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1章 科学者

◆1章 科学者



この話が始まるより半世紀程前のお話。

ある科学者がいた。彼はある悩みで頭がいっぱいだった。それはこんな具合だ。


「ああ、どうしてなのだろう。

”学業頑張ろうと思ったけど続かないなぁ”とか

”あの人が好きだったのに、飽きてしまったわ”とか

”この道で生きて行くって決めてたのに気持ちが萎えてしまった”とか。


人間の感情にはなんとも一貫性が無い。

一つの感情をずっとずっと持ち続けられたらきっと素敵で美しい世界になるだろうに。」



そんな思いに永々と駆られ科学者はそれはそれは絶望していた。勿論自分自身そんな思いをしたからなのだろうけど。

そして、科学者が半生かけて編み出したのが感情を固定する技術「ロック」である。

科学者はこの技術が形になったことを心底喜んだ。きっと素晴らしい世界になるに違いないと。

彼は意気揚々と、「ロック」の一定の成果を世界に発表し素晴らしさを歌った。


「これがあれば、我々は好きな人や物をずっとずっと好きでい続けることができるんだ!どんなに素晴らしい事か!」



しかし彼の技術はこう解釈される。


「悪意のある人間が使えば、脳に直接働きかけ感情を強制する、洗脳技術じゃあないか!」とか。

「我々人間を人間足らしめる感情を弄るなんて、恐れ多い!」とか。


当然と言えば当然である。扉を閉じて考え続けた科学者は、扉を開けて考え直すことが圧倒的に足りていなかった。

この人間の感情に直接触れる「ロック」という技術は、倫理的に許されるわけもなく学問の世界から弾圧を受けた。


しかし科学者はへこたれなかった。


彼は残りの人生をつぎ込み研究に没頭した結果、複雑で融通の利かなかった技術を整え纏め分かりやすくする。

マニュアル化することで誰でも「感情の固定」を実現できるキットを作成した。

不可逆より可逆だと思い「感情の固定を解除する鍵」を作る事にも成功した。


そうした上で、だいぶと歳をとった科学者は改めて問う。


「脳に直接働きかける事に抵抗があるかもしれない。

しかし、悪い面ばかり見ていては先に進まない。鍵も作った。これがあれば、自分で好きなときにその感情の固定を解除する事ができる。間違ったなら解除すればいい。


人間は過去の決定に一途であればどんなにいいだろう。大抵の人間は一途になれずに途中で感情が萎え挫折してしまう。そして熱い感情を持ち続けた人間だけが天才として偉人として偉業を残す。

この技術は”洗脳して嫌な事を永々と続けさせる為の技術”ではない。

”自分が好きなことやものを、ずっとずっと好きでいる為の技術”なんだ!」

と。


科学者は刻まれた皺とすっかり白くなった髪で何度も声高に弁論した。

その狂気にも似た年月の成果と感情をもって、彼なりに誠実に世の中に訴えた。


しかし、依然として世界はこの技術を受け入れなかった。


危険な技術だと、悪魔の所行だと、徹底的に弾圧し封印し黙殺した。

当然と言えば当然である。そして世界の決定はあながち間違ってもいない。

例え科学者に悪気がなくとも世界に多大な悪影響を及ぼした科学技術の例はそこらかしこに落ちていたからだ。

科学者も幽閉され、「ロック」は歴史の夢の遺物として闇に葬られる運命のように思えた。


しかし科学者はへこたれなかった。


彼は脱走し、何をするかと思えば地下に潜ってキットを量産し、キットに暗号をかけ、ロックキットをそっと世の中に流し始めた。

彼のお眼鏡に掛かる、誠実な人(と思われる人)たちに少しずつキットを託し


「これで出来るだけ沢山の人を、《幸せ》にしてやってくれ。」

と懇願して。


まるで壊れながらも、ただ一つの大事な任務を遂行する狂ったロボットのように。

科学者はぼろぼろになりながら世界中を回り、息を切らし、皺を刻んで、キットを託して回った。


その甲斐あってロックキットはひっそりと色んな所で使われ始め次々に良い成果と悪い成果をあげ始めた。

成果を上げる度に噂が噂を呼び、瞬く間に世の中のあちらこちらに浸透していった。

世界中に浸透した成果は世界のどよめきを大きくし、良い人も悪い人も色々な思想を湧かせる。


よし、中身を解析して量産して悪用しよう。しかし、暗号は不可逆で終ぞ中身は分からなかった。

よし、全面的に使用を禁止しよう。しかし、既に恩恵を受けた人が多く、さらに良い方の成果の数も多くなり過ぎていた。

よし、全部集めて破棄しよう。しかし、核爆弾みたく絶対悪と言えるものでもない。というより既にそう思える人間があまりに増えていた。


結局国々は出来る限りキットを集めて厳しい試験と設備と制度と監視の中でのみ「ロック」の使用を許可する事にした。

その時科学者が死んでいたか生きていたかは分からないが、彼の努力と熱い感情が報われた瞬間だった。





その後世界は各々の固定した感情で突き進みそのお陰で幾分か進歩したりもした。


そうして半世紀が過ぎ、今や「ロック」が当たり前となった、そんな世界の話。
























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