が深いんだろうって。そして感情をロックすればこんな私でも少しは魂にその感情が刻まれるんじゃないかって、思ったの。”
彼女は彼女なりの理由を述べる。
彼女が語る思考の流れはとっても滅茶苦茶だ。しかしそんな批判を文字にする前に、レゥは捲し立てる。
”大丈夫だよ、きっと冒険に出る事に意味があると思うから。最後に貰えるのが例えハート形の時計でも私はいいの。
あ、とはいえ料金分は働いてね?レッグ。”
こちら側にスケッチブックを見せながら給料分というところにきゅきゅっと丸を書いて強調してくるレゥ。
はっはー、このやろう。
レゥがこんなにポジティブで明るいのに、俺が暗くなるのはおかしいか。分かったよ、レゥが明るい限り俺も明るく努めよう。俺はそんな気持ちを込めて
”分かっているよ、あんまり度が過ぎると追加料金を貰うからな。”
と文字を見せた後、アウトローのロックスミス足るじいちゃんの白衣を片手で靡かせてやった。
そうして一頻り俺に伝えたいことを伝え終わったレゥは大きく伸びをすると、
”実はもう帰る場所も帰る体力も残ってないの。今夜はここに泊まらせてねレッグ。私を襲ったら駄目だよ。”
……おいおい、初耳だぞ?ふざけんじゃねーよ、ベッドは一つしかねーし…。
帰れねーのは分かるけどもう少し殊勝になれ、という意味を込めて
”勝手に決めるな。もっと頼み方があるだろう。あと、ブリキ人形を襲う趣味は無い”
そんな言葉で見せてみると、突然少しレゥは少し悲しそうな顔をする。
…ブリキ人形は、流石に良くない冗談だったか。冗談と分かると思っていたけど意外と打たれ弱いのか?そう思うと可哀想だったから
”冗談だ、泊まってっていいからそんな顔するな。”
と言うと、その言質の見た瞬間レゥはにやっと笑って。
”ありがとう!明日はお出かけしようね!!お休みレッグーーまた明日!”
そう言って俺のベッドを占領してすやすや眠ってしまった。
どうやらこの元気な我が儘姫を凌駕するのは俺には荷が重いらしい…。
あと、…今日帰る体力も無い人間が明日出掛けるなんて間違っても言うじゃねーよ。
”ロックする相手の《幸せ》を常に考えるんじゃぞ?”
じいちゃんの言葉がちらつくけど今は皮肉にしか聞こえなかった。
はあ…全く。
来客用のソファに横になりながら、少し反芻する。
彼女の左手を見た。巧妙に見えないように気を使っていたけど、ちらりと覗いた左手は血の気が全くなかった。
恐らく、指が落ちただけじゃなくて、左手はもう本当に動かないんだろう。レゥが何日保つか分からないけど、仕事を受けた以上どんなに辛い事になっても投げ出さない事を決める。
レゥが少しも暗くないのだから、俺が暗くなっては駄目だ。レゥは暗くなる為に此処に来た訳ではなく、人間になる為に此処に来たんだろう。
俺自身も、むしろロックスミスとしてではなく、人間として接した方が良いのかもしれないな。そんなことは久しくしてねーな…。
それなら取りあえず、明日は俺も楽しむか。明日は何処に行く気なんだろうな。
まさか、また感情みたいに決めてないなんて事はねーだろ。さて、俺も寝るか。おやすみ…じいちゃん、あとレゥ…。
……まさかな。




