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涙爆弾  作者: 藤本乗降
第2章 発光しない異次元交流
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2-9


       *


 六月八日金曜日。明日を待てば休日がやってくるというのに、僕は日羽鳥の提案通り学校をサボっていた。

 担任は僕が風邪で三八度の熱で寝込んでいると思っているし、母さんはいつも通り僕が勉学に励んでいると思っているだろう。

 日羽鳥は昨日も休んでいたようだが、話を聞くとその前の日も早退したということだった。まあ休むときは二日くらい連続で休んだ方が真実味は増すとは思うけど……。

「そんなんで授業ついていけたりするの?」

「ご心配なく。私には代わりにノートをとってくる良き友人たちがいるので」

「おーい友人さんたちー、君ら完全に騙されてるよー」

「友達っていうのは利用してこそですよ、先輩」

 こんな会話を僕らはバスの一番後ろの席で交わしている。平日の昼間だからか、乗客は僕ら以外にいない。

 日羽鳥も僕も制服姿だ。鞄も学校指定のそれである。

 運転手がたまにミラーで僕らの方を見てくるのが地味にムカつく。

 天気は昨日の大雨が嘘だったかのように晴れ渡っていた。太陽を反射する水溜まりをバスのタイヤが踏んで、小さな虹が生まれた。

「それで、そろそろ僕の身に何が起こったのかを聞きたいんだけど」

「ええ。説明しましょう――あ、ここは『説明しよう!』の方がいいですかね」

 どっちでもいいから早くしてくれ。

「はあ、先輩はロマンがありませんねえ。――では解説タイムです。まず、昨日私がやったのは先輩の魂の様子をじっくり観察するための行為なんです」

「それって、いつもの手を介してやるのとはどう違うんだ?」

「単に上位互換と考えてくれて結構です。精神力を使う代わりに、先輩の魂を詳しく見ることができました」

 自分の内臓を透視されたような寒気がした。

 そんな僕を見て、日羽鳥は軽く笑みを浮かべた。

「その結果、先輩にはとある霊さんが憑いていることが分かりました」

「え? でも……」

 今の僕には真っ暗さん以外の幽霊は憑かないはずじゃあ……。

「つまりですね、その霊さんが憑いたことが霊さんを寄せ付けない原因だったんですよ。それはおそらく、五月二十四日から二十五日にかけての間」

 二十四日の昼に僕は『説得』を行おうとして、次の日に公園で日羽鳥に発見されるまでの間ということか。

「じゃあ真っ暗さんがそれに関係してるってことだな!」

 僕は確信を持って力強く言った。

「いいえ違います」

 きっぱりと日羽鳥に切り捨てられた。

「でも、それ以外に要因なんて――」

「はあ……。先輩の大好物だというのに。先輩のアイデンティティと言っても過言でもないアレですよ」

「アレ?」

 僕が理解できないでいると、日羽鳥はもう一度嘆息した。

 そんなに呆れないでもいいじゃないか、と憤慨したくなる。

「よ――」

「ああー! あの幼女幽霊たんか!」

「……その反応速度を別のところに活かせませんかねえ」

 そう言って日羽鳥は三度みたび溜息を吐いた。

「そう。その霊さんが先輩を守っているんですよ」

「へえ。すごいな! 僕今幼女に守られてるんだ! うわぁ感激だなー! 幼女を守ることはロリコンたる者の義務だけど、こうやって守られる側に立つってのも……うん、非常にハッピーな感じだ! イエス!」

「……や、ごめんなさい先輩。私嘘吐きました。正確に言うと霊さんが先輩を守ってるのではなく、霊さんを内に匿っている魂自体が先輩の無意識下で活性化していたことが原因なんです」

 一気に変態のイメージになった。

 それってつまり、幼女を感じたせいで、そこらの霊を寄せ付けないほどまでにテンションが上がってたってことじゃないか。

「事実があまりにキモイため、私自身が認めたくなかったのです……。でもやはり事実は事実。きちんと向き合わないといけませんよね。じっくり観察した先輩の魂は……うぷ」

「吐きそうになってんじゃねーか!」

「お客さん大丈夫ー?」運転手がマイクで声をかけてくるが、日羽鳥は手でそれを制した。

 彼女が落ち着きを取り戻したところで、本筋に帰る。

「っていうことは、ここにいる幼女幽霊たんは真っ暗さんとは無関係。タイミングが重なっただけってことか」

 僕は自分の心臓の辺りに親指を突きつけて言った。

「そういうわけでもないんですよ。ほら、見てくださいこれ」

 日羽鳥は言いながら鞄をあさくり、クリアファイルを取り出した。中には新聞記事と思しきものが何枚か入っている。

「それは?」

「ここ最近で起きた児童虐待死事件に関する資料です」

 窓から差し込んでいた陽光が、ふっと途切れた。

「……え?」

 じどう……ぎゃくたい?

 突然出てきたその単語に、僕は戸惑いを隠せない。

 梅雨のせいかシャツがじわりと背中に貼りつく。けれど暑さは感じない。むしろ体温が急激に奪われていた。いつの間に冷気が僕の体を内側から凍えさせたのか、気にする余裕はなかった。

 虐待って、その、あれだよな。

 親とかが自分の子供に対して……その、暴力をふるったり、ろくに食事も与えなかったりする……あれのこと、だよなあ?

 小さな、まだほんの小さな子が苦しんで、泣いて、助けを求めて、でも誰にも助けてもらえなくて、そして――

 ……! いけない! 考えただけで、考えただけで僕はっ!

「先輩、しっかりしてください!」

 肩に手が置かれて、ハッと正気に戻る。

 日羽鳥の両眼がしっかりと僕の目を見据えていた。

 その後ろの背景はいつの間にか、民家も何もない林道へと変わっている。

「順を追って説明しますね。まず私は『子供を探す若い母親』という条件を基に聞き込みを開始しました」

 何のために、とは訊かなかった。

「最初は病院です。面会可能な入院患者から片っ端に探しました。しかしどこにも子供が行方不明の母親はいませんでした。子供を亡くした母親はどうにか見つかりましたが、どう考えてもあの生霊とは年も雰囲気も声も違っていました」

 僕は黙って日羽鳥の語るのを聞いていた。

「町の大きな病院は大体当たりましたが、他にも回っていないところは沢山ありました。生霊が本体から遠く離れられないことを鑑みても、その件数は一人で調査するには多すぎました。そこで私は考えを改めることにしたのです」

 日羽鳥は人差指を顎に当て、目線を天井に合わせている。記憶を正確に思い出しているようだ。

「まずは図書館に行き、地方新聞や県の各種データを調べました。その後は児童相談所へと出向き、職員さんから手に入るだけの情報を入手しました」

 そしてその人差指を今度は宙に突き立てる。

「児童相談所が対応した件数が去年で一〇二三件。今年の分を含めて一四五〇件。そのうち児童が親とは別のところで保護されている、または親が服役しているケースが――と、こんな感じで調べていたんです。正直入院患者を除けばこれしかアイデアが浮かびませんでしたからね、なんとか探しましたよ。そうしてるうちに気が付いたわけです。先輩と女の子の霊さん、そしてあの生霊の関連性に」

 それは、その言葉の意味することは――。

 僕は考えようとして、すぐに止めた。本当を言うと耳も塞いでしまいたかった。でもそうすると日羽鳥のやってきたことを否定するような気がしたから、どうしても気が咎めた。

「死んでしまった女の子を探しに、母の生霊は毎晩彷徨い続ける。虐待の件数自体は多数ありますが、死亡例、被害者の性別、そして地域を絞ればある程度は見えてきます。それを調べに行った帰り、私は先輩に会いました」

 昨日のことだ。

 大雨の中、服が濡れるのも厭わず走っていた日羽鳥。

「……そこでスーパー霊視を行った際に訊いてみたんです。『あなたの名前は何?』って」

「そ、そんなことしてたのか」

 念話、テレパシーみたいな能力だろうか。

 彼女は得意げに口角を上げて、しかしすぐシリアスな顔つきに戻った。

「『まほ』――女の子は囁くような声でそう答えました。ずっと調査を続けてきた私にはピンときましたよ。この子はちょうど去年の五月二十四日に、母親と再婚相手との過度な育児放棄ネグレクトの末に衰弱死した安住真保あずみ まほちゃんだってね」

 ネグレクト……ストレスのかかる育児だからこそ、多くの児童虐待のケースがこれに該当するとも言われている。

 食事を適当に済ませたり、極端に回数を減らせたりすることで子供は栄養失調になる。

 トイレに行けない乳幼児の排泄物を放置し、細菌に侵される。

 例をあげていけばキリがない。

 そんな……そんな目にあった子供が、僕の魂の奥に潜んでいるっていうのか?

 そういえばさっき日羽鳥はこう言った。『霊さんを内に匿っている魂』。

 匿っているっていうのは、何かの敵から守っているということだ。

 敵?

 敵って誰だ?

 ――その答えはすでに分かっていた。

 だからこそ僕は頭をよぎったその答えを肯定しようとはせず、髪を掻きむしることで忘れようとした。

「見えましたよ先輩」

 林道の終りでバスがゆっくりと停車し、蒸気をはくような音を立てて先頭の扉が開いた。

「あれがその子の母、安住愛の服役する女子刑務所です」



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