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9章 レゥ

◆9章 レゥ






もう、誰が見ても夕方だ。

寂れたこの廃墟に、今日と言う日が終わると言う合図が、憎らしい程に強く射し込む。

レゥは一昨日のような気軽さで、昨日のような和やかさで、何も変わらず微笑んでいる。


[後ね、実はもう随分前から耳も聞こえないし、声も出ないの。レッグとお揃いになっちゃったね。]


…違和感は感じていたけど、そんな事になっていた事を察せなかった。どうやらレゥの感覚器官の残りは、僅かな触覚と視覚だけらしい。


[やっぱりレッグに頼んで正解だったよ。レッグが口唇を読めなかったら、伝える方法が無くてチェックメイトだったから。]


全く嬉しくねー…全く嬉しくねー言葉だよ。


[でもまだギリギリ目は見えるからレッグの表情も見えるよ。あっははー、変な顔。そんな顔じゃあ困るよレッグ。]


そんな台詞で、最後までレゥはひょうひょうとして。


[もうあんまり時間もないみたいだし、うん、レッグ。]


そういってレゥは両手の無い体を拙く使って、ベッドに座り夕日を背にこちらを向く。

少しだけ緊張した表情で唇を結び、既に欠落した両腕を前にやりあたかも面接の体勢のような格好で背筋を伸ばした後、



[レッグのお仕事の時間だよ。]



俺の仕事の時間…。

……分かっている。分かっているよ、レゥ。悲しんだり、色んな感情に支配されている時間は残っていない。

レゥの望んだ感情を、確実にロックする事。それだけが、俺がレゥにしてやれる数少ない大事な事だ。

施術のためにはスケッチブックに文字を書く時間も惜しい。俺は色々な伝えたい事を全部飲み込んで



”分かってるよ。やっと決まったか、ほら早く言え、レゥ。寸分違わずロックしてやる。”


とだけ書き、レゥの顔にスケッチブックを近づけてみせた。目を細めてそれを読んだ後、レゥはにやにやしながら


[なんだ、やっぱりレッグもちゃんと男の子なんだね。安心したよ。]

と憎まれ口を叩く。


[うん、三日間。とっても悩んだよ。でも、これがいいかな。]

大きく息を吸い込んで、

俺が見間違えないように唇をはっきり動かしてレゥが俺に依頼する。





[私はこの廃墟が、廃墟がなくなってもこの場所が、大好き。また来たいと思うくらい、大好きなんだ。]



…この場所が、好き。

それがレゥの出した答えらしい。俺はそれを聞いて苦笑する。


”なんだ、そんなことでいいのかよ?もっともっと大切な何か望むかと思っていた。”


[ふふ、良いんだよ。こんな感情がとっても私らしいと思うの。レッグと過ごしたこの場所が私はとっても大好きなの。それが少しでも来世に残れば、私は満足。]


そんな台詞とともにレゥは悪戯好きの子供のように笑う。

何をもってレゥがそれを自分らしいと呼ぶかよく分からない。

何故その感情を、とスケッチブックに書いている途中、レゥが俺の袖を引っ張った。レゥの方を見ると少しだけ焦点の合っていない目で


[レッグ、早く。あんまり目も見えなくなってきてる。]


おい…おいおい、ふざけるなよ、キットの準備には少し時間がかかる、ちょっと待て、まだ死ぬなよ…?

俺は書きかけのページを破って捨てると、一言素早く筆を動かす。


”まかせろ”


それをレゥに見せるとすぐさま俺はロックキットを手に取った。

どんな感情であれ折角見つけた感情をロックできないまま、レゥを死なすなんて訳にはいかねーよ。

レゥは横で忙しなく施術の準備をする俺の姿を目で追っている。

レゥはまるで外出をせかす子供のように


[早く、私が無くなってしまう前に早く。]


準備の合間、レゥの顔に目をやる。

そこには信頼に満ちた笑顔があって。


[私の魂に錠前をかけてよ、ロックスミス。]



























ふぅ…。

どうやら神様は流石に悪意の固まりではなかったらしい。

施術自体はすぐに終わった。

レゥが指定してきた感情を捉えるのは簡単だった、何せその感情は俺が見てきた時間の中にあるものだ。

俺以外のロックスミスに、こんな正確なロックはできねーだろ。


レゥが望んだ感情のロックが終わりその小さな体から、純銀のキーがキラキラと輝いて産まれる。

その生命力をも感じさせる力強い輝きと、真っ白なレゥとは、夕日をバックにとても綺麗で対称的だった。


[終わった?]


施術の間、ギュッと目を瞑っていたレゥが恐る恐る聞いてくる。


”ああ、終わったよ。これでレゥが望んだ感情は、ずっとレゥの胸に残り続ける。ずっとな。”


俺は言葉を選んで、事実とレゥの世界の中の仮説を書いて伝えた。それを目を細めて読んだレゥは安堵の表情を浮かべて


[良かったぁ…痛かったり長かったり負担が大きかったらどうしようかと思ってたよ。]

[ねえ、レッグ。そのキーは患者にくれるんでしょ?だから、私にもくれるんだよね?

それなら私の胸に置いてよ、手も無いし。]


そう言ってにっこり笑ってみせるレゥ。

自分の感情がロックされた実感が欲しいのか?レゥの言う通りキーを胸に置いた。

それを見て満足そうに微笑んだ直後、


[ごほ。]


レゥは口から大量の血を吐いた。俺は驚いたけど、よく考えれば驚く事じゃなかった。レゥの体はとっくに限界だったのだろう。

それと同時に、レゥの体は崩壊を始めたようで


[…レッグ。電気が消えちゃったよ。もうレッグの姿も見えない。…見えないよ。]


この日初めてレゥは”悲し気な”顔をした。


[レッグ、頬っぺた触って。そこなら、まだレッグの存在が感じられるから。]


もう二度と俺と視線を合わせられないレゥの目が明後日を仰いでいる。


レゥが、消える。


”そうか、でも間に合ってよかったじゃねーか。俺のロックの手際の良さのお陰だな。”


もうそんな言葉もかける事ができない。

レゥに、もう複雑な事を伝える事ができなくなってしまった。


それを自覚した瞬間。俺の体は現金なようで。

施術の為に無理矢理冷やし切っていた感情が、必要の無くなった途端目から涙が溢れ出してきた。

しかし決してこの意地悪なレゥには感づかれないように、込み上げてくる震えを片手で無理矢理抑えてレゥの頬に自分の手を置いて撫でる。

もう俺ができる表現はこれだけだ。

しかし、レゥはこんなときでもひょうひょうとした様子で


[あ、これ、レッグだね。これは無料でやってくれるんだ。ふふ、ありがと。レッグ。]

なんて一方的に伝えてくる。


"まだそんなことを言ってんじゃねーよ。俺はお前を気に入っていると、昨日言ったばかりじゃないか。"


そんな慈しみを込めて頬を撫でる。

しかし、やっぱりそんな単調な表現ではもうレゥに真意は届かないようで、ただ心地良さそうな表情をするだけだった。

レゥはそんな俺の心情を無視して続ける。


[そうそう、レッグ。]


……——!?

驚いた…。

手の位置から察したのか、レゥが何故かぴたっと俺と視線を合わせてくる

視力が回復したのかと、驚き慌てて目を拭ってからレゥを見返す。しかしどうやら違うようで、俺が目を拭っても馬鹿にもせずに何故かとても楽しそうな悪戯じみた表情で唇を続ける。


[この鍵、レッグにあげるよ。これ、追加料金だから、よろしくね。]

そう言って、レゥはさっき俺がレゥの胸に置いた鍵を、先の無い腕で指し示す。


おい、どういう意味だ?頬ならそんなもの無くても幾らでも撫でてやる。撫でてやるから…

そんな気持ちを込めて頬を精一杯優しく撫でてみる。しかし、やっぱりもうレゥに俺の気持ちが伝わる事もなく。

ただ穏やかな表情を浮かばせるだけだった。


—————…そうして。

遂に俺の手の熱すら感じる事が出来なくなったレゥは。

唇だけ小さく動かして




[あーあ、残念だな…もう終わりなんだ。]


やめろ。


[…ちょっと怖いけど…逝くね。]


そんなこと、言うなよ。

レゥが大きく息を吸い込む。そして、その最後の呼吸をもっと味わえば良いのに。


[ばいばい、私のロックスミス。]


そんな言葉の為に使った。


そう言うと

それっきり

レゥは少しも

本当に少しも動かなくなった。




いくら頬を撫でても、もう穏やかな表情を見せないし。

いくら体に涙を零しても、もう憎まれ口も叩かないし。

いくら入力しても、何も、少しも出力しないし。

じいちゃんの時もそうだった。目の前にあるのは少しも動かない、とっても遠いレゥ。


それを見て、俺は大きく息を吸い込む。

……分かっていた。分かっていた事さ。

レゥの仕事を引き受けたときに、この終わりは覚悟していた。

だから泣く事も無い。


あの意地の悪いレゥに抵抗するように、心を冷やそうと俺は自分に言い聞かせる。


しかしながら、レゥの作為的な意図すら疑う程の、本当に酷いタイミングで。

真剣なレゥの横顔と共にレゥの言葉が頭に響く。


[じゃ、私が死ぬときも声を出して泣いてくれる?]



…ふざけるな、本当に…ふざけんなよ。このやろう。

俺は十数年ぶりに呼吸以外の為に大きく息を吸い込むと、レゥの鍵を握りしめて、レゥへの抵抗を止めた。


『——————……ッぁ、アぁッ!ぅ、う…あ、ぅッ。———……ァッッ!!』






………

……


























……疲れた。

真っ暗な廃墟の一室。ソファに仰向けに寝転んで、泣き枯れた疲労感に包まれていた。

日は完全に落ち、外もレゥも冷えきってしまった。

幾分か落ち着いた俺は疲れた体に鞭を打って立ち上がる。

決してベッドの方は見ない。見てしまえばまた泣いてしまうに決まっている。

俺はベッドに背を向けて机に向かうと、レゥへ伝えた言葉のスケッチブックと、レゥの遺品のスケッチブックをカルテと一緒に整理する。

レゥの亡骸はどうしよう…。

ん、この場所が好きだと、そんな感情をロックしてくれたレゥへの手向けだ。朝になったら廃墟の外に埋めてやろう。

そう思いながらレゥが最後に俺にくれたレゥのキーを見て思い返す。


[この鍵、レッグにあげるよ。これ、追加料金だから、よろしくね。]



あの言葉が嫌に引っかかった。俺が無料で頬を撫でた事に対する台詞なのだろうか?

…しかし、やっぱり嫌に引っかかる。

追加料金…追加料金……。

その引っかかりはすぐにある思い付きに変わり、急いで自分が書いてきたスケッチブックを見返す。

そこには、ジクソーパズルのように、大事な物が欠けて意味消失した俺の言葉が並んでいる。


”時間があったら、何をしたかったんだ?”


”おい、遊びだったのか。”


”レゥが生まれ換わったとき俺が死んでたらどうすんだよ。”


”来世のレゥは来世の俺をどうやって判別するんだよ。姿も形も全部変わってんだろ?”


”追加料金となります。”


これ、か?追加料金ってこれのことか?

……確か。確かこの台詞の前のレゥの台詞は確か…。


[うるさい!文句ばっかり言ってないでレッグも来世の私に会いに来るよう努力してよ!]


努力?努力って言っても無理だろそんなの…。お前はもうずいぶん遠くに行ってしまった…。

そうして遣る瀬無さを感じながらレゥの言葉を思い出す。


[ふふ、良いんだよ。こんな感情がとっても私らしいと思うの。]


……!!

その瞬間、レゥの真意が弾けるように理解できた。

…おい、ふざけるなよ、レゥ。

我が儘にも程があるぞ。俺は魂なんて信じていない。そう言ったじゃないか、自分の世界観を他人に押し付けるなよ。

盤上の外では勿論の事、律儀に追加料金まで払って盤上ですら俺にチェックメイトをかけてくる。


自分の置かれた現状を理解して俺は本日二度目の声を発して笑った。

はっはー、確かにレゥらしいよ。ちくしょう、天国から高笑いが聞こえてきそうだ。

数少ないレゥに勝った思い出だったのに、ひっくり返して勝ち逃げかよ。

ホント、ふざけるな、このやろう。

………このまま負けぱなっしでたまるかよ。


俺はレゥから貰ったキーを指で弾いて、上から落ちてくるそれを今度は報酬として確かに受け取ると

特に迷う事無くロックキットに手を伸ばした。





















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