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涙爆弾  作者: 藤本乗降
第2章 発光しない異次元交流
9/26

2-3

       *


 僕は子供が好きだ。理由は星の数ほどあるが、強いて言うなら僕がロリコンだからだ。

 そして母親という生き物も子供が好きだ。これも様々な理由があるだろうが、彼女らが母親であるからこそ、そのさがとして子供を愛することができるのだろう。

 つまり、その温度差や本質は置いといて、ロリコンも母親も子供を溺愛するという点について大いに共通している。

 だから僕は、昨晩の真っ暗さんによる依頼を受けようと心に決めたのだった。

「ま、イイコトだけは死んでもお断りですけど」

 僕は双眼鏡で眼下を見下ろしつつ、そう言った。枝を右手でしっかりと掴む。服は上下とも迷彩柄。できるだけ音を立てないように気をつけてバランスを保つ。

 翌日。五月二十五日金曜日。当然、平日である。

 百八台高校には背景とカモフラージュしつつ木登りをし、周囲の状況を確認する授業があるのかと問われれば、もちろんそんなものはない。

 どこの傭兵育成施設だ。

 じゃあ何故僕は学校にも行かず、深く葉が生い茂った木に姿を隠し、すぐ近くの保育園を観察しているのか。

 それはさっき言った通り、真っ暗さんの親心に協力するためである。

「赤ちゃんて言ったって何歳か聞いてないし、それに死んでから時間が立ってるとすれば、成長している可能性だってあるしな」

 だからこれは正当な目的からなる、極めて常識的な行為なのだ。つまらない学業よりもずっと優先されるべき、母子の愛のキューピッド役なのだ。

 時刻は正午ぴったり。朝いつも通り家を出て、学校に病欠を伝え、公衆トイレで着替えを済ませて、木に登るベストタイミングを待っていた時間等々を含めて計算する。もう三時間半もこうしているわけか。

 現在、保育園では年長組が砂場で遊んでいる。

 オレンジ色の小さな体操服は土で汚れ、さくらんぼのように鮮やかな頬っぺたに泥が付くのもおかまいなしだ。

 無邪気な喚声。

 縦横無尽に走り回る天使たち。

 うんうん、やっぱり子供はこうでなくっちゃなあ。

 ……あ、でも大人しい子がダメってわけじゃないよ。むしろ大人しい子は大人しい子で大変素晴らしい。無口で人見知りな少女こそ、その細かな挙動一つ一つに、熟練されたハリウッド女優をも遥かに凌ぐ可憐さが見出せるのだ。

 じゃあ明るくて元気で走り回る子供たちは所詮テンプレ通りの量産品じゃないか、だって? おい誰だそんなふざけたこと言ったやつ。かち割るぞコラ。そもそも幼女に『テンプレ』とか『量産』とか『どこにでもいる普通の保育園児』なんて言葉は通用しないんだよ! それらを使っていいのは男かババアだけ。男の娘は使ってヨシ。幼女はオンリーワンなんだ! たとえ世界中のすべての人間が模造品になろうと、幼女だけは、幼女だけはオンリーワンでナンバーワン! 一人残らず最高級! 幼女サイコー、ビバロリータ!

 ほうら、砂場の隅っこで談笑している幼女二人組を見てみろ! 方はボブカット、方はポニテ。まるで足湯のように、泥んこに裸足を突っ込んでいる。

 ああっと! ここでアホそうな男子二人組が、幼女たちに忍び寄る! その手に握られているのは……ななななんとホースだあっ! そそそそそその蛇のように長くてブヨブヨしたものを、彼らはいったい何に使うというのかっ!

「ひやあああああっ!」

「みやあああああっ!」

 聞こえた! これだけ離れていてもハッキリと聞こえました! 背中に直接水をぶっかけられた幼女たちの悲鳴が! そして更なる追撃が幼女たちを襲います。ななななななんてけしからん光景でしょうか! 透けてます、幼い肌を守るために繕われた一枚の布が、今! あえなくその向こう側を露わにしてしまったー!

 下着です、ポニテの子はピンク、ボブカットの子はライトグリーンです! 私の方も、もう少し倍率を上げてみようかと思います。

 …………。

 …………。

 …………。

 …………。

 ああっ! これは失礼、私としたことが目の前の桃源郷に夢中となり、実況を怠ってしまいました。ええ、紛れもなくピンクとライトグリーンでした。ええ、さすがに胸はまだありません。これからの絶妙なふくらみ加減に期待ということでしょうか……。まあ今のままでも私としては一ッ向に構わないんですがね!

 さて、彼女らが服を着替えに視界から出てしまったところで、今度は別の幼女にスポットを当ててみましょう。

 おっと、子供たちの中でも一際目立つ女の子がいますねえ。金髪です、金髪。最近では小さい子の髪が傷んでしまうのも意に介さず染髪を行う、非常に残念極まりない事例が多発していますが……ふむ、私の目によるとあれは九九%天然ですね。百点満点です、花丸を五個あげましょう。

 先ほどから一人でうろうろと動き回っていますね。追いかけっこでもしているのでしょうか? しかし肝心の相手がいません。どうやら彼女、他の子とうまく馴染めていないのかもしれません。僕がっ、僕が今すぐにでもお友達になってあげられれば……!

 …………。

 …………。

 ふう、すみません。ここから飛び下りたいという欲求を押さえつけるため、若干実況がおろそかになってしまいました。

 さあ続けましょう。

 金髪子ちゃんはまだ一人ですね。しかし、それにしては楽しそうです。いえ、一人でも多くの幼女が笑ってくれるのは大変素晴らしいことなのですが……。

 なんだか、まるで本当に相手がそこにいるかのようです。

 空想上のお友達、でしょうか。良かったらそのメンバーに僕も加えてくれていいんですよ?

 リーン、リーン、リーン。

 ああ! なんということでしょう! お外遊びの時間はこれでお終いのようです。

 時間よ止まれ! 止まってくれ! しかし鐘の音は止む気配を見せない。

 畜生、この世に神はいないのか!

 あまりの悔しさ、名残惜しさに地団太を踏む。

 ……仕方ない、ここは諦めて双眼鏡からの景色に集中しましょう。

 あ、金髪子ちゃんが手を振っています。振っている相手は……え、僕!?

 いやいやそんなはずない……うん。いやでも、もしかして僕の想いが届いて……?

 満面の笑みでバイバイし続ける金髪子ちゃんの傍に、保育士さんが近づきてきた。そして何やらお話ししている様子。あ、金髪子ちゃんが人差指を向けた。間違いない、ばっちり僕の方だ!

 なんだ、いるじゃないか神様! さっきは文句言ってごめんよ、あんたきっと縁結びの髪だろ。

 そうと決まれば金髪子ちゃんに会おう。第一声は「やあ、僕とお友達にならないかい?」かな。それとも「やあ。君の友達、武藤くんだよ」かな。くそう、悩むなあ……。

 そう思っている間に、保育士さんも金髪子ちゃんの指の先を見始めた。なるほど、お友達の許可申請をわざわざ取る手間もはぶけそうだ。なんて気が利く優しい子なんだろう。

 ……ん? 保育士さんが目を真ん丸にしたかと思うと、急いで建物の中に入って行ったぞ? そしてそして……うわ、なんか男の人とか園長っぽいおばさんまで出てきた。みんな僕の方を見ている。女の人は携帯を耳に当てて何か喋っていて……。

「……あれ?」

 僕の内側にあった熱という熱が瞬間冷却され、その後頭の中で警報が鳴る。

 やばい、これは冗談抜きでやばい!

 そう思って枝から立ち上がったとき、メキィッと嫌な音が聞こえた。

「マジ?」

 その瞬間、僕は地球の重力の力というものを全身で体感した。


       *


 五時間後。

「はあっ、はあっ、ぜえっ……」

 僕は公園の土管型遊具の中で息を殺していた。

 あの後、町にはパトカーの音が鳴り、市役所からのお知らせで不審者情報が広められた。

 十代後半の男。中肉中背。上下とも迷彩柄の服。

 どう考えても僕だ。そして今もその恰好のまま……。この状態で出ていけば十歩も歩かないうちに気づかれるだろう。かといって服を脱いで出ていっても、今度は別の不審者として警察のご用になること間違いなし。

「……詰んだ」

 人生が。

 とりあえずこのまま夜になるのを待って、制服を隠した場所に向かえば大丈夫だろう。

 それはそれで学生の深夜徘徊ってことになるけど、覗き魔よりだいぶマシだ。

 そのとき、土管の入り口が影で覆われた。

「何してるんですか?」

 ! まずい見つかったか!?

 慌てて反対側から脱出しようとするが、そこも誰かに塞がれてしまう。

 に、二対一とは卑怯な!

「そんなところで何してるんですか、先輩」

 どこかで聞いたような声は再び尋問をしてきて……ん? どこかで聞いたような声?

 おずおずと土管から顔を出すと、夕暮れの中で女子高生が立っていた。

 その足は軽く開いている。僕がいた土管は地面にそのまんま固定されていた状態で、彼女はちょうど入り口を跨ぐように立ち上がったところらしく……その帰結として

「あ、もしかして日羽鳥?」

「ど……どこ見てんですかー!」

 頭上の純白パンツを見たあと、視界はチカチカはじける火花でいっぱいになった。


「……はい先輩。言われた通りバッグ持ってきましたよ」

 日羽鳥はエナメルバッグを土管の入り口へ無造作に置いた。

 うん、間違いなく僕のだ。日羽鳥と、もう一人の同行者に深くお礼を言う。

 制服に着替えて、僕と日羽鳥と……そしてあの金髪子ちゃんはグルグル回る円盤みたいな遊具に座った。

「それで、なんで君がいるの?」

 金髪子ちゃんは日羽鳥の隣でジュースを飲んでいる。ストローになりたい、切実に。

「……なんだか、うちのメグを知っているような口ぶりですね」

「え、まさか妹?」

 突如、日羽鳥ハーフ説が脳内に浮上する。

「違いますよ、従妹です従妹」

 さすがに血を分けた姉妹じゃなかったようだ。そう思ったのを見透かしたように「血は一滴も繋がってませんけどね」と日羽鳥は言う。

 まあ、安藤から一応は聞いてたからな。深く追求はしないでおこう。

「ねえメグ、このお兄ちゃん見たことある?」

 ゾクッ。

 日羽鳥の口調がガラッと変わった。そのあまりの変わりように、一瞬「これはホントに例の辛辣少女なのか?」と疑問に思う。

 つまり猫撫で声だ。猫を被った猫撫でボイスだ!

「ううん」

 気をつけろ金髪子ちゃん改めメグちゃん! そのお姉ちゃん、皮を剥くと毒舌しか出てこないぞ!

「でも、この子なら今日遊んだよー」

 メグちゃんはそう言って、目線を僕の隣に向ける。

 僕もつられて隣を見る。何もいない。

 視線を戻すと、メグちゃんが「ねー!」と笑いかけている……誰もいない場所へ。

「ふむふむ。要するにメグはあの子とお友達で、お兄ちゃんのことは知らない、と」

 日羽鳥がそう訊くと、メグちゃんは首を大きく縦に振る。

「そして先輩は何故かメグのことを知っていて、さっきまでそこに隠れていた、と」

 僕は正直に答える。

「……これは、先輩の事情をよぉく問いただす必要がありそうですねえ」

 そう言い放った日羽鳥の顔は、今まで見た中で最も――悪霊みたいだった。

 そして僕が今朝からのかくかくしかじかを語りあえたころ、夕日は色を濃くし、カラスは巣へと戻り、そしてメグちゃんは静かに寝息を立てていた。

 話している最中、何回「そこの園児の様子は割愛してください」と言われたことか。

 聞き終えてから、日羽鳥は警察に連絡などはしないようだった。これは僕にしてみればすごく意外で、もしや刑務所入りより百倍エグいお仕置きが待ってるんじゃ……と身構えたのだが、どうやらそのつもりもないらしかった。

 ただ、腐ったゴミ虫でも見るような蔑んだ目で見られはしたが。

 それだけだった。

 最後に、日羽鳥は穏やかに眠る妖精を背負って

「じゃ、また今度会いましょう。それまで死なないでくださいね」

 と帰っていった。

 また明日、あの食堂で幼女幽霊に関する話をさせられるんだろうか。

 ……あれ? でも『今度』って言われたよな。

 慌てて日時を確認する。五月二十五日――金曜日。

 ええと、つまりこの土日を一人で乗り切らなきゃならないわけで……。

 僕は非常に嫌な予感を味わった。



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