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目の前に聳え立つ城壁の威圧感に息を呑む。前世にもそういうものが存在するのは知っていたし写真では何度か見たことがあるはず。だが、幾度も襲撃を耐えたのだろう。様々な場所に修理のあとか、継ぎ接ぎされながらも今現在もその仕事を十全に果たすその姿は圧巻の一言だ。
「おい、いつまで呆けてんだ。入るのか、入らねぇのか」
城壁を見上げながら呆けている俺に門番であろう魔族がイラついたように問いかける。
その声に我に返った俺は少し恥じながらも入る旨を伝えると門番は手を出しながら口を開いた。
「通行証か通行税を払いな。税は10グランだ」
その言葉に思わず固まる。まったく意識していなかったが高さ20メートルはあろうかという巨大な城壁に立派な門まである、しかも王都だというこの場所に通行税なるものがあってしかるべきではないか。だが生まれたばかりの俺は無一文、当然通行証なんて持ってない。
「なんだ?10グランも持ってねぇのか?…あんたもしかして生まれたてか?」
その言葉に思わず頷いた。もしかすると俺のような者のためになにか別の手段があるかもしれない。せっかくここまで来て入れませんでしたなんて笑い話にもならない。
少しの期待を込めた視線で門番を見ると、門番は上から下まで俺の姿をしげしげと眺めたあと門の脇にある建物を指差した。
「んじゃあそこにいきな。衛兵の詰め所だ。そこの検査を通れりゃ入れるはずだ。ま、もし嘘ならいかねぇほうがいいぞ。今は特にな」
意味深な発言に首を傾げながらも門番に礼をいい門の脇にある建物へと向かった。
生憎と外には誰もいなかったのでドアをノックしようとしたところでドアが開いた。
中から現れたのはどう見積もっても身長3メートルはあるだろう魔族。
額に角の生えた厳しい顔、数多の戦いを潜り抜けてきたことを感じさせる傷だらけの鎧を纏うのは鎧なんか必要ないんじゃないかと思わせるような筋肉の鎧。そんな鍛え上げられた肉体からは左右に2本ずつ、これまた鍛え上げられた腕が伸びている。凄まじい威圧感を撒き散らす魔族の突然の登場に一歩後ずさると、その音で初めて気づいたというようにその目が俺を映した。
「む、すまんな。邪魔をした」
そう一言残すと俺の前を通り過ぎ門のほうへと向かっていった。あまりの存在感に無意識のうちに目で追っていた俺の背後から声が掛かる。
「あんた、なんか用か?」
「っ!すいません。先ほど門番の方にこちらへ行けと言われまして、生まれたばかりなんですがこちらで何か検査をすると伺いました」
「あぁなるほど。とりあえず入んな。すぐ準備するからよ」
簡素な鎧に身を包んだ衛兵に案内された先にあった椅子に座り待つこと数分。先ほど案内してくれた衛兵ともう一人の衛兵が巨大な水晶玉のような物を抱えながら戻ってきた。二人がそれを机におろした所で声を掛けた。
「これは?」
「こりゃあ、真偽玉っつう魔道具でな。こいつに触りながら質問に答えると嘘を見抜けるって便利な道具よ。んでこれからあんたにこれに触れながら俺のする質問に答えてもらうってのが検査よ」
なるほどと頷きながらその水晶玉に手を伸ばす。よく分からないので両手を乗せたところで衛兵が口を開いた。
「あんたが生まれたのはつい最近?」
「はい」
そう答えた瞬間触れていた真偽玉が淡く光る。その光は青だったが、そのことには触れず衛兵は質問を続ける。全部で5つ程だろうか、言葉を変えながら何度も生まれたのはつい最近かと聞かれ、よどみなく「はい」と答えた。その間真偽玉の光は常に青。
質問が終わり嘘は吐いてないにも関わらず少し緊張しながら衛兵2人の反応を待つ。ふと衛兵の片方と目が合った、おそらく緊張していたのが伝わったのだろう少し苦笑しながら「検査は合格」といって灰色のカードのようなものを手渡された。
「そいつがこの町の通行証。いくつか種類があるが灰色は一回きりの使い捨てだ。出るときに門番に渡してくれ。金も作らずに外に出るとまたこうなるから気をつけろよ」
「…?また、ということは何度もこういう検査をすれば町へ入れるのですか?」
「生まれてから一週間は可能だがな、とはいえ何度もこれをするのは面倒なんだ。そいつ重いしな」
そう言いながら真偽玉を指差して笑う衛兵。どこからどう見てもオークなのに人間と同じように表情の変化や感情の機微が分かることに戸惑いを覚えながらも、2人に礼を言いながら詰め所を去った。
数十分前にお世話になった門番に灰色のカードを見せながら町へ足を踏み入れる。そこに広がるのは中世を彷彿とさせる石造りの町並みだった。魔族の町、それも王都なのだから当然かもしれないが見える範囲は全て魔族。ゴブリン、オーク、リザードマン、ワーウルフ等々中には見たこともない種族まで。ただ漠然としか感じていいなかった異世界感をこれ以上無いくらいに見せられ自分がこの世界に来たことを改めて実感したところで、当初の目的を果たすため実りの雫という酒場を探して歩き始めた。
適当な通行人を捕まえ尋ねると直ぐに答えが返ってきた。先ほど通った門から魔王の座する城までの道が中央通りとなっていて件の酒場はその中央通りにあるとのこと。かなり大きい酒場であるし、看板もでているということなので尋ねた通行人に礼を言いつつ中央通りを歩く。よくよく考えれば場所以外何も決めてなかったことを今更ながらに思い出し前世の癖か、待たせることに罪悪感を感じた俺は少し歩く速度を上げながら実りの雫を探した。
門から30分程歩いただろうか、傾けられたジョッキから雫がこぼれている絵の下に実りの雫と書かれている看板を発見した俺はその店の中へと入った。
まだ昼間であるにも関わらず半分ほど席の埋まり酒場特有の喧騒にまみれている。
「いらっしゃいませー。お1人様ですか?」
「人と待ち合わせなんですが、マスターにベルという人と待ち合わせだとお伝え願えますか?」
「かしこまりましたー。少々お待ちくださいねー」
若干間延びした語尾の店員に言付けを頼んで数分、その店員が連れてきたのは筋骨隆々のミノタウロス。
「ワタシこの店のマスターを勤めてマス、ガノーと申しマス。ベル様とお待ち合わせトカ、どうぞコチラニ」
独特な喋り方のマスターに案内されるまま通されたのはなにやら奥まった場所にある個室。然程奥には来ていない筈なのに、先ほどの喧騒が嘘のように静まり返るその部屋は防音のための何かがしてあるのかもしれない。ついキョロキョロとしている間にいつの間にかガノーの姿は無い。仕方なく部屋の中央に置かれたテーブルにある椅子に腰を下ろした。
特にすることも無く数分、いつ相手が来るかも分からない以上迂闊なことは出来ない。さてどうしたものかと悩んでいると、入り口の扉がノックされた。「どうぞ」と声を掛けると扉を開けてノソリとガノーが姿を見せた。
「ベル様をお連れしまシタ」
その言葉に首を傾げる。ガノーの後ろを見ても誰かがいるようには見えなかったからだ。もしかしてベル様とやらは所謂幽霊系の魔族なのだろうか。
「ちょっと!ガノー!前が見えないわ!」
「申し訳ありまセン、ベル様」
ガノーが謝りながら扉の脇に避ける…がそこにも誰もいない。
更に首を傾げている俺の顎辺りに突き刺さるような視線を感じ、視線を下げればそこに少女が1人。
腰まで伸びた髪は燃えるような真紅、陶磁器のような白い肌、アーモンド型のぱっちりした目、その奥に光るのは引き込まれそうな漆黒の瞳、恐らく身長は130センチといったところだろうか。だがその可憐ともいえる容姿の少女が纏うのは艶やかな紫のドレス、胸元はざっくりと開かれ真っ白な素肌が映える。更には大胆なスリットも入ったその姿は淫靡に見えそうなものだが、スッと伸びた背筋や意思の強そうな瞳、所作の端々から感じられる高貴さがそんな印象を抱かせないのだろう。
思わず見とれていたがその不躾な視線に居心地が悪いのか軽く睨まれたとこで我に返る。
「一応初めましてかしら?ベルクリル・フォルザ・アルディリアよ。ベルで構わないわ」
「お初にお目に掛かります。ジークフリートと申します。ジークとでも」
自己紹介の挨拶と共に頭を下げ、上げるといつの間にか部屋の中には俺とベルの2人となっていた。
お互いが椅子に座ったところで早速とばかりにベルが口を開いた。
「まずはここまで来てくれたことにお礼を言うわ。ただあまりのんびりできる時間がないの。早速で悪いけど話を始めてもいいかしら?」
その言葉に頷くとベルは説明を始めた。
話によると、ベルはかなりの地位を持つ職に就いており、数人の部下を持っているらしい。そんな彼女の仕事では部下達との話し合いによる多数決で決議を決める場面が多く、今回は賛成派と反対派が同数でお互いに譲らず話し合いも平行線の状態だとか。そこで彼女は現在空席となっている部下の席に目を付けた。本来こういう事態にならない用に彼女と部下を合わせて奇数となるように人数が調整されていた。だがその内の1人が数年前に死去してしまい、当時は新たな人員を決める余裕も無いほどに多忙であったためそのまま現在も空席であるという。そのため彼女はその空席を自身の味方で埋めることで今回の決議を終わらせたいのだ。
様々な説明を交えながら喋ったため、疲れたのか彼女が「ふぅ」と息を吐いたところで部屋にノックの音が響いた。
「お茶をお持ちしまシタ」
そう言って部屋に入ってきたガノーはその外見からは予想もつかない手馴れた動きで持ってきたカップにティーポットから紅茶のような飲み物を注ぎ退室していく。
ガノーの淹れた紅茶は思いのほか美味しく気づかないうちに緊張していた体の力が抜けた。
「それで?何か聞きたいことはあるかしら?約束通りできる限り答えるわよ」
「そうですね…まずは、ベルさんのお話では貴方が上司であると仰っていたと思います。であるならば、いくら部下が反対しているとはいえお互いの意見が同数であるなら貴方の選択が優先されると思うのですが」
「そうね…。確かに滅多に使うことは無いけれど私の権限で無理を通すことも出来るわ。ただ今はちょっと事情があってそれは出来ないの」
「ふむ…、では私を部下にすると仰っていましたがそれは大丈夫なのでしょうか。部下の方が黙っていないと思うんですが」
「部下に関しては私に一任されているから平気よ。一応資格のようなものもあるけどそれも貴方なら大丈夫だと思うわ」
そのあとも幾つか質問を繰り返した。気づけば紅茶も冷めている。ずいぶんと話し込んでいたらしい。
「そろそろね…。ごめんなさい、時間みたい。私の依頼を受けて貰えるならこのまま一緒に来てもらえる?受けないならこの話は忘れて頂戴」
その言葉にしばし考える。話を聞く限りこの依頼自体では特にデメリットは感じない。だがかなり強引なこの方法では恨みでも買いそうだが…。
「…分かりました。その依頼お受けさせて頂きます」
その言葉と共に立ち上がり頭を下げる。恨みを買う危険性もあるが、その上司が依頼主だ。万が一のときは何とかして貰おう。
数時間後、この時の考えがいかに魔族を甘く見ていたかを思い知る事になるなんて、今の俺は予想もしていなかった。