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涙爆弾  作者: 藤本乗降
第1章 白熱しない幽霊談議
6/26

1-5

       *


 ぐにゃりとした世界。ねじれた空間。明るいけれど、どこか人体模型のような不気味さがある場所。そこにいた。

「**。**」

 声が聞こえる。

「君、それは**だよ」

 何だって? よく聞こえない。

「君は******から、*******けない」

 音が反響して、言葉がうまく聞き取れない。

「僕は*けたんだ。それに*には*****じゃないか」

 頭がガンガンする。三半規管がおかしくなりそうだ。

「**ナに」

 ああもう! 何言ってんだか全然分かんない!

「******!」

 返した言葉も反響して、何を言ったか自分でも分からなくなった。

 二つの声が響き渡る。もう気分が悪いなんてもんじゃない。どっちが上かも分からなくなってきた。グルグルと回る。世界が? 自分が? 両方が?

 そのとき、ポン、と軽く背中を叩かれた。

「ササナに、よろしく」

 そのメッセージだけは何故か、周りの音をシャットアウトしたかのように鮮明に聞こえた。

 聞こえた瞬間、*の目の前は真っ暗になった。


       *


「……………………ハッ!」

 最初に天井が目に入った。自分の部屋だ。ゆっくりとベッドから起きあがるが、なんだか妙な匂いがする。……酒の匂い。まだ取れていないのか。あれからもう*日経つってのに。

 ――あれ? 何日前だっけ?

 というか今日はいつだ? 昨日はどうやって寝た? どうやって家に帰った?

 ――何も思い出せない。

「ってアレ? たしか昨日、安藤と二人でぐだぐだ喋って、それから――」

 あの時にやったことを思い出す。そして自分の体を触る。生きてる。

「まさか……夢オチ?」

「なわけねーだろうがよ、お前さん」

 ベッドの下から稲井川先輩が出てきた。

「うわあああっ!」

「おいおい、この聖人君子に対してなんて顔しやがる」

「せ、聖人君子? 先輩が?」

 それはどんな冗談でしょうか。エイプリルフールのネタにもなりゃしない。

「おうよ。気絶していたお前さんをこうしてベッドまで運んでやったんだ。感謝されねえと割に合わねえだろ?」

 道理で、部屋に帰って来た記憶がないわけだ。先輩に軽く頭を下げる。……これを口実にお金請求されなきゃいいけど。

「ありがとうございます。……で、こうして無事に帰ってきたことはいいとして、先輩がベッドの下にいた理由は何ですか?」

「実は昔から、ジェイソンやインチキおじさんみたいにベッドの下から現れるのに憧れてたんだよ。夢が叶って幸せだなー」

「いや、ジェイソンはともかく、インチキおじさんはお鍋の中から登場ですよね」

 よっこらせっ、と年寄りくさい掛け声で、稲井川先輩は立ち上がった。

「実は昨日の約束を果たそうと思ってな」

「約束? ああ、スマホ爆弾の説明でしたね」

 そういえば約束していた。あの時はそんなこと完全に忘れてたからなあ。

「……って、スマホの話よりも先に」

「言いたいことがあるんだろう? 分かってるさ」

 先輩にセリフを先読みされてしまった。

「アタシも最初に、お前さんに訊いておきたいことがある」

「なんですか?」

「お前さんはお前さんを誰だと思っているんだい?」

 それは、以前訊かれたことと似た質問だった。今度は迷いなく答えることができる。

「『僕』は『僕』です。武藤武道という一人の人間です」

 ふむ、と先輩は僕の全身を舐めるように見た。

「ふうむ。どうやらお前さん、『混ざっちまった』みたいだねえ」

「……そうですか」

 起きたときから薄々感じていたことだった。なんとなく自分が以前の自分と別物のような感覚が、急に内側から湧き出てきた。ブルッと体を震わせて、恐る恐る僕は尋ねた。

「どれくらいの比率ですか?」

「んー……。いや、そういうので表すのはちょいと無理難題だなあ。マーブルチョコみたいにぐちゃぐちゃになっていやがる」

「マーブルチョコ自体にはあまりぐちゃぐちゃというイメージが湧きませんが」

 だけど。と僕は考え直す。やっぱりおかしい。昨日僕がやったのは『交換』の完成だったはずだ。五割を超えて、僕の意識が霊体へ、安藤の意識が肉体へと移ったはずじゃ……。

「事実としてお前さんはお前さんでいる。ってことは、安藤が安藤でいるってことを望んだんだろう」

 単純単純、と先輩は笑った。しかしそれは安藤の願いと反するはずだ。生きて妹に会うことを強く望んでいたはずなんだ。それは――俺がよく知っている。

「だから単純な話だろうが。お前さんが安藤のことを分かったように、安藤もお前さんのことが分かったんだよ。それで、最後の最後に無理やり精神の接続を切ったってことだ」

「そうだったんですか」

「まあ勘だけどな。アタシいなかったし」

 この人、ただの勘をさも真実のように語ったぞ……!

「でも、僕のことを分かったっていっても、一体何が安藤の気持ちを変えたんでしょうね」

「しょせん自分は他人よりも他人、他人は自分よりも自分ってことさ。どんな時でもな」

 先輩は大きくあくびをして、体を伸ばした。太っ腹スレンダー、と言っていたが、なるほど。自分でスレンダーを自覚するだけはある。……しかし何故だろう。これまで感じていた女性的な魅力が見うけられない。体型に大きな変化は無い、と思うのだが。

「あんまりジロジロ見るなよ。金とるぜ、ロリコン野郎」

「なっ!」

 その言葉で僕は思い出す。あの、小さくてキュートな女児が表紙を飾る小説を。そして感じる、火花一つで大爆発を起こしそうな暴発的衝動を!

 慌てて本棚へと駆け寄り、その本を抜き出す。表紙のイラストを、まじまじと……それはもう視線だけで通報されてもおかしくないくらい熱心な眼差しで見る! ……三十秒後、僕は確信した。

 まさか。そんなまさか……! 僕の性癖は悪化していたというのか!

「お前さん、恐らく『自分の元のタイプ』が失われて、代わりにロリコン成分が増量したみたいだねえ。まったく面白い変化だよ!」

「……くそう。おっぱいを見ても何も感じない。むしろわずかな嫌悪感すら抱く! なんだこの不思議感覚!」

「ハッハッハッハ!」

 畜生ー! と叫びながら、僕は別のことを考えた。

 安藤はどうなったのか。――なんとなく、本当にただなんとなくだが、あの部室にはもういない気がしていた。幽霊を信じない幽霊は、いったいどうなったのか、僕がそれを知る術は――一つだけある。

 日羽鳥だ。彼女にお願いしよう。その際に今回の時後報告もしなくちゃいけない。今もまだあちこちの霊媒師を探しているかもしれない。

「ところでお前さん、あの約束については訊かないのかい?」

「え? ああ、そうでした。何なんですか、説明してなかったことって。今まで忘れてたことだから、どうせ下らない機能なんでしょうけど」

「爆弾の解除方法だ」

 全然下らなくなかった。

「ええー! だってあれ何とか日後に爆発するって決まってるんでしょう?」

「アホか。解除方法のない時限爆弾がどこにある。もっと映画見ろ映画」

 そして先輩は勝手に俺の鞄からスマホ爆弾を出し、待ち受け画面を俺に近づけた。

「ほら、ここよく見てみろよ」

 指さしたのは膨大な数字の羅列の下のほうにある小さな文字だった。

『999999998/1000000000』

「十億人の『涙』を、お前さん自身の力で集める。それが爆弾のただ一つの解除方法だ」

「ぼ、僕自身の力って、こんなの一生のうちで達成できるわけないでしょう!」

「ハッハッハ、まあ健闘を祈るぜ!」

 右手を挙げて先輩は退室した。はあ。朝からドッと疲れてしまった。……今は何時だろう。時計に目をやる。

 五月十七日木曜日……七時五五分。

 げ。


       *


「……非常に安定しています。奇跡という表現はあまり好きではありませんが、これは奇跡的としか言いようがありません」

 そして、と日羽鳥は言葉を続けた。

「その寝癖も、奇跡的としか言いようがありません」

「それ何回言うんだよ……」

 朝は結局どうなったかはあえて描写しないでおこう。百聞は一見に如かず。Z戦士のような僕の髪型を見れば一目瞭然である。

 今日も日羽鳥と相席焼きもやし定食を食べている。日羽鳥にはその後のことと、いくつかの補足を含めた報告をした。稲井川先輩のことは『守銭奴だけど美人。美人だけど守銭奴』と説明しておいた。

「しかし……いいのですか? 今の先輩だって『本来の先輩』とは別人なんですよ」

「いいんだよ。人なんて他人の影響とか漫画の読み過ぎなんかで性格が変わる弱い生き物なんだから。変わったっていいんだよ」

「そういうものでしょうか……? ところで先輩。先輩の心配していた安藤さんの行く先――否、逝く先ですが、恐らく消えてしまったのだと思われます」

 消えた? それは、いわゆる成仏とは別なのだろうか。

「まあ成仏と似たもんですよ。感覚的には。それに、先輩の話を聞く限り安藤さんは最初から駄目元で生き返ろうと思ってたんじゃないでしょうか」

「駄目元で?」

「はい。安藤さんがその先輩のことを知っていたなら、それに対する策をもっと用意しておくと思いませんか? ただ先輩の記憶を弄るだけじゃ物足りないと思うんです」

「そういうもんかなあ」

 お茶をすする。皿を見ると、もやしの量も残り少なかった。

「それに、先輩が安藤さんの死に関する情報を偶然耳にしたらどうするんです。私が交差点の話をしたときに被害者の名前を出していたら、もう詰みです」

 確かにそうだ、と僕は妙に納得してしまった。

その後は日羽鳥と幽霊談義をして昼食時間を過ごしたが、やはり僕には信じられないような話ばかりで、この日の会話は白熱しなかった。

 昼休み終了のチャイムが鳴り、席を立つ。この時ふとある事が気になったので訊いてみた。

「そういや日羽鳥、お前下の名前はなんていうんだ?」

「あれ? 言ってませんでしたっけ?」

 日羽鳥はいつものジッとした視線で僕を見上げて、答えた。

笹那ささなですよ。パンダの主食が那覇にある、と書いて日羽鳥笹那」


       *


 わが文芸部の部員はわずか三名である。

 「一番体力使わなさそうだから」という理由で入った僕、武藤武道。

 中学からの同級生であり、幽霊部員の安藤弘貴。

 そして部長である稲井川先輩だ。


 今日の放課後も部室に寄る。文化祭の準備をするためだ。

 申し込み用紙も貰ってきた。先輩も部活にこそ来はしないが、原稿は書いているとのことだ。部室に保管してある歴代の部誌を参考に、レイアウトや製本の計画も立てないといけない。思ったよりも面倒な仕事だ。

 アンティークと言うには苦しすぎる古い棚を開けると、ホコリがモワっと放出された。その不意打ちに驚いて手をバタバタ振ると、中にあった書類に当たったようで、床に落ちてしまった。

「あちゃー……」

 ホコリ漂う中、書類を集める。すると、見覚えのある字が書かれた原稿用紙が目に入った。よく見ると、見覚えがあるというか、僕の字だった。

 ホコリを手で払い、鼻から侵入したゴミに反応して喉がゴホンと咳をしてから、僕はそれを読んだ。どうやら入部したての一年生に書かせた作文らしい。


『僕が文芸部に入った理由 一‐C 武藤武道』

『僕が文芸部に入った理由はただ一つ。小説家になるためである。 おわり』


 それだけで本当に終わっていた。

 こんな理由? こんな理由を僕は持っていたのか? こんな希望を僕は持っていたのか?

 覚えていなかった。安藤との精神交換の後遺症でまだ記憶に不十分な部分は多いが、それとは関係ない。

 単純に、一年という時間の中で、僕はこの作文を忘れていたのである。


「安藤。もしかして、お前が見つけたものって、これのことだったのか。……バカだなあ。本当にバカだなあ。こんな他人の夢より――忘れられた夢より、離れた家族のほうがよっぽど大事だってんだよ……! 百人に尋ねたら百人ともそう答えるに決まってるんだよ! どうしてだよ。どうしてお前は――」


 そこから先、僕は自分でも何を言っているのか分からなくなり、下校のチャイムがなるまで訳の分からないことを怒鳴り散らしていたと思う。今だけは誰とも目を合わせたくなかった。他人を見たくなかった。自分を見たくなかった。それでも僕は生きていた。生きて動いていた。自転車を押して帰る。いつの間にか、あの自販機の前を通り過ぎたようだ。

 顔をあげると、今日も夕焼けが、全然青春していない僕を照らしていた。


                           第一章 了


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