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涙爆弾  作者: 藤本乗降
第2章 発光しない異次元交流
17/26

2-11

       *


「私の赤ちゃんは?」

 その日の夜、僕はまたしても金縛りにあった。

「知りませんよ」

 と、冷たく吐き捨てた。


       *


 そして翌日。朝早くから僕は一人で電車に乗っていた。

 電車にはスーツ姿のおじさんや単語帳を持った男子高校生などもいたが、基本的にスカスカだった。

 僕の服装は黒のポロシャツとグレーのチノパン。そして手荷物は一つだけ。

 それは百センチ四方のダンボール箱だった。それもただのダンボール箱ではなく、そと側には布が巻かれ、その上からガムテープでグルグル巻きにされている。見るからに不恰好で、見方によってはかなり不気味な箱だ。

 しかし乗客は意外にも僕を訝しんでいる様子はない。他人は自分が思っているほど自分を重要視していないという事実を改めて痛感する。

 駅の名前が呼ばれるごとに町の喧噪から離れていく気がする。まあ僕の住むところも特別都会ってわけじゃないけど、それでもノスタルジーの気配が強くなることに少しの感動を得ていた。

 おじさんが降り、学生が降り、ぽろぽろと乗客の数が減っていく。

 しばらく電車に揺られると、とうとう目的の駅が呼ばれた。切符を確認してから顔を上げると、窓の外には青々とした大海原が広がっていた。


 昨日の面会の結果は、はっきり言って何もなかった。

 真っ暗さんは何も変わらず僕の部屋に出没し、僕に金縛りをかけて同じ質問ばかりを繰り返していた。面会時、僕の内側に安住真保がいることを知ったはずなのだが、真っ暗さん自体は僕に何の関心も抱いていないようだった。部屋が暗かったから、僕の顔も見えなかったんじゃないだろうか。

 あの日帰り、成功か失敗かまだ判別できていない日羽鳥は、もしもの時のためにあるアイデアを僕に教えてくれていた。

『先輩の家に泊まった晩、分かったことが実はもう一つあります』

『生霊は霊さんではなく、そして人間と表現するのもちょっと難しい存在です』

『そんな生霊たちは実体を持って現れる場合が霊さんよりも多くあります』

『やはりエネルギー源があるというのが大きいんですかね、詳しいことは分かりませんが』

『とにかく真っ暗さんには触れられる形もありましたし、実体を持っているんじゃないかと私は推測したんです』

『であれば、その実体を封印することもできるんじゃないか。そう考えました』

『しかし問題は四つ。これも成功する確証がないということ。金縛り状態になること。暗闇で相手の姿を把握しにくいということ』

『そして』

『成功しても、安住愛の悪夢は終わらないということです』


 真っ暗さんが現れる時刻はだいたい夜の十一時ごろ。場所は部屋の中央よりベッド寄りの位置。出現したとき、どういう原理化僕の部屋は必ず停電を引き起こす。他の部屋には異常ない。あったら今頃電気会社に相談してる。

 それらの経験則を活かして僕はある装置を設置した。

 夜十時五十八分。

「私の赤ちゃんは?」

 真っ暗さんはいつも通り、僕を拘束して現れた。

「知りませんよ」

 冷たく吐き捨てる。

 それでも真っ暗さんは同じ質問を繰り返し、僕は適当に答えていった。

 真っ暗さんを期待させず、でも落胆もさせないように。歓喜に身を躍らせないように。絶望で狂騒しないように。

 その場から動くことのないように、気をつかった。

 そして夜十一時ジャスト。

「「9th turn『影の閃黒』」」

 真っ暗さんにはこの台詞が二方向から聞こえたに違いない。

 一方は当然僕から。

 そしてもう一方は、ベランダに置いてあるテレビから。

 その瞬間、一筋の光が真っ暗さん目がけてまっすぐに伸びる。

「視聴予約って便利ですよねえ! 忘れずリアルタイムで深夜アニメを観れる!」

 この部屋だけが停電することは分かっていたから、電源コードは一階の台所から延長コードを伸ばして繋げている。ベランダから外を経由してコード付けるの、地味に苦労したんだぜ。

 そしてテレビと真っ暗さんの出現位置を結んだ線の延長上には、ホームセンターで手に入れてきた百センチ四方のダンボール箱が口を開けていた。

 また、テレビの光が入ったことによって僕の口元にある、ピンと張った紐もどうにか視認できる。

「これで終わってくれよおお!」

 そう言って、思いっきり紐を噛み切った。

 パタン、と思ったよりしょぼい音がしてダンボールの蓋がしまった。本来ダンボール箱は観音開きのように二つの面で蓋をしてあるが、カッターとガムテープで改造して一枚の蓋にしてある。

「私の赤ちゃんは?」

 くぐもった声がダンボールの中から聞こえた。僕は相変わらず金縛りのままで、点けっぱなしのテレビの電源を切ることもできないまま夜を過ごした。


 そのダンボール箱が、僕が今抱えているやつということだ。

 六月の海辺には人はなく、波の音とカモメの鳴き声だけが轟いている。

 僕はいったんダンボール箱を砂浜に置き、テトラポッドが敷き詰められている場所へと上った。そこからテトラポッドの欠片をいくつか拾っては砂浜へと投げる。

「ま、こんくらいありゃ十分だろ」

 砂浜に下りて三つの大きな欠片と二つの中くらいの欠片を、ガムテープとロープでダンボールの周りに固定する。NHKの工作番組が失笑しそうな出来。手先が不器用なのは生まれつきなんだ。

 重量が一気に増した箱を今度は堤防の先にまで運ぶ。こんなんだったら最初から堤防の上で作業しとけばよかったと後悔。要領悪いなあ僕。

「さて、と」

 堤防の先っちょにたどり着いた。いったん伸びをして腰を反らすと、びきびきと関節が音を立てるのが聞こえた。

「よくフラれた女が海に指輪捨てたりするけど、ダンボール箱捨てた人っているのかなあ」

 不法投棄以外で。

 いやまあ、指輪もこれも不法投棄には違いないけどさあ。

「申し訳ないとは思うよ、真っ暗さん。でも僕あの時、初めてこの子の声が聞こえたんだ。今までちっとも感じなかったこの子の感情があの時だけ爆発したようで、それが喜びとか幸せなら良かったんだけどさ……『こわい』ってひたすら言ってたよ。それも母親にぶたれたときに感じる『こわい』じゃなくて、なにか得体の知れない化け物でも見たかのような『こわい』だ。……僕はこの子の親でも友達でも先生でもないけど、あなたの考えてることも分からないけど、身勝手で偽善的かもしれないけど、あなたをこれ以上この子に近づけさせちゃダメだと思った。だから……」

 できるだけ遠くへ

 そう願って、思い切り投げた。

「一生そこで、死んだ娘を探してろよおおおお!」

 ダンボール箱は少しづつ水を吸って変色していった。やがて浮力が重石の重さに耐えきれなくなったのか徐々に沈んでいき、波に飲まれてからは再び浮かんでこなかった。


       *


「はあ、はあ……」

 大声を出したせいか、それともこの甚大なやるせなさのせいか、僕は心身ともに疲れ果てて肩で息をしていた。

 六月の堤防の上。誰にも見られず、誰にも知られず、僕は一人の人間の希望を奪ってしまったのかもしれない。

 その覚悟はしていたけど、味わってみるとその味は思ったよりずっと苦くて――

「よう、忘れもんだぜ、お前さん」

 どこかで聞いたことのある声が背後からした。

 振り返ると目に入ったのは、腰まで届く赤毛、イタズラする猫のような目、贅肉のないスレンダーな長身、その身を包む丈の短い真紅のジャケットスーツ。そしてその手に握られた一台のスマホだった。

 画面には大きく


 128642235938318451422014911865612128065648819122235561359240049301


 その下に小さく書かれたもう一つの数字は


 999999996/1000000000


「久しぶりじゃん。手紙読んでくれた?」

 稲井川先輩が後ろに立っていた。

 小馬鹿にするような笑顔で、僕を見下ろしていた。

「あれ……やっぱり先輩の仕業だったんですか」

 『赤ちゃん見つけた 放課後 駅前広場』と書かれた紙きれ。

 日羽鳥にも真っ暗さんにも出来ない所業だが、誰に気づかれることもなく部屋に不法侵入した実績を持つ稲井川先輩なら、いとも簡単にできてしまうだろう。

 あの手紙が無ければ僕は日羽鳥のことを誤解したままだったかもしれない。だから先輩には感謝すべきなのかもしれないが

「あなたはいったい何がしたいんですか」

 そう訊いた。訊かなければならないと思った。

 稲井川先輩は表情を崩さず、こちらに歩み寄る。

「ん? アタシはただ、お前さんがトラブルを解決して、一個でも多くの『涙』が手に入るようお手伝いをしたいだけなんだけど?」

 そう言って僕の右手首を掴み、スマホ――もといスマホ爆弾を握らされた。

 画面に映った数字をもう一度確認する。タイムリミットの方ではなく、その下の数字を。

「先輩……気のせいかもしれませんが、これ減ってません?」

「減ってるよ。お前さんは安住真保と安住愛に涙を流させた。一人は恐怖、一人は歓喜。どちらも純粋な感情の結晶としての涙さ。うんうん素晴らしいねえ。玉ねぎ微塵切りにするのと比べると月とスッポンだ!」

 前者の方は、あの面会室で僕が流した涙のことか。

 僕の体を通してはいたけど、あれは安住真保自身の涙として認識されたらしい。

「じゃあこの調子で頑張れよ。十二不可思議日後を楽しみにしてるからよ」

 そう言って稲井川先輩は去ろうとした。その背中に僕は焦って呼びかける。

「先輩、なんで僕なんですか! 僕がやらなきゃいけないことなんですか!」

 背中を向けて数秒も経っていないのに、稲井川先輩はいつの間にかずっと遠くに立っていた。瞬間移動もしていない、本当に気がついたらそこまで進んでいた、という感じだ。

 稲井川先輩は横顔だけを向けて、海の方を眺めたまま答えた。

「誰もお前さんに『やれ』とは言ってねえ。止めたきゃ止めろ。爆発させたかったらそうしろ。そいつはお前さんしか持ってねえし、お前さん以外が持つこともねえ。ママのおっぱいからは卒業したんだろ? 自分で決めな。それが大人の階段ってやつかもしんねえぜ」

 そう言った稲井川先輩の姿は、波間に浮かぶ蜃気楼のようにゆらりと揺れて、瞬きしたときにはもう見えなくなっていた。

 僕はもう一度スマホ爆弾の画面を覗いた。

 今回新たに計測された、二人分の涙。

 一つはおぞましいまでの恐怖。

 一つは狂気的な歓喜。

 こんな感情が世界を救うための礎になるというのか?

 目を覆いたくなるような目にあって、指の隙間からにじみ出るような涙が?

 それで救う? 遠い未来の世界を?

 僕は……僕はどうするべきなんだ?

 僕は何と言いようもない不安感に襲われ、堤防の上に倒れ込んだ。



                           第二章 了



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